正しい日本語ってなんですかぁ
日本語教師達のFacebookグループに参加しているのですけど、その中で、
若き教師たちのコメントで・・・。
「NHKでぇー 『○○だそう』って『だそう』で切っちゃうんですよ。
『だそう』をつかうなら『です。』をつけて『○○だそうです。』ですよね。」
「そんな言葉聞いたことがない」
「正しい日本語なんですかぁー」
「正しい、日本語ではありませんね。」
「気持ち悪くて、嫌いです。」
「わたしも嫌いですね。」
( ^ω^)・・・『○○だそう』前後が書いてないので、どのような状況でそのような表現になったのか解りません。
過去に、後輩から、
「ざきぐみさん。聞いて良いですか?
私、茶道の先生に『全然、大丈夫ですよ』と言ったら、先生から
『あなた、全然って言葉は否定の言葉よ。否定の言葉と肯定の大丈夫の言葉を一緒に使う のは、正しくないわ。』って言われたんですけど。そうなんですか?」
なるほど、良くある論ですね。
答えは簡単かまぼこです\(^o^)/(・・・昭和ギャグ🙇)
『全然』を否定副詞として学んだ年代と肯定及び否定副詞として学んだ
年代の違いです。
A 英語は全然しゃべれません。全然話を聞いてくれない。
B こんなの全然食べれるよ!。 全然平気だよ!
どちらも、普通に使いませんか?
ここで問題です。
上のAとBをよ~く見てくださいね。
さてさて、
全然って、「可能及び不可能率は、なん%?」の意味ですか?
明治文学では「全然」は、どちらにも使用していますね。
昭和初期頃にエラーーイ大学の先生が、「全然は否定の副詞だ」と発表して日本の教科書もそうなっちゃったんですね。
つまり、我が後輩の茶道の先生はそのころ教育を受けたお歳という事。
「りっぱな教育を受けましたのよ」のお方ですね。
一方、そのような立派な教育を受けられない庶民方は、「りっぱな教育」に影響を受けることなく、肯定否定に使ってました。
そこで、全然を肯定副詞と使う人は「教養の無い人、学の無い人」と見なされて庶民方も使わなくなっていくんです。
日本人の悲しい性でございます。
ところが、しっかりと明治や大正文学には肯定副詞でも使われている。
第二次世界大戦後、学生たちは勉学に戻り明治や大正文学を学びますね。
そして、
「あーーっ、もともとどっちでもいいんだぁーー」って解っちゃって
流行の様に「全然」を肯定副詞で使って、復活させちゃったんです。
こんなところでも、青年パワーが見られて嬉しいですね。
あ、先程の問題の答えですけど・・・とっくにお判りでしょう。
「全然」の意味は 100%の意味ですね。
私は、日本語教師をしております。
一般的に使用されている有名な日本語学習のテキストはきっと年配の方が作られたのでしょうね。全然は否定の副詞になってますよ。
いまだこの時代になっても改善されていないってことは…出版された方が
お元気なのでしょうね。
表題の件から だいぶ横道にそれてしまいました。
私の結論W
「正しい日本語」って決めつける論議をすることこそ正しくない。
言葉は常に変化し、流行化し、動き、乱れ、揺らぎ、足され、削られ、ていく生き物です。
だから「死語」って言葉もあるですよね。
日本の中で日本語と意識しつつ話されている言葉はすべて日本語ですね。
「とっちゃん、さっさと飯食って寝ろや」
「お父様、早々にお召し上がりになって、お休みくださいませ」
どちらも、りっぱな日本語でございます。
NHKの言葉は、標準語でなくて日本国内の「共通語」です。
鹿児島県なら鹿児島弁が鹿児島の標準語です。
青森県なら津軽弁が青森の標準語です。
若者言葉、on-line語、
地域や場所、どこどこ弁にも通用する言葉が共通語ですね。
地球規模で言えば英語。
そもそも、正しい日本語って、
どこを基準にするの?
どの時代の言葉を基準にするの?
何県の言葉を基準にするの?
東京には、「ひ」と「し」が言えない江戸弁ってあるんだぞー。
万一、正しい日本語の基準が日本の初代天皇神武天皇時代にあるとしたら
私達は今でも「へふは、かまぴと」なんて喋っていなければならないはず。
丁寧語、尊敬語、謙遜語の位置づけは絶対に必要です。
これは、モラルであり人間性ですからね。でも、中身は変化していくものですから。
各国の母語でも、日本人は日本語を常に変化成長させ、新しい母国語を作っていく能力は世界の中でも、ずばぬけていると思う。
おかげで私は若者言葉、SNS内の言葉がわからない・・・。
日本にいないので、流行語も・・・ピンとこない・・・。
未来の日本語って・・・少子化と共に消えませんように。祈る‼
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