血友病vs川崎病vsダークライ 2日目

前日譚
1日目


2日目を始める前に、実は、1日目の就寝までの間に購入した搾乳器とのバトルがあったことを記しておく。
幸運なことに私は母乳には困らない体質であり、姉2人の頃からミルクというものをほとんど使ったことがない。飲み手も総じて優秀で、生まれてすぐから上手く咥えることができたので、おっぱいの次は哺乳瓶をすっとばしてストローマグであった。

そんなわけで、搾って届ければ夜間も母乳でいけるだろうと軽い気持ちで使い始めた搾乳器だったが、なんと両胸で50mlも取れない。もうすぐ4ヶ月になるたんたの授乳1回分の目安は200mlなので、全く足りない。しかし、もう眠らないと、たんたが発熱した日から慢性的に続く睡眠不足で往復2時間の運転は非常によろしくない。
必死にカシャカシャしても哺乳瓶の底に滴る母乳は雀の涙。眠気でグラグラし、一瞬意識を失いかけたその瞬間、思い切り母乳が出た気がした。
今何が起きた?
脳内をマザー牧場のホルスタインが右から左へ歩いていく。
あれ、これもしかしてカシャカシャじゃなくてギューって使うやつじゃね?

飼育員さんが、「上から下にぎゅうっと握ってね〜」とわたこに声をかけていたっけな。


モォーーーーーー!!!!!!!!


どっと疲れ、諦めて寝た。


(念の為、私は個人的にはなるべく母乳を与えたいだけで、特に母乳推しだったり母乳神話を信じていたりするわけではないです。母乳もミルクも混合も、それぞれ事情も苦労も喜びもあって、赤ちゃんを一生懸命に育てる源。みーんな尊いね。)



というわけでここからが本当の2日目。
5時半に起床し、洗濯物を処理しながら哺乳瓶と搾乳器を煮沸消毒していた。寝起きは流石に母乳が溜まっている感じもする。
あれやってこれやって、7時には出発したい、などと考えながら、消毒の終わった瓶をトングで挟み持ち上げた瞬間、熱湯を利き手の甲に思い切りかけてしまった。
流水で冷やしながら、自分の不注意と貴重な朝のタイムロスを嘆いた。搾乳の方は、夜のうちにコツを掴んでいたので、スムーズに150mlも取れた。ありがとうマザー牧場の牛さん。と、飼育員さん。冷凍庫に収めて一安心した。手の甲はヒリヒリしていた。

わたことまめこは、旦那さんに「今起きないとママ出発しちゃうよ〜!」と促され、いつもより早く降りてきた。髪を結ってやりながら、この子たちにとってこの期間をを寂しさや我慢の記憶ではなく今後に活かせる経験、成長の機会にしたいと考えていた。親としての腕が試される。
出発前にしっかりハグして、ふたりともぐずることなく送り出してくれた。後から、旦那さんとまめこが着替えをめぐりバチバチしたらしいが、それはまた別な話。先は長いのでがんばってほしい。



朝ごはんを食べている時間がなく、またマクドナルドをドライブスルーした。自分を奮い立たせるため、朝マックのセットにアップルパイをプラスした。

朝は通勤ラッシュで1時間以上かかる道のりを、メド歌に励まされながら進んだ。メドレーは1本1本が長めな上飽きがこない造りなので、運転中に最適だと思う。
この日からは一般の駐車場に停めることになる。外来のときは、いつも到着してから30分は車庫に入れないというとんでもない混みようなのだが、午前8時過ぎの駐車場は全く車がいなくて感動した。

エレベーターホールには面会の保護者らしい人がぱらぱらと居て、みんなみんなお疲れさまです、と念を送った。



病室のたんたは眠っていたが、カーテンを開けた光でぱちりと起きた。目を合わせるとにやーっと笑って「あうー」と挨拶。ご機嫌である。
パッと見で唇の赤みは残っていたが、手はすっかり元通りだった。すぐに夜勤の看護師さんが訪れ、夜間の様子を教えてくれた。ミルクの飲みは元気な時の母乳の間隔とあまり変わらなかった。基本的によく眠れており、哺乳瓶拒否も起きていないようで安心した。
肝心の熱は夜の間に下がっており、発疹もかなり引いていた。何をしても反応がよく返ってきて、家で看病していた数日間がいかにしんどかったのか改めて伝わってきた。ぶり返しの可能性もあるが、とにかく、よかった。

しばらくして日勤の看護師さんがやってきて、「点滴がお昼頃終わるので、今日はそれからベッドの上でシャワーをしますね」と言われた。
ベッドの上で?シャワー?
めちゃめちゃ疑問符が浮かんでいたが、とりあえずハーイと返した。

看護師さんが体温と血圧のチェックをしている間、持ってきた着替えを棚にしまおうとしたが、よく考えたら借りている病院着は半袖で、用意したのはいつもの長袖だった。看護師さんに訊くと、病院内は温かく、特に体温の高い赤ちゃんは半袖で充分だし、注射などの処置や着替えもさせやすいですよと言われた。昨日のうちに聞きたかった、というか、準備の時点で気付いてもよさそうだが、やはり昨日の私はポンコツに輪をかけてポンコツだった。

熱は36.0℃。様子も、いつものたんたに戻っていた。
この日はヘムライブラの注射が予定されていた。


***
ここで薬の説明を追加しておく。
血友病の補充療法に使われる薬は大きくわけて2種類ある。

1つ目は、血液凝固因子製剤と言って、血友病の原因となる、体内に足りていない成分(「血液凝固因子」、たんたの場合は12個ある凝固因子のうちの「第Ⅷ因子」)を精製したものである。ヒトの血液から作られたものや、ハムスターの腎細胞を用いたものなど、更に細かくいくつかの種類に分かれるらしい。
投与の際は、静脈内注射といって、点滴や採血のように針を血管に入れる必要がある。

2つ目は血液凝固因子“機能代替”製剤という。これは、本来の因子とはモノも機序が全く違うが、とりあえず出血したときに血が流れっぱなしにならないよう止めることができる、という代物だ。イメージとしては、血液凝固因子が精巧な部品を嵌めながら順番通りに血液を固めていくとすれば、“機能代替”製剤の成分はボンドやゴムバンドのようなものでくっつけるような感じらしい。コンタクトスポーツのような激しい運動には耐えられないこともあるとの話だった。
こちらは皮下注射、インフルエンザの予防接種と変わらず、皮がつまめる所、上腕や太もも、腹部などに打つのが一般的である。

ヘムライブラは後者である。
血管が細くムチムチの赤ちゃんには、静脈内注射を打つのが難しいことと、激しい運動もしないので、ヘムライブラで充分カバーできるだろうということを踏まえて、主治医の勧めに従った。
残念な点は、静脈内注射なら針が入ってしまえば注入に痛みを感じないが、皮下注射は薬が入っていく間ずっと痛みを伴うこと。また、比較的新しい薬なので、長期の投与による副作用のリスクが明らかになっていないことだった。

そもそも、因子製剤があるのに何故“代替機能”の薬が生まれたのかという「インヒビター」の話は、長くなるので機会があれば書こうと思う。

***

注射の準備として、エムラパッチという、魚の目コロリを大きくしたような形状の薬がたんたの太ももに貼られた。針を刺す痛みをほぼカットできる局所麻酔だというから驚いた。
注射の痛みくらい、耐えさせても…と一瞬思ったが、無痛分娩の是非を争うネット議論を思い出し口からは出さなかった。痛みに耐えてこそ強くなるとか、優しくなるとか、という考えはそもそも不本意だ。個人的に、注射針の痛みを与える抵抗感と比べて乳児に麻酔を使うという気持ち悪さ(副作用などのリスク)が勝っていると言うのが正しい。この期に及んで、薬は、必要でなければあまり使いたくないものなのだ。ただ、視点を変えれば、恐らく一生付き合うことになる注射をなるべく嫌いにならないように配慮するというのも、実に重要なケアだと考えられた。どんな分野でもそうだが、総合的に見て何が最善かというのは常に考えて居なければならないのだなと思った。

エムラパッチを貼って1時間後、予定通りヘムライブラが注射された。次は1週間後だ。痛みがどうだったのかは、たんたにしか分からない。




その後、気になっていた“ベッドの上でシャワー”の時間がやってきた。清拭の一部始終をあんなに興味津々に観察するのは私くらいだと思う。看護師さんもさぞやりにくかったことだろう。
まず、ペットシートの強力版といった感じの吸水シートをベッドに敷き、その上に裸のたんたを寝かせる。シャワーヘッドのついたボトルの中にお湯が入っており、凹ませるとお湯が流れるので、頭や身体を流していく。ペットボトルのじょうろに近い。あとは、お風呂と同じようにベビーソープで頭と身体を洗うだけ。看護師さんは足の指も1本1本洗ってくださるので、思わず「よかったな!家で母ちゃんが洗うより100倍丁寧だぞ!」と言ったら、変な顔をしているたんたに代わって看護師さんが笑ってくれた。優しい。
しかし、これから全身を流すのにボトルのお湯が全然足りないのでは?と思いながらみていたら、さっと部屋の水道から補充していた。なるほど、病室にいながらいつでも適温が出せるのだ。すげぇ。
泡を綺麗に流したら、ベッドの余剰スペースに広げたバスタオルの上にたんたを移動させてもらい、私が拭いてから服を着せる。看護師さんは、シートを片付けてタオルを回収し、手を洗って、終了。
惚れ惚れする手際の良さだった。
ただ、看護師さん、点滴終わってからって言ってなかった?当たり前のようにタオルでカバーしながら洗い終えてしまった。きっと、患者の様子や希望に合わせて一日に何回もスケジューリングし直すのだろう。お疲れさまです。

さて、この日はおもちゃもいくつか持ち出てきていた。ラトルやパペットなどを目の前に出すと、こんなに好きだったか?と思うほど食い付きがよかった。退屈していたのかもしれない。
しかし朝から大騒ぎの注射、シャワーと続いていたこともあり、少し遊ぶと眠くなってきた様子だったので、トントンで寝かしつけをした。抱っこをせがまずすんなりと眠りに入ったあたりが、まだ体力が完全回復したわけでは無いことを示していた。



看護師さんに寝ているたんたを引き継ぎ、昼ご飯を食べに外へ出た。
あまり食べたいものもなかったが、病院の目の前の建物にスターバックスが入っていた。以前、産後育児の息抜きにといただいていたドリンクチケットがあったのを思い出し、ありがたく使わせていただくことにした。期間限定のさくらミルクを、店員さんのおすすめで豆乳にして頼んでみたら、とても優しい春の味だった。フードは、エビアボカドのサラダロールとチョコレートチャンクスコーンにした。久々の1人時間の贅沢に、お腹もだが、気力も回復していくのを感じた。


病室に戻るのと、免疫グロブリンの点滴が落ち切るのがほぼ同時だった。
症状がぶり返す可能性もあるためポートは残したままだが、ひとつ管が外されて、少しだけ自由を取り戻したたんただった。

旦那さんが午後お休みを使って面会に来てくれたのだが、電車が止まって迂回した挙句、やっとの思いで到着すると肝心のたんたはまだすやすやと眠っていた。そして残念ながら、旦那さんの面会中にたんたが起きることはなかった。結構こういう間の悪さがある人だ。
代わりに、前日に忙しすぎてできていなかった入院治療に関する詳しい情報共有や、今後の作戦会議をした。旦那さんは、たくさん質問したり意見を言ったりした。めちゃくちゃに「自分事」として考えてくれていた。私たち夫婦は、ここを乗り越えて更に戦友としての絆を深められるだろう。そう思った。



パパの訪問を知らないたんたが目を覚ましたので、点滴ポートを固定してある板も一旦テープを剥がして外し、ベタベタを綺麗に拭いてもらった。再び取り付けることにはなるのだが、スッキリ清潔になった。たんたは板のついた腕を振り回していたが、あまり邪魔とは思っていないようだ(足の指につけられた酸素濃度の測定器は、反対の足でもう何度も外しているが、腕に対してはそのような仕草がみられなかった)。テンションが高めで、厨二病に見えなくもない。

その後は、たんたの遊び相手をしつつ、入院の手引きや病棟での過ごし方に関するリーフレットに目を通し始めた。疲れているからかあまり頭に入らなかった。これから手続きも色々ある。ああ、そういえば保健所に提出の書類もひとつ済んでいなかった。保育園も、預かり時間を変更できるならそうしたい…
先のことを考えると頭がくらくらしてきて、たんたの笑顔を見てなんとか気を取り直した。

夕方、フロベンの内服があった。粉薬を水で溶かし、シリンジで吸って、頬にそわせて流す。ちょっと嫌な顔はしていたが、ちゃんと飲み込むことができていた。これでこの日の治療スケジュールは終了となった。
次の授乳が終わったら帰ろう!今日は早めに帰って、わたことまめことお風呂に入ろう。と考えているところに、
「近所のスーパー銭湯に行ってきます!」
の連絡が入っていた。

…。
ご飯とお風呂をまとめて済ませてしまえるから、急いで帰って来なくても大丈夫だよ!と気を遣ってくれたのはよく分かるのだが結構こういう間の悪さがある人だ。




勿論、家に帰って一人でゆっくりお風呂に入るのも悪くなかった。お風呂上がりに搾乳してみたが、どうやら夜はそもそも出が悪いらしい。夜中に起きたらもう一度挑戦してみよう。起きられなければそのまま回復に努めよう。

銭湯から帰ったわたまめはたんたの写真や動画を観たがったので、布団に入って少しだけ眺めた。画面に向かって「がんばれー!」とエールを送っていた。
その後、甘えるでもなく騒ぐでもなく、いつものように就寝。いつの間にかこの子たちもしっかりしたお姉ちゃんになっていて、びっくりする。
私も成長しなくては。



3日目に続く


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