血友病vs川崎病vsダークライ 11日目

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どこかそわそわして落ち着かない朝だった。
心エコーは恐らく今日行われる。そこで何の問題もなければ、晴れて明日退院となる。半月かかる心構えでいたこともあり、本当に大丈夫なのか?という疑問が浮かんできてしまう。あんなにも家に連れて帰りたいと思っていたのに、不思議なことだ。浮き足立ちながら、最後になるかもしれない弁当を準備した。

わたこの背中はというと、まるで何もなかったかのように元気になっており、起きてきての第一声が「せなかの(湿布を)はがして〜」だった。何か大きな病が隠れているのではないか、という心配はどうやら杞憂に終わったようだ。



病院に着き、いつものように病室に入ろうとして、看護師さんに呼び止められた。
「○○ちゃんのお母さまですか?」

はい?

尋ねられたのは聞き覚えのない子の名前である。一歩下がって見ると、ドアの外側にビニールのエプロンや手袋がすぐ取り出せるよう設置され、一度解除された感染対応が復活しているようだった。
「いえ、ザ(苗字)と申しますが…」
「やっぱり!ごめんなさい、昨日個室が必要で移動になったんです。担当がご案内しますね」

焦った〜〜〜〜〜。



案内の看護師さんに連れられ、大部屋に入った。転落防止の高い柵のついたベッドが4つあり、いちばん手前にたんたがいた。向かいのベッドの子が薬を嫌がって盛大にぐずっている中、貫禄の大の字で爆睡中であった。荷物は全て看護師さんが運んでくれたようであった。
授乳や電話など、利便性で言えば個室の方がありがたい部分はあるが、大部屋に移されるということは症状が重篤でなくなったということの証明に思えて嬉しかった。

ほどなくしてたんたは目を覚まし、泣いている子の方を少し見やった気もしたが、我関せずでこちらに愛嬌を振りまいたり、おもちゃで遊んだりしていた。個室と居心地が大きく変わった様子はなかった。

ところで、この10日間強でたんたはかなりおもちゃで遊べるようになった。入院前も多少はおもちゃをつかってあやしていたが、反応が劇的に良くなってきている。
入院時にもらった入院生活の手引きには、「おもちゃは5つまで持ち込み可」とあったので、たんたにとって戦友ともなる5つを厳選し、家から持ち込んでいた。

3-4ヶ月児 5種の神器

①オーボール ②ラトル(あらぺこあおむし) ③歯固め(バナナ)
④布絵本(もぐもぐばあ) ⑤パペット(星の王子さま)

なるべく多様な種類で、と思っても、3-4ヶ月児の遊びの幅などそんなにあるものでもない。目を引く色で、怪我や誤飲の心配がなく、素材は布かシリコンなど洗って清潔を保ちやすいもの…といった具合に揃えた結果こうなった。
これらのおもちゃ、入院前は偶然で握れることはあっても、「意思を持って掴む」というところまで達していなかったのだが、視界に入ると自分から手を伸ばすほどに成長していた。特にオーボールは、握力が弱くても握りやすいようで、振ったり舐めたりしばらく遊んでいられるようになった。
また、とにかく丸がふたつ並んでいると「目」という認識になるらしく、人形に対して笑いかけたり何かおしゃべりしたりする様子もたくさんみられた。パペットを顔の前にひょこっと出すと、看護師さんたちに対してやるように、腕を振って大喜びだ。なるほど、君は母ちゃんに対してだけテンション低めなのか。それはそれで特別な反応なのかなと自分を納得させた。

私は赤ちゃん相手でも遊んだり喋ったりするのが好きで、暇があるとつい構ってしまいがちなのだが、構われない時間が多少ある環境の方が、自分で何かしてみようと思えるのかもしれなかった。


担当の看護師さんによるバイタルチェックが終わり、退院準備について説明があった。忘れ物がないようにそろそろ荷物をまとめて、今日持ち帰れるものは持ち帰るようにとの指示だった。検査がまだの内に退院前提での話が進んでいるので、上げて落とすのだけはやめてほしいなと思いつつ、入院翌日から置きっ放しになっていたボストンバッグにものを仕舞い始めた。バッグは、たんたの出産で入院するときに新しく買ったものだったが、まさかこんなすぐにもう一度活躍してくれるとは思わなかった。

大部屋に移って一番の不便は、オムツを捨てられる専用のゴミ箱からとても離れてしまったことだった。昨日までの部屋は、ほぼ目の前がゴミ箱のあるトイレだったので、オムツ交換が頻回でもさっと捨てられて助かっていた。たんたの成長の早さに追いつかず、もうすぐサイズアウトしてしまいそうなオムツがまだたくさん残っているので、もったいながらずにちょっと濡れたらすぐ交換しているという事情もある。
とはいえ、まあ、どうせ今日明日のことだしな…とすっかり帰れる気持ちで、何度も廊下を行ったり来たりしていた。何回目かでスタッフステーションの前を通ったとき、セキュリティロックのかかっている自動ドアの向こう側を、見たこもない数の医療スタッフらしき方々がそろぞろ移動していた。白衣の人もいれば、スーツの人もおり、みんなバインダーを抱えている。白い巨塔か?と思いつつ、頭の中には半沢直樹のテーマが流れていた。そういう物々しい雰囲気だった。

向かい側の病棟に入っていったのを見届けてから病室に帰ると、窓際に置いておいたバッグ類が全て棚と椅子に移動してあった。掃除の邪魔だったかな、と反省していると、直後に先日腰痛トークをした清掃スタッフさんが入ってきて、「お掃除入りまーす」と明るいトーンで挨拶してくれたので、ん???となった。
やや遅れて看護師さんが「あっ、すみません、お荷物少し移動しました」というので、ここ置いちゃダメだったんですね!すみません!と返すと「いや、普段はあまり気にしないんですけどね、今日はちょっと監査が入るので…」
なるほど、点と線が繋がった。病院の仕事にもそういう面倒ごと(もちろん、実施の必要性はあるが、現場にとっては給料が上がるわけでもないのに仕事量が増えて手間なもの)はあるのだな。しかし、患者の荷物にまで気をつけなきゃならないなんて、看護師の仕事の領域を超えている気がする。

”監査”的な行事に備え、どうでもいいような細かいことを徹底するために時間外の時間まで奪われ、本来やるべき仕事に手が回らなくなるのが当たり前になってしまっている自らの職場を思い出し、少し頭が痛くなった。育休中なのにもう働きたくないでござる。


検査に備え、お昼前に予約を入れてもらっていた沐浴を済ませた。モニターをつけにきた看護師さんに、「(検査に向けてなるべく深い眠りにつかせるため、)この後はなるべくギリギリまで起こしておいてください!」と言われた。それでももう限界、となったらナースコールを押し、その時検査にねじ込めるか確認するとのことだった。
看護師さんが部屋を出ていったあとで、いつ呼ばれるかもわからないのに起こしておけと言われてもなあ…と苦い顔をしていると、「赤ちゃんに寝るなったって無理よね」と奥の方で他の子の相手をしていた病棟保育士さんが笑いかけてくれた。心が軽くなった。
おもちゃや絵本を取っ替え引っ替えしながらなんとか引っ張ってみたが、やはりそんなに長くはもたなかった。3-4ヶ月児の連続活動時間なんぞ、せいぜい1時間半〜2時間な上、なにせお風呂が一番体力を使うのである。お声がかからないうちに、たんたは左手の指を吸って、ぐずりもせずに「もう俺寝ますわ」という意思を見せ始めた。

ここで、一つ希望があった。看護師さんが、説明のときに「薬を使わなくても、検査ができるくらい深く眠っていればOK」という一言を残していたことだ。

前回の検査の日の記事に、麻酔や睡眠導入剤について、できることならあまり使いたくないというような話を書いた。当たり前だが、たんたに処方されるお薬は安全性が高く、効き目もごく僅かなものである。幼児でも薬に打ち勝ってしまい眠れない子もいるくらいらしい。看護師さんたちが、眠った子を起こさないよう細心の注意を払って搬送していく様子からも、あまり強い薬でないことはわかる。それでも、どうしても、気持ちが悪いのだ。
実際に、朝から泣いていた同じ部屋の子は、検査のためのシロップを飲んだものの眠りに至らず、別な薬を使ったようだった。それでもだめだった場合はもう一種類別な薬を…その次は…と説明されているのが聞こえてきていて、怖くなった。そんなにあれこれ薬を使われるくらいなら、一発ガツンと点滴で眠らせてもらったほうがマシに思える。

自然な眠りのうちに検査をしてもらえるのであればしめたものだと思っていたので、もう寝落ちてしまってからナースコールを押そう、と画策していたのだが、残念ながら看護師さんが部屋に入ってきて、眠りかけのたんたに気づいてしまった。くっ。大部屋め。
「今ナースコール押そうと思ってました〜〜(白々しい)」
「わかりました!今エコー室の順番を確認するので、OKならお薬飲ませちゃいましょう」
「(ほっときゃ寝るのになあ)」

看護師さんが確認に行っている間、”寝てしまえ〜〜”と念を送ってみたものの、エコー室からはあっという間にOKが出てしまい、微妙に親指を吸い続けたままのたんたは結局薬を飲まされることになった。無念。

飲んでから5分で眠ってしまったたんただったが、早すぎてまだ心エコー室が開かないとのことで、また呼ばれるまで待つことになった。申し訳程度に薄暗くしたカーテンの内側で、静寂の時間が流れた。



一度目は長く感じたエコー検査も、目処が立っていれば落ち着いて待てるものだった。その後、たんたは日が暮れるまで眠り続けた。眠っている間に検査結果が出てしまったほどだった。

たんたは冠動脈に僅かな広がり(太くなった様子)が見られるものの、瘤は確認されず、入院での追加治療も必要なしということで翌日退院の許可が下りた。その広がりも、赤ちゃんなので今後元に戻るかもしれないし、狭まらないにせよ成長とともに正常の範囲に収まるかもしれないし、ずっと残るかもしれないもので、いずれにせよ今の段階では何か健康に害が出るようなものではなく、経過を観察していくしかない、とのことだった。
検査結果を伝えにきた担当医は、眠っているたんたに「よかったねぇ」、と笑いかけて、人差し指で握手をして去っていった。感謝を述べながら、しばらく頭を上げられなかった。最敬礼は、必要な時には勝手に出るものだなと思った。



この日は、退院着やオムツなど最低限のものを残し、あとの荷物をバッグに全部詰めて早めに引き上げた。
家に戻ってわたことまめこに退院について伝えると、大喜びの舞をしていた。ふたりもよくがんばった。旦那さんも、私も、よくがんばった。

翌日の雪の予報だけやや心配しながら、眠りについた。


12日目(最終日)に続く


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