血友病vs川崎病vsダークライ 4日目

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眠い。とても眠い。
無理はしないと意識しているはずなのに、搾乳や家事をしておかないとどこか落ち着かず、深夜に動いてしまう節があった。そして、朝の出発前に一番眠くなるのであった。運転するのに、あまりよくないなあと思いながら風呂洗いをして、わたことまめこを起こしにいった。
前日・前々日と、「早くしないとママが行っちゃうぞ!」という旦那さんの脅しで慌てて起きていた2人だったが、とうとうこの日のまめこは起きるのを諦めたらしく、横になったまま「ダイジョウブヨ…イッテラッシャイ……」と言った。文字通りの三日坊主であった。切り札が使えなかったと知ると送迎担当の旦那さんは苦い顔をしたが、何にでも慣れは来るものだ。

流石のわたこはきちんと起きて着替えをしていた。前髪が目にかかっていたので、帰ってきたら切るという約束をすると嬉しそうだった。まめこがしばらく子供部屋から降りてこないと悟り、わたこは朝ご飯を食べながら嬉々として保育園やらピアノ教室やらテレビやらの話をたくさんしてくれた。つかの間、ゆっくりでき、元気のいいハイタッチで送り出された。


4日目なのに(もっと言うと、その前にも通院で3回は来ているのに)、全く道を覚えられないどころか、側道にでないと曲がれないとか、トンネルを通れば信号がないとか、そういうトラップ的な交差点に全てひっかかりながら向かった。今更だが私は地図を読むのがド下手なかなりの方向音痴である。運転は嫌いではないか、ナビがなければ目的地と反対側にどこまでも走り続ける可能性がある。

そんなわけで病棟にたどり着き、カードキーで中に入ると、入口でベビーカーに座った3歳くらいの男の子に話しかけられた。
「だれのおかあさん?」
「え?まずはおはよう」
職業病が出てしまった。男の子はもごもごと「おはよう…」と言ったが、その後警戒されたのか、こちらをチラチラ見ているものの、話しかけてはこなかった。
彼はおそらく、廊下で頻繁に泣いて怒っている声の主だ。病棟保育士さんが、ベビーカーに乗せてひたすら廊下を行ったり来たりしている姿を何度も見かけた。ここに居る大人のやることなすことすべてが気に入らない、といった風なので、とても気になってしまう。残念かつ当然ながら、感染予防のため院内では他の患児や家族とは基本的に会話しないことがルールなので、構いたくても我慢が必要である。
そんなわけで、ナースステーションに母乳を預けて、病室へ向かった。

看護師さんに保冷バッグを渡そうとして、昨晩交代の挨拶にきてくださったときの明るさからは想像もできないほどやつれた顔をしていることに気付いた。夜の間忙しかったのか、何か危機的状況があったのかは分からない。あるいは、そもそもが一晩仕事をすれば自然とそうなるほど神経を遣う仕事なのかもしれなかった。
昨日抱いた「ドラマみたいでかっこいいチーム」というキラキラしたイメージでは、全く奥行きが足りていなかった。ここで子どもたちの命を救い、守っているのは、スーパーマンでも戦隊ヒーローでもなく、生身の人間なのだ。



たんたは今日も元気でなによりである。
採血の後の内出血はしっかり残っていたが、昨日以上に広がってもいなかった。以前調べたときに見た血友病の子の内出血の写真を思い出すと、ヘムライブラを打っていなければもっと腕全体が腫れていたかもしれない。
朝のバイタルチェックが終わると、看護師さんが酸素と心拍のモニターをポータブルのものに付け替えてくれた。これで、部屋から出歩ける。
ただし、コロナ以降はプレイルームが閉鎖されており、おもちゃで遊んだりすることはできないとのことで、病棟保育士さんなどが作った壁面の可愛い飾りを眺めて回る程度だった。まだものを握れるかどうかいうレベルのたんたにはそれでちょうど良かったが、1歳から5歳くらいの子たちにとって遊び場がないというのは大変だろうなと思った。

さて、今日からはさほど忙しいスケジュールではなくなっていきそうだ。
目玉イベントは、前日に許可の降りた沐浴。たんたはお風呂が大好きなので、喜ぶだろうが懸念もあった。たんたは、既に7.5kgを超えている。乳幼児の肥満度を示すカウプ指数は、3ヶ月健診の時点で17.8(上限は18)。標準ギリギリのムチムチ赤ちゃんだ。しかし首の据わりは完全ではなく、頭をしっかり支えてあげないと、沐浴槽での入浴は難しい。かといって大人が一緒に入れるお風呂の設備はない。つまるところここから2週間、お風呂の度に私の手首が大きなダメージを受け続けるということだ。うまく浮力を味方につけねば、腱鞘炎で湿布は不可避に思われる。

などと考えていると、回診の時刻になり、担当医の先生方がやってきた。看護師さんが来たときと同様に、何故かたんたのテンションは爆上がり。人が好きというのはいいことだ。もし人見知りが始まっていたら、お互いに可哀想なことになる。
元気だねぇとほっぺをふにふにされてご機嫌のたんた。しかし、ひと通り診察をして顔を上げた先生から、昨日の血液検査で川崎病とは別な問題が見つかったことを告げられた。

たんたは………貧血だった

この時期の、特に母乳オンリーで育っている赤ちゃんは、ぐんぐん体を大きくする過程で鉄が不足しがちらしい。
「鉄不足の赤ちゃんは実はいっぱいるんですけど、たんたくんの場合はたまたま血液検査をしたのでバレちゃったーって感じですね。あまり心配は要らないです」
因みに、私は3回の妊娠で3回とも血液検査に引っかかり、貧血で鉄剤を処方されている。母体に鉄が足りていなければもちろん赤ちゃんに届けることもできない。ここしばらくあまりちゃんとした食事をとれていなかったことを反省した。サプリメントでも取った方がいいのだろうか?
ともかく、明日から毎日の薬に鉄剤が追加されることとなった。



ちょうどお昼頃、お風呂に入れられることになった。全てのコードが外されたたんたを抱っこした時、少し、いやかなり、感動した。腕の中に向かって、おかえり、と言った。

沐浴室にはタオルもお湯も全て準備されていたので、早速取りかかった。たんたは新しい部屋に興味津々で、きょろきょろしていた。
裸にしたたんたを湯船に浮かべると、思った通り頭が重くて支えるのが大変だったが、たんたが大喜びだったのでゆっくり丁寧に洗った。腕がしびしびしてきても、どこまでも愛しい重みだった。
洗い上がって服を着せている間まで上機嫌だった。授乳をするとすんなり眠った。



遅めの昼休憩をもらって外に出た。近くに、気になっているアジア料理の店があったので入ることにした。鶏肉とカシューナッツの炒め物は、注意書きもなくめちゃくちゃ辛かったが、美味しかった。惜しむらくは疲労で弱った胃には刺激が強かった。いてぇ。

しかし食欲があるのはいいことだ。入院2日目頃が心身ともにしんどさのピークで、食べたくない、眠れない、できれば何もしたくないのひどい有様だった。この私が、音楽がなければ生きられない私が、一時間無音のま運転して帰ってきてしまうこともあり、これは本格的に駄目だと思った。家族と、趣味のおかげで、なんとか持ち直してきた。
どんなときでも歌を歌っていたい。「歌えない人生になど意味はないのだから」。

辿り着く詩 / Sound Horizon



この日、フロベンの内服の介助をやらせてもらうことになった。粉薬を水に溶いてシリンジで与える。わたまめのときは初めて薬を飲んだのも離乳食以降で、服薬ゼリーなどが使えたが、たんたはまだ液体しか飲み込むことができない。ちなみに、発症直後の熱冷まし(カロナール)は、薬局の薬剤師さんに教わった「数滴の水で練って上あごに貼り、唾液と一緒に飲み込まれるのを待つ」という方法で成功した。

まず、粉薬の入った袋に、1〜2mlの水を入れて混ぜる。このとき粉が残りやすいが、シリンジで出し入れを繰り返すとよく混ざる。混ざったところで、シリンジの先に細いチューブをつけて隅まで全部吸い上げる。チューブは外し、吸った薬を頬の内側に添わせて流し込む。
赤ちゃんはじっとしていないので、頬からシリンジが離れてしまうと喉に直接入ってむせてしまう。無理やり押さえようとすれば、尚のこと身を捩って逃げようとするものだ。これがアスピリンに替わり、帰宅してからも2、3ヶ月は続くとのことなので、早いとこ慣れたい。

そうえいば、家ではまめこも小児喘息の予防の粉薬を毎日飲んでいる。コップに少量の水を入れて薬を混ぜ、渡すとしっかり飲むことができる。ゼリーやジュースで誤魔化していたのが懐かしい。この介助も、すぐに懐かしいお世話の記憶になっていくのだろう。



帰る前のひと遊びは、少し切ないものがある。たんたは無邪気にパペットとお喋りしていた。病棟全体に響き渡るような件の男の子の叫び声が聞こえてきた。「(病室に)帰らない!ここじゃない!!!」とひたすら繰り返している。
そうだね、ここじゃないよね。ここにいる誰も君を閉じ込めておきたいなんて思っていないよ。私も、できることなら、自分の子どもを連れて帰りたい。みんなみんな、元気になってくれ…… 



家に帰ると、みんな2階へあがるところだった。
なんだか家族と一緒にいたくて、手洗いうがいと着替えだけして子供部屋に直行した。まめこが喜んで絵本を選んできたので読んでやり、この日はそのままご飯も食べずに眠ってしまった。


5日目へ続く





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