血友病vs川崎病vsダークライ 3日目

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5時半頃から夕飯のおでんを仕込んでいた。といっても、大根と卵の下茹では前日までに旦那さんが済ませてくれていたので、やることといえば練り物の油抜きや蒟蒻を切るくらいで、あとは順番に出汁にいれて煮るだけだった。
鍋を火にかけて次の仕事を、と思ったら、洗濯物がいつの間にか脱衣所から消えている。旦那さんがベランダに運んで干し始めてくれたようだ。
我々は年々、こういった「作業のバトンタッチ」がスムーズになっている。

わたことまめこを起こしにいくと、眠い目を擦りながらではあるが起き上がってくれた。着替えを、いつもは自分で選ぶところを今日はママのチョイスがいいというので、わたこは全身チョコレート、まめこは全身しましまにした(何故か、娘たちは上下で同じ色にしたり同じ柄にしたりするのを好む)。一緒に朝食をとる余裕はなく、左手で家族みんなにハイタッチし、右手には旦那さんが作った簡易サンドイッチにを掴んで車に乗り込んだ。



この日は初めて冷凍の母乳を持って行ったが、一度車に置いていきかけた。西松屋の駐車券を思い出す。まだボケている。
ナースステーションの看護師さんに母乳を渡すと、ラベルの名前と日付を確認して受け取ってくれた。

どうやら私が病院に来る時間帯は、大体朝のミーティング中で、夜勤と日勤が交代になるタイミングのようだ。話の途中でも駆け寄ってきてくれる看護師さん、有難いやら申し訳ないやら。
医師と看護師が集合してのミーティングは壮観だ。子どもたちの命を守る最先端のチーム。たんたが入院した病院は第三次救急に指定されており、怪我・病気が重篤で難しい治療を必要とする子どもたちが集まってくる。働いている医療従事者の方の質も数も相当になる。
看護師さんたちが腰に下げているiPadには、子どもたちの心拍のモニターがリアルタイムで映されており、ナースコールもスマホに飛んでくる。この人たちはこれを日常としているのだ。「絶対救命」の文字が何度も頭をよぎった。


病室に入ると、たんたは起きて、クリームパンのような自分のゲンコツを凝視していた。おはよう、と声をかけると機嫌よく笑っていた。調子は良さそうだ。
そこへ今日の担当の看護師さんがきて、挨拶もそこそこに血圧や体温の確認を始めた。
昨日から気になっていたことだが、たんた、お前看護師さんが来る時の方がテンション高くないか
私のときは「おう、おかん、来たか(にこ)」くらいのものなのに、体温計をおさまえている看護師さんに「おはよう〜」と微笑みかけられると
あ!看護師さん!!おはよう!!!ぼく今日も元気です!!!看護師さんはどう!?てかLINEやってる!?!?
みたいなレベルで鼻息荒くバタバタする。
そうか、つまり君はそういうやつなんだな
まあ確かに看護師さんは優しく美しく、なにより君の命を守ってくれる存在だ。よく分かっていやがる。

看護師さんによると、その日は採血と、他の患者さんとの調整にもよるが心エコー・心電図の検査に呼ばれる可能性もあるとのことだった。このまま症状が落ち着いていれば点滴のポートが外れ、検査の結果によっては感染対応の解除になるので、部屋を出て病棟を散歩できるようになるらしい。思ったより早くあれこれ進んでいる。

心エコーでは、川崎病の病変、後遺症として最も恐ろしい冠動脈瘤の有無を調べることになる。

***

冠動脈瘤とは

心臓の筋肉に血液を送る動脈「冠動脈」で、血管の一部が膨らんで文字通りコブのようになってしまう症状。瘤が大きいほど、血液がそこでぐるぐると乱流して血栓(血の塊)ができやすくなる。血栓により血管が詰まると、全身に十分な血液を送れなくなってしまう。

***

川崎病では、血管の炎症により血管の壁が薄くなるため、そこに血液が流れ込むことで瘤ができることがある。また、病変は発症後しばらくしてから現れることもあり、検査は1回では終わらない。問題なさそうに見えても、約5年は経過観察になるようだ。

川崎病闘病生活第一章の佳境となりそうだった。


まずは血液検査からで、病室に感染免疫科の先生がやってきて準備に取り掛かった。
処置中、親は部屋を出されてしまう。血友病である以上、いずれは必ず私がたんたに注射を打つようになるので、慣れるためにも注射の場面はなるべく見ておきたいような気もした(実際、前日のヘムライブラでは主治医から「見ておいてくださいね」と前置きされていた)。が、仕方がない。
そういえば、生後2週間で血友病の検査をしたときも、救急外来に来てすぐの検査でも、採血の際は必ず「たんたくんを一旦お預かりしますね」だった。一方、予防接種のときは「お母さんは頭を押さえておいてくださいね」だ。この違いは何故だろう?

「終わりました」と呼ばれて戻ると、意外にもたんたはケロりとしていた。「ちょっとしか泣かなかったです。強いですね」、と、先生は笑った。
赤ちゃんの採血ではよくある内出血が残ってしまったが、これはヘムライブラの効きを見るのにピッタリなのではないか?とすかさず写真を撮った。血液検査の結果などは専門知識がないとよく分からないが、内出血なら見るだけで血が止まっていそうか広がっていそうかわかる。毎日観察しよう、と意気込んだ後で、痛そうなアザができたというのにそんな考えが先にきてしまったことをちょっぴり申し訳なく思った。



10時半頃、この後心エコーと心電図ができそうだと呼ばれた。検査は眠った状態で行われるため、トリクロリールシロップ(眠くなるお薬)を服用する。前日のエムラパッチに引き続き、あんまり飲ませたくないなあという思いはあったがそうも言っていられない。
授乳の直後だったので結構嫌がったものの、なんとか飲みきることができた。

20分くらいして、眠ったたんたをストレッチャーに寝かせた。可愛らしいパステルカラーの台に、ものものしい酸素ボンベが括り付けられているのがなんとも言えない。これまでにあらゆる事情の子どもを乗せてきたに違いない。
ストレッチャーを押す看護師さんの後に続いて、検査室へ向かった。エレベーターを降りると、まずは心エコーの部屋に吸い込まれていった。ここでも、「お母さんは外でお待ちください」だった。

検査が予定より5分長くかかっているだけで、全身から変な汗が湧き、視界もぼやけてくる。どうか、どうか、何事もありませんように。

技師さんの「終わりました」の声は、大丈夫だったのかどうなのか、さっぱり読み取れない平坦な調子だった。
次は心電図の部屋へ。心電図検査には職業柄馴染みがある(小学1年生に実施されるため)。どのように行われる検査か、ということを知っているだけでも安心感が桁違いだったので、インフォームド・コンセントというのは本当に大事なようだ。そして予想通り、心電図検査はそんなに時間もかからず終わった。

部屋に戻ってきて、たんたをベッドに戻した。
「薬が切れた後は、水かミルクでむせたりしないか確認してからの授乳になるので、目を覚ましたらナースコール押してくださいね」と言って看護師さんは去っていった。

この時点で12時だったが、たんたはそれから1時間半ほど眠り続けた。
起きてからは、ミルクも問題なく飲めそうだったので、授乳を済ませてようやく病室を出られたのは14時だった。病棟の廊下にドナルド・マクドナルド・ハウスのおもちゃのカートが来ており、人だかりができていた。子どもに合わせて、どれでも好きなものを持っていっていいというので、くまのぬいぐるみを手に取った。すると、スタッフさんから「ママはどれにしますか?」と疲労ケアグッズを差し出された。ありがたくめぐりズムのアイマスク(森林浴の香り)をいただくことにした。

外で食事をしながら、出費がかさむのでそろそろお弁当を作らねばと考えた。そのためには、少し早く帰るか、睡眠時間を削るか。往復2時間という距離がじわじわしんどくなってくる頃だった。




戻ってしばらくして、血液検査と心エコー、心電図の結果がでた。数値は良好、心臓にも初見なしということで、またひと山乗り越えた。
感染対応も消え、翌日から沐浴室での入浴と病棟内の散歩が許可された。素直に嬉しかった。

また少し遊んで、夜のバイタルチェックを見守り、授乳をしたら、この日の仕事は終了。冷凍母乳はしっかり夜勤の看護師さんに引き継がれており、「泣いたらまず母乳を使わせていただきますね!お母さんお疲れさまでした」と見送ってくれた。

廊下に出ると、別な部屋から聞こえてくる色々な声が気になった。赤ちゃんの泣き声、薬を嫌がる声、帰ってしまうママを引き留めようとする声。ああ、ここにはたんた以外にもたくさんの子どもたちが病と闘いながら生活をしているんだ。気付くのが遅すぎるくらいだったが、それだけ今日まで必死だったとも言える。
彼らの身体がよくなり、家族の元へ帰れることを、ただ祈った。




20時半頃家に帰りつけたので、おでんを食べながらわたことまめこの保育園話を聞くことができた。旦那さんは、おでんの鍋の底を少し焦がしてしまったと落ち込んでいた。
付き添いが楽だとは言わないが、旦那さんには家事と保育園関係でかなり負担をかけてしまっている。無理はしないが、できることはやろう。目の前のことを、ひとつずつ。今はそれでいい。


4日目に続く

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