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日本の香りを僅かに残す街・ユジノサハリンスク

世界の中には、かつて日本の領土だった場所がいくつかある。
そういった場所は、基本的に日本からそう離れていない場所にあるため、日本ではなくなった今でも、我々にとって比較的身近に感じやすい場所が多い。
しかしながら、同じように日本からそう遠くないにもかかわらず、謎に包まれているように感じる場所がある。
今回は、そんなサハリン(樺太)の中心都市、ユジノサハリンスクについて取り上げたい。

ユジノサハリンスクはこんな場所

ユジノサハリンスクは、北海道の北に位置するロシア極東の島、サハリン(樺太)の南部にある同島最大の都市であり、サハリン州の州都である。
1905年の日露戦争終結に伴うポーツマス条約の締結により、ユジノサハリンスクを含む樺太の南半分が日本領となり、以後約40年間、ユジノサハリンスクは「豊原」と名付けられ、樺太における中心都市となった。
なお、ユジノ(Южно)とはロシア語で「南」を意味し、ユジノサハリンスクとは日本語にするならば「南サハリン町」というような意味合いである。

サハリン来訪のきっかけ

私がサハリンを訪れたのは今から5年以上前のことだった。
当時私は仕事の都合で札幌に住んでいたが、遠くないうちに転勤になることを薄々感づいていた。
そこで、「札幌にいるうちにやっておきたいこと」をリスト化して、可能な限り消化しようと企てた。
そして「知床に行く」「雲海テラスに行く」「みよしののカレーと餃子を食べる」などの項目に混じって「サハリンに行く」がリストアップされたのであった。
北海道とサハリンは近い。北海道の最北端、宗谷岬とサハリンの最南端の距離は僅かに43kmである。
そんな距離ならば北海道にいるうちに是非訪れておかねば、と思ったのだ。
別段なにか面白い物や絶景があることを期待してはおらず、「サハリンに行ってるという事実がもう面白いのでは?」という安直な発想であった。
かくして、歩いていける みよしの へ行くよりも先に、国外のサハリンへと赴いたのである。

サハリンに行くには(準備編)

日本とロシアにはビザ免除の取り決めがない。したがってサハリンに限らず、ロシアへ行くにはビザを取得しなければならない。
2017年からサハリンやウラジオストクを含めたロシア極東沿海地方に行く場合、滞在時間が8日間以内であれば電子ビザを申請することで容易に取得ができるようになった。
(なお、2021年からは対象がロシア全土に拡大されるようだ)
しかし、私が訪問した際にはまだネットで完結する電子ビザ制度はなく、通常のビザ取得が必要であった。
厳密に言えばツアーかつ行き帰りともフェリーを使う場合は免除されていたのだが、フェリーのダイヤがどうにも便が悪く、それを断念したのであった。
個人旅行の場合、代行業者に手数料を支払って取得してもらうことが一般的であったが、手数料をケチった私は自分でビザの取得を試みることにした。
ビザの取得のため在札幌ロシア連邦総領事館に赴くと、総領事館の周りは謎の静寂に包まれており、更には警官が警備している。なんとなく物々しい空気であった。
構わず入ろうと警官に話しかける。
 警「お名前いただけますか?」
 私「? 〇〇(私の名字)と言いますが。」
 警「?」
 私「?」
 警「あっ、ひょっとして個人ですか?
どこの業者か?という質問だったらしい。どうやら私は相当少数派だったようだ。
こんなやり取りを経て申請を行い、どうにかこうにかビザは取得できたのであった。

サハリンへのアクセス

サハリンへのアクセスは現在は飛行機のみとなっている。
成田空港及び新千歳空港から、ユジノサハリンスク近くのホムトヴォ空港に定期便が就航している。

元々はもう一つ、稚内とサハリン南端の都市コルサコフを結ぶフェリーが夏季のみ定期運行していたのであるが、2019年以降休止されてしまっているようだ。船で国境を超えることが出来る貴重な航路だけに、再就航が待たれる限りだ。

そして私は、スケジュールの都合上行きフェリー・帰り飛行機という手段を取ることにした。

船での国境越え

前日の夜行バスで札幌から稚内に向かった私はバスの終着である稚内フェリーターミナルへと到着した。

このターミナルは、利尻島・礼文島などへ向かう国内線ターミナルと、サハリンへ向かう国際線ターミナルの2つに分かれているが、その圧倒的な需要の差からか、規模が随分と異なっている。

国内線フェリーターミナル

国際線フェリーターミナル

売店や飲食店のある国内線ターミナルと違って、国際線ターミナルにはなにもない。
よく地方の人が言う(イオンやカインズホームや東京靴流通センター以外)なにもないというような比喩ではなく、本当になにもない。
仕方がないので、国内線ターミナルで朝食を買い込み、乗船時間を待つ。
当然だが、国際線であるので出国手続きを行う。
おそらくこの航路に乗らないともらえないであろう、稚内印の出国スタンプが押される。

フェリーが運休してしまっている今、このスタンプを手に入れることはもうできそうにない。

アインス宗谷号に乗り込み、いよいよサハリンに向かう。
乗客は7:3か8:2位の割合でロシア人が多い。日本人は少数派であるが、中にはかつて日本領時代に樺太に住んでいたという人もいた。久方ぶりの里帰りのようだ。自分の故郷が自分の国でなくなる、という感覚は戦後に産まれた私には想像もつかないが、それもまた歴史なのだと実感する。

稚内からコルサコフまでは約5時間の旅だ。
飛行機とはまた異なる面白さがある。
まず食事は、弁当が配られる。

至って普通の弁当だ。

私が乗った2等席は、カーペットのスペースの好きな所に陣取るというスタイルであったので、適当なところに陣取って弁当を食べる。
暇なので、船内をうろつくと、自動販売機に目が留まる。

水150円に対して、ビールが100円。
ビバ免税だ。

船内には売店もある。

響の17年が7500円で買えるとは、免税を差し引いてもいい時代だった。
当時はウイスキーを飲まなかったので、その価値など知る由もなかったが。

そうこうしているうちに国境を超えたようだ。
越境の証明書が配られる。これも旅のいい記念だ。

そして、いよいよサハリン・コルサコフ港に到着する。

日本を感じない建物が目に飛び込んでくる。

ユジノサハリンスクへ

到着後、入国審査を経てようやくサハリンの大地に踏み出す。
まだ目的地はここではない。ここコルサコフからユジノサハリンスクへと向かわなければならない。
フェリーターミナルから、ユジノサハリンスク行きのバスターミナルへは少々距離がある。
この時、私はチャリを持ってきていたので、早速組み立てて、バスターミナルへと向かう。

当初はチャリでユジノサハリンスクに向かおうと考えていた。しかし、チャリを持ってサハリンに行く物好きなど皆無なようで、残念ながら情報がなかった。流石に到着しないまま日没などになってしまうことはあまりに危険なため、一度はバスで向かうことに方針転換したのであった。
なお、私は乗っていないのではっきりとしたことは言えないが、上の写真で見えているのもバス停であるが、このバス停からはユジノサハリンスクへ行くバスは出ない。あくまで近距離バスしか出ないようで、ユジノサハリンスク行きのバス停まで、ここからのバスで移動するのだろう。
若干道に迷いながらチャリを漕ぐこと約10分、ユジノサハリンスク行きのバスの出るバス停に到着する。既にバスが停まっていた。

一安心でバスに乗り込む。

バス停がやたらカラフルだなぁとか、

意外とアップダウンがあるなぁなどと思いながら揺られること約1時間。
ようやくユジノサハリンスクへとたどり着いたのであった。

ユジノサハリンスク駅

ユジノサハリンスクの観光(日本を感じる編)

南樺太が日本領でなくなってはや70年以上が経っていることもあり、
ユジノサハリンスクに日本時代を感じる場所は多くはない。
そんな中における貴重な日本時代の建築物の一つが、サハリン州立郷土博物館だ。

1932年に樺太庁博物館として建築された建物が、現在も博物館として活用されている。

地学や、生物の剥製などの展示とともに、日本領時代の歴史についても知ることが出来る。

日本時代の写真や物品、

ロシアとの国境に置かれた標石なども展示されている。

中庭には日本軍の戦車や大砲の砲丸などもあり、軍国主義時代の面影を残している。

結婚式を上げたと思われるカップルが記念撮影などを行っていた。ここは結婚する際の記念撮影の定番スポットらしい。日本時代の建築物が時を超えて愛されているというのはなんとなく嬉しく感じるものだ。

日本領時代、とは関係がないが、日本の物自体は比較的頻繁に見かけることが出来る。

例えば、中古車の殆どは日本製のようで、トラックなどは特に塗装もそのまま活用されている。
また、日本製の食品なども当たり前に見かける。極めつけはこちら。

道民のオアシス、世界のセイコーマート参上。
といっても、中身は至って普通のロシアの商店だった。おそらくセイコーマートのPB商品を置いていますよ、くらいの意味あいなのだろう。

ユジノサハリンスクの観光(感じない編)

やはりここはロシアだ。ロシアらしい観光スポットももちろんある。

ロシアらしい色使いの正教会や

レーニン像や、

戦勝記念のモニュメントがある広場などもある。

また、市民の憩いの場であるガガーリン公園も是非訪れたい。

ガガーリンとは、あの宇宙飛行士ガガーリンである。

だが、特にガガーリンはサハリンに縁があるわけではないらしい。
なぜその名を冠したのだ。
公園の中はちょっとした遊具などもある。

一番著作権にうるさそうなところに正面切って喧嘩を売りに行くスタイルである。

そして、遊具で遊ぶ子どもたちを尻目に、虚ろな目で鮭を運ぶ熊。
何かとツッコミどころの多い公園だ。
そして公園の中にある池の周りを鉄道が走る。

この池は日本時代は「王子ヶ池」と言われていたそうだ。こんなところにも日本の名残だ。

サハリンの食事

せっかくロシアに来ているのだから、ロシアらしいものを食べたい。
私が訪れたレストランは、チョールナヤ・コーシュカという店だ。

ロシアの家庭料理が楽しめ、英語メニューもあるので安心だ。

このビーフストロガノフが特に美味だった。
チョールナヤ・コーシュカとは、ロシア語で黒猫を意味する。
その名の通り、店のいたる所に黒猫がいるのがまた和ませてくれる。


ユジノサハリンスクを見下ろして日本の名残を感じる

町外れの展望台からサハリンの街を一望することも出来るので、是非訪れておきたい。

展望台へはゴンドラで。
冬はスキー場として、本土からも人が訪れるようだ。

ユジノサハリンスクは、豊原と呼ばれた日本領時代に、札幌を模して都市計画が行われたらしい。ロシアでは唯一と言われる碁盤の目に整備された都市の姿こそが、一番の日本領の名残なのかも知れない。

ユジノサハリンスクのマグネット

ユジノサハリンスクというかサハリンのマグネットがこちら。

ユジノサハリンスクにも土産物屋はあるが、このような3Dの物が置いておらず、ホムトヴォ空港にほど近いショッピングセンター、シティーモール内の土産物屋で発見したものだ。
サハリン島がプリントされたスノーボードが一応のご当地感を醸し出している。なお、ホムトヴォ空港にも小さなおみやげコーナーはある。


ビザという制約がなくなり、極東ロシアも身近になりつつある。
コロナ禍前ではウラジオストクがクローズアップされて注目を集めていたが、この近くて遠い元日本の街で、日本の名残とロシアの空気を感じてみるというのも、決して悪くない選択肢だろう。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。




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