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《ジャンニ・スキッキ》観劇

11月11日(金)、普段からお世話になっている先輩・友人たちが関わっているオペラ公演、《ジャンニ・スキッキ》を観劇した。主催はNovanta Quattoroという先輩が立ち上げたオペラ団体で、実力のある若手の音楽家と製作陣を中心とした団体である。旗揚げ公演の《ラ・ボエーム》は残念なことに拝聴できなかったが、今回演出を務められた吉野さんのお誘いで観劇させていただいた。後にも詳しい感想を述べるが、総じて言うと大変エネルギッシュで愉快で素晴らしい公演であった。

舞台装飾および衣装やメイクの充実

まずは視覚という面における今回の公演の感想について述べたい。《ラ・ボエーム》の舞台写真を拝見した時から思っていたが、この団体は大道具から小道具に至るまでの舞台装飾が非常に充実している。私自身、別の団体で舞台制作に携わった経験はあるが、この制作人数でここまで緻密な装飾を作り上げるのは容易くないと推察する。《ジャンニ・スキッキ》は1幕のオペラであるが故に、場面転換でセットを変えることは基本的にできない。その分、細部までこだわった舞台装飾は観客の心をグッと掴む。本編に入る前のプロローグで幕が上がった時点で、《ジャンニ・スキッキ》の世界に引き込まれたのは言うまでもない。
特に感心したのは、空間を縦方向に上手く活用していた点である。公演が行われたホールは小劇場であるため、大規模な舞台装置や大道具を置くことはできない。横方向にも限界がある。その分、平台など段差を多く用いることで登場人物たちを効果的に観客に見せ、劇場の狭さを感じさせない伸び伸びとした演技を見せられていたと思う。背景一面を本棚にして小道具を並べていた点も、空間に余白を持たせないことで「凝縮された世界観」を表現するのに役立っていた。一つ一つの大道具・小道具に丁寧なこだわりを感じた。

次に触れたいのは衣装とメイクである。《ジャンニ・スキッキ》自体は、ダンテの『神曲』地獄篇、第30歌を原作とし、舞台は1299年のフィレンツェである。しかし、この時代設定通りの演出だと現代を生きる私たちにとっては親近感を抱きづらいし、陳腐なものになってしまうだろう。だからこそ、翻案など新しい演出の試みが求められるオペラであると言える。
舞台装飾も服飾も、今回の公演は近現代というのだろうか、レトロだけれども身近に感じられるような、そして担当した製作陣の遊び心を感じられるような「温かさ」があった。特に衣装については、各登場人物・演者の性格を考えた上でこだわって選んだ印象があった。それほど役にハマっていたのである。個人的に一番好きだったのはマルコだ。
どの役も洗練されている一方で、原色や濃色を躊躇せずに選んでいた点も面白い。全く違和感が無く、演者たちを《ジャンニ・スキッキ》の世界の住人へと昇華させる非常に重要な役割を果たしていた。作り込まれた舞台装飾に映える衣装であったと思う。
そしてメイクについて、これも非常に面白かった。よくあるオペラの舞台メイクではなく、色を多用し、役によってはタトゥーのようなペイントを施していた点は非常に興味深かった。特に、ジャンニ・スキッキの顔に描かれていた模様は、どこか怪しさや不吉さを感じさせるというか、「地獄に堕ちる」ことを彷彿させるような印象を受けた。それでいて演出の邪魔になっていないのは感心した。

プロローグ

《ジャンニ・スキッキ》は1幕のオペラであり、上演時間も1時間ほどであるため、他のオペラと共に上演される機会が多い。しかし、今回はプッチーニの他の歌曲とダンテの『神曲』地獄篇の朗読からなるオリジナルの音楽劇とともに上演された。この音楽劇のシナリオはドラマトゥルクの伊藤さんによる『神曲』の解釈と、ゲラルド役の鷹野さんによるプッチーニに関する丁寧なリサーチが元となっているようである。
プロローグの目的は「ドナーティ一家の姿を描きなおす」ことであると演出ノートで述べられている。これについては演奏が始まる前に読んでいたので、実際にその意図がどのように表現されているのか注視していた。しかし、この試みは非常に難しいものであったように思える。もちろん所々その演出の意図を感じ取ることはできたし、演者たちの歌唱力にも圧倒されたのだが、いざ本編が始まるとプロローグとの関連性が若干希薄になっているような印象を受けた。先輩の演出に注文をつける害悪な後輩になってしまっているが、少しちぐはぐな感覚というか、「描きなおす」という点で言うと物足りないと感じてしまった(申し訳ないです)。
もちろん、歌唱部分は非常に力強く美しく、ジャンニ・スキッキ役の高橋さんの歌唱を目の前の席で聴いたが、一言で言えば心が震えた。圧倒されて釘付けになった。そこで一気に引き込まれてしまったのだ。稚拙な文章では伝え切れないほど格好良かった。

本編

ようやく本編について述べる。一人の人間の「死」を心から悲しむことなく、遺された莫大な遺産に執着する人間の醜さや欲深さは非常に滑稽だ。しかし、実際にそれを体験する機会はほとんど無い。さらにそれを演じるとなると非常に難しいだろう。だが、この公演のドナーティ家は見事に演じ切っていた。舞台上を忙しなく動き回って遺言状を探している姿を見て、客席でクスッと笑ってしまうくらいにコミカルかつ表情豊かであった。金に執着する欲深い大人たちと、その姿を愉快そうに眺める子供の無邪気さの対比も面白かった。ゲラルディーノの演技力には脱帽である。全体を通して、ドタバタ劇であるのに空間に秩序が保たれており、演者同士の息のあった演技が非常に魅力的だった。
さて、本物の遺言状を発見して遺産が噂通り献金されてしまうことを知り、どうにか遺産を手に入れようと考えた末、リヌッチョが法律に詳しい新参者の成金ジャンニ・スキッキに助けを求めることを提案する。リヌッチョ自身、ジャンニ・スキッキの娘ラウレッタと恋仲であり、二人は深く愛し合っていた。新参者が気に入らない上に両者の結婚に反対するドナーティ家の面々は当初渋っていたが、目の前の莫大な遺産のためにその提案を了承する。家に招かれたジャンニ・スキッキは、一人の人間が亡くなっているのにも関わらず遺産にしか目がない一族を見て皮肉まじりに嘲笑する。このシーンの高橋さんの演技は非常に「自然」で、役が板についており、気に食わない奴だが憎めないキャラクターであると感じた。
一族から歓迎されない上に面倒事を押し付けられると知ると、ジャンニ・スキッキは立ち去ろうとする。しかし、愛する娘ラウレッタが、リヌッチョと結婚できないならば川に身を投げる覚悟だということを告げられ、ジャンニ・スキッキは一族の遺産相続問題に手を貸すことにしたのだった。このシーンにおけるラウレッタの有名なアリア「私のお父さん」を見事に歌い上げていたのは鈴木さんだ。伸びやかな高音など技術面での素晴らしさはもちろんのこと、死をも恐れないほど愛に焦がれているラウレッタの悲痛な願いを、プッチーニの美しい旋律に乗せて演じ切っていた。
ただの観客である私がラウレッタの悲嘆に同情してしまうのだから、父親であるジャンニ・スキッキが娘の願いを聞き入れるのは言うまでもない。そこでジャンニ・スキッキは、自分が亡くなったブオーゾに変装して公証人を呼び、偽の遺言状を作成するという奇策を実行するのであった。当初困惑していた一族も、他に手立てがないこともあって全力で偽装工作に徹する。このシーンも見ていて非常に愉快であった。ジャンニ・スキッキの身支度を手伝いながら、遺産の分け前と色気で少しでも自分に有利な遺言状を書かせようとする女性たちの演技は非常に魅力的だった。特にチェスカの櫻井さんは、スタイリッシュな外見でありながらセクシーな女性を演じるのが非常に上手いと近くで鑑賞していて思った。ベッドに寝ている偽ブオーゾを医者から隠そうと横並びで立つ演出も見ていて面白かった。各登場人物の立ち位置や息のあった動きに、鑑賞しながらニヤついてしまったのはここだけの話である。
公証人が到着し、いよいよ偽の遺言状を作成する場面に移る。ジャンニ・スキッキは巧みな演技と機転によって、教会への献金は最低限とし、現金や主な不動産は一族に平等に分配することとした。最後に一族が気になっていた、一番資産価値のある遺産について、ジャンニ・スキッキがどう発言するのか息を呑んで見守る様は、見ている私も少し緊張しながら注視していた。観客と演者が一体化できるほど、この公演の演出および演者の演技は卓越していたと感じる。そして、偽ブオーゾはこう述べるのだ、「友人のジャンニ・スキッキに──!」
それまでの緊張感が一瞬でプツンと切れて皆が一斉に罵り合う姿は、人間の欲の縮図である。最後の最後に一番欲しかったものを結局新参者に掠め取られる様は滑稽以外の何者でもない。コミカルで生々しい人間の欲望を演技で表現するのは非常に難しいことであると思うが、その場にいる全ての登場人物たちが、言い方は悪いが「醜く欲深い人間」に成り果てていて、時勢が許すのであれば心の底から声を出して笑っていた。それほど素晴らしかったのだ。
一族に罵られながらも、無事に遺言状の作成を終えたジャンニ・スキッキは、悪事を見せないように外に行かせていたラウレッタを呼び戻して、リヌッチョとの結婚を心から祝福する。自分自身が遺言状を偽造したことで地獄に堕ちることを悟りながらも、愛する娘の旅立ちを微笑みながら祝福する様子は、喜劇であるのに涙が出そうなほど心打たれる。最後に観客に向かって述べられるジャンニ・スキッキの口上は、高橋さんの見事な演技力が一番分かりやすく表れている部分であったと思う。皮肉屋で気に食わない奴だが、父親としての力強さや思慮深さも感じられる歌唱、そして言葉で表現し切れないほどの娘に対する深い愛情を、高橋さんの歌と演技から感じ取ることができた。

最後に

座席が前から2列目だったので指揮もしっかり見ることができたのだが、太田さんの指揮は洗練されていて無駄な動きが無く、楽器をやっている人間としても非常に見やすい指揮であった。いつかフルオーケストラ伴奏のオペラで指揮を振っている姿を是非とも拝見したい。

私自身、最近音楽へのモチベーションが下がっていて、これからは音楽文芸研究室での研究のみに絞り、自分が演奏するのはもうやめようかと悩んでいた。音楽を心から楽しめなくなっていたのだ。しかし、そんな悩みや迷いを一瞬で吹き飛ばすほど、この公演は活力に溢れ観客にもエネルギーを与える力強いものだった。全ての人間が心から音楽を愛し奏でる姿を見て、ああ私も音楽大好きなんだと、改めて思い知らされた。音楽をやめたくない、続けたいと心から思った。そして、やっぱり歌が大好きすぎて苦しいとさえ感じた。それほど最高の公演だった。

今回の公演に招待してくださった、演出の吉野さんには心から感謝申し上げます。とても素晴らしい公演を見させていただき、本当にありがとうございました。そして、この公演に関わった全ての方々に心の底からBravi!!!を贈らせていただきます。素敵な公演をありがとうございました。


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