「みる」技術
このたび美大卒の知人に教えてもらえる機会を得たので、デッサンに初挑戦してみました!
アイキャッチのリンゴがそれなのですが、リンゴに見えますかね・・・?
デッサンに興味を持ったのは、色々なシーンで、人によってみえているものが全然違うなと感じることが多く、ひょっとしたらデッサンというプロセスを通してなにか新しい理解ができるかも?と考えたからでした。
実際にやってみたら想像以上にスッキリ頭が整理できたので、気づきをまとめておきたいと思います。
デッサンの要諦は「描く」ではなく「観る」
デッサンは絵を描く行為のように見える(実際そうでもある)ので、描く側面に意識を持っていかれがちですが、実際は観ることのほうが本質だと言います。
最初は"ティッシュボックス"というお題で特にレクチャーなしで描き始めました。
割と単純な長方体のフォルムですし、日常生活で幾度となく目にしているものなので、まぁそこそこ描けるっしょとモチーフを観察しながら実際にスケッチブックに落とし込んでみると、
アレ???眼の前にあるコレとスケッチブックに現れたコレは全然違っちゃったぞ???
という感じにリアルになりました。
正確に言うと、カタチはなんとなく長方体にはなっているし、見ようによってはティッシュボックスに見えることは見えるのですが、その目の前にいるモノホンのティッシュボックスの手触り感は全く失われている、という状態です。
なんでなん???と聞いてみたところ、金言を得ました。
デッサンというのは、そのモノをそのモノたらしめる特徴を見出していく作業であって、そのモノをそのモノたらしめるのは一体なんなのかということが観えて理解できていなければ、描くことはできない。
はーーーなるほど!!!となりました。素人の自分は「そこにあるカタチを数学のように正確に読み取り転写していく作業」のように解釈していたのですが、これはアプローチとしてはまるで間違っていたのでした。
重要なのは、それを正確に観て写し取ることではなくて、そのモノがなぜそのモノであるのか?なぜそのモノであると認識できるのか?の意味を読み取ることだったのです。
例えばティッシュボックスであれば、「長方形である」といったことや「天面に取り出し口用のキリトリ線がある」などのわかりやすい特徴もそれですし、「紙箱なので完全にまっすぐにはならない」といったようなことも、ティッシュボックスをティッシュボックスたらしめる特徴です。極論、その特徴さえ描き出せていれば、カタチが寸分の狂いもなく正確である必要はないのです。
印象的だったのは「こことここは状況が違うので、その状況の違いを描き出さないと」と繰り返し言っていたことです。
具体的にはこんなようなことを言っていました↓
・ティッシュボックスの前面は"近い"とか"ディテールがよく見える"という状況にあって、後面は"遠い"とか"ディテールが見えない"ので、状況が違う
・側面は"暗い"という状況で、天面は"明るい"という状況なので、状況が違う
・手前から奥に向けて"距離"や"見える大きさ"という状況が徐々に変化していくので、その状況の変化を描き出ださないとソレに見えない
・金属の箱なら"曲線が全くない"という状況になるし、紙箱なら"やや曲がっている"という状況なので、これまた状況が違う
・陰影のハッキリついたものが描きやすいのは、部分による状況の違いが視覚的にわかりやすいから。つまり描きやすいというよりは観やすい。
少し掘り下げてみると、人はなにかとなにかを比較してしか観る(それがそれであると理解する)ことはできないということで、ソレとコレの状況の違いのことをすなわち特徴と言うのだと。
つまり、デッサンとはある部分の状況と別の部分の状況を比較し特徴を見出す行為なのだということでした。
実際にやってみるとこれがなかなか難しくて、観るにもトレーニングがいるのだと痛感させられました。眼球を通して入ってくる映像としては同じものかもしれないけど、理解という意味では全然同じものがみえていないのです。
実際にやってみることで、自分の中の美大卒者への尊敬ゲージがぐーんと上がるのを感じました。
観ることのプロフェッショナル。すごい。
(ねり消しも初体験。超便利)
具象と抽象の「みる」
そんな体験を経て、冒頭に書いた「人によってみえているものが全然違うな」と感じるのはなぜか、自分なりに整理がついてきました。
デッサンは、モチーフという具象を観るトレーニングです。
今回の場合は実際にリンゴという具象を目の前におき、観察して特徴を抽出していきました。物理的なカタチがあるので、鉛筆をかざして大きさや比率を測ってみたり、光の当たっている向きや強さなどを視覚的に見極めることができます。
一方、ビジネスシーンにおいてはしばしば抽象をみる必要が生じます。
例えば組織です。物理的なカタチはなく概念的なものなので、リンゴよりもみえにくいと感じるのではないでしょうか。「カタチがないんだからみえるわけないよ!意味わかんない!」と思う人もいるかもしれません。
しかし、人類はこういったものをみる物差しを既につくりだしているのです。
例えばエンゲージメントスコア、ストレングスファインダー、1on1。これらは組織や人をみる技術です。デッサンにおける鉛筆をかざす行為に相当するものと言えます。
また、そういったツールを用いなかったとしても、比較対象をたくさん持っている人は、それまでに経験した状況と現在の状況を比較することで「みる」ことができるのではないでしょうか。
どちらもなければ、たぶんみえてません。
個人的に、スタートアップの組織運営うまくいかない問題はこのあたりに由来すると考えています。
組織をみる技術を備えている人がいないことが多いので、問題がぼんやりとしかみえておらず、みえていないがために有効な手を打つこともできないのだと思います。目隠しをしてバットを振っているようなものです。
一番不幸なのはみえている人とみえていない人が混在する場合で、みえている人は「まずいよ!」と言いますが、みえていない人には理解ができないので、コミットが不足したりコミュニケーション不成立となります。
もしかすると「そこに幽霊がいる!」と言われているような気持ちなのかもしれません。
でも、みえていない人には「みえてるよ!」と言ってる人に本当にみえているのかすらわからないので、簡単に信用することも難しいですよね。自分にみえてないものを信じろと言われてもなかなか・・・このへんが抽象を扱う場合の難しさかもしれません。
昨今のHRテックの隆盛は、組織や人といった抽象に対する「みる」物差しを体系化する試みなのかもしれませんね。
視座の高さ = 「みる」技術を備えている範囲
視座の高さという言葉がよく使われると思います。
視座の「高さ」と言っているので誤解を招きがちですが、実際には高低ではなく範囲の話なのでしょう。冒頭に書いた、人によってみえているものが全然違うというのは、要はどの範囲に対して「みる」技術を備えているかが人によって違うということです。
キングダムに例えると(知らない人はごめんなさい)、大将軍たる王騎は戦場全体の状況から勝利への突破口を見出すことができます。それは、それまでの数多の参戦経験を経て、戦場全体という範囲に対する「みる」技術を磨いてきたからなのでしょう。
馬陽での戦の時点では、信にはまだそこまでは見えていません。ひよっこ百将には、自分の隊とその周りの戦況を「みる」ので精一杯なのです。
(今回モチーフになっていただいたリンゴ)
「みる」技術をつけるには、多様な状況をみることが大切
デッサンにおいて、観るというのは、ある部分の状況と別の部分の状況を比較し特徴を見出す行為だと書きました。つまり、AとBの違いを認識することから始まります。
組織や人といった抽象をみる場合も全く同じなのだと思います。「みる」技術をつけるためには、できるだけ多種多様な経験を積んで、様々な状況の違いを認識できるようになることが重要なのでしょう。
色んな人と触れ合おう!色んなビジネスモデルをやってみよう!色んなプロダクトをさわってみよう!色んなフェーズ・大きさの組織に属してみよう!色んな職種を経験しよう!
・・・とはいえニンゲンひとりが使える時間には限りがあります。
足りない部分は本などでカバーするのがよさそうです。
例えば、FACTFULNESSを読むことは、世界情勢の移り変わり・状況を「みる」物差しを手に入れる行為と言えるのではないでしょうか。
国家はなぜ衰退するのか(上・下)を読むことは、国家の盛衰を「みる」経験を擬似的に積む行為と言えるかもしれませんね。
あとは、身につけたい「みる」技術を持っている人に質問しまくって話を聞くのもいいかもしれません。王騎の馬に乗る方式です。
まとめ
デッサンを通じて、「みる」ということの解像度を上げることができたのは収穫でした。
なんだか脳の普段使わないところを使う感じがして単純に楽しくて、第三の目が開眼していく・・・!みたいな快感があったので、またやりたいと思います。
ざっくりまとめ。
・「みる」とは、ある状況と別の状況の違いを認識すること
・抽象を「みる」ためには、そのための物差しを使うか、経験を使う
・視座の高さ = 「みる」技術を備えている範囲
・「みる」技術をつけるためには、多様な状況を経験することが重要
おしまい!
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