血友病vs川崎病vsダークライ 12日目

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眠い目をこすりながら起き上がると、旦那さんがもうちゃきちゃきと動いている。退院が決まり、ほっとして気の抜けた私とは対照的に、旦那さんはたんたを迎えるために張り切って掃除機までかけていた。
自他共に認める子煩悩な旦那さんは、入院中1回しかたんたに会えていない。明らかにウキウキしている。なんだか退院祝いに新しい洋服やおもちゃを買い与えそうな勢いである。

そんな旦那さんに「雪やばいね、」と言われるまで、降っていることに気が付かなかった。シャッターを開けると、3月だというのに外が真っ白だった。
雪の朝というのは、目が覚めたその瞬間に予感するものがある。鼻先の冷たさ、しんとした空気、湿度と匂い。ぼやぼやしていたとはいえ、そういったものを一切察知できなかったのがちょっと切なかった。歳をとっても失いたくない感覚、鈍らせないようにするにはどうしたらいいのだろう…
この日は珍しくまめこが先に起きてきて、窓の外を見るなり「わあーーーーーっ!」と飛び跳ねた。想像しうる限り最高のリアクションに、若返りのパワーをもらったような気もした。



もともと通勤ラッシュでひどい混雑が起こる道のりは、雪の影響でさらにノロノロしていた。もう今日は帰るだけ、と余裕をかましていたが、10時の退院手続きのため、9時半には病室に居てくださいと言われていたのだった。ちょっとあやしい。しかし、こういう時に近道をしようとして上手くいった試しもないので、大人しく車の行列に並んで進んだ。

なんとか時間までにたどり着いたが、慌てていたので一度廊下を個室の方に行きかけ、そそくさと引き返して大部屋のドアを開けた。
たんたはぱっちり目を覚ましており、こちらではなく部屋の奥を見つめているようだった。視線の先では、病棟保育士さんによる「朝の会」が行われていた。名前を呼ばれた子どもが返事をし、みんなで季節の歌を歌い始める。たんたより少しお兄さん、お姉さんな幼児さんたちが、それぞれの状態に合わせてその集いを楽しんでいた。

日常がそこにあった。

たんたが退院しても、当たり前にここで過ごす子どもたちがいる。毎日、新しい子どもたちが入ってきては、去っていく。命が繋がれていく。あるいは、ここで終わってもいく。その場所にも、日常を紡ぐ人のおかげで、日常は、ある。

学生時代に、院内学級(病弱特別支援学校)の先生を特別講師に招いた印象的な授業があった。その先生が最初に放った一言は、「我々のロッカーには、常に喪服が入っています」だった。

生きる力の源になるものとは、なんだろうか。
命を全うするとは、どういうことだろうか。

異なる道を進みながら等しく死に向かう誰もが。
明日、世界がなくなるとしても、りんごの木を植えるように。

私は何をしていこう。

改めて考えさせられる機会になった。



会計の前に、家で飲み続けることになる薬を看護師さんから受け取った。
アスピリンは朝1回の服用なので、いつも面会に来る頃には済んでおり、実物を見るのは初めてだった。見たこともないほどの少量で小分けにされたその粉薬は、粗塩くらいの粒の大きさをしていた。
てっきりアスピリンもフロベンと同様に、水と混ぜてシリンジで与えるものだと思っていたが、水に溶けない性質なので粉のまま口に入れるしかないらしい。まじでか。
これまで、子どもに粉薬を飲ませるときには「おくすりのめたね」に頼りまくってきたが、離乳食も始まっていないたんたには使えない。看護師さんは、「ちょっとだし味もないものなので、サッと入れちゃえば大丈夫ですよ〜」と言う。実際にここ三日、毎朝きちんと飲んでいるらしいのだった。それでも、これまで数々の薬を拒否されてきた母親としては、不安が拭えなかった。
また、一日二回のインクレミンシロップも同時に処方された。こちらは8ml×2回×17日分で、見たこともないほどの大きいボトルで渡された。当然、薬は薬袋に入りきらず、大きめのジップロックで渡された。



会計処理が済んだとのことで、一度たんたを看護師さんに預けて退院受付のカウンターへ向かった。外来の受付と同じ階にあるが、面会時には通らない場所なのでやけに久しぶりに感じた。入院受付も近くにあり、そうか、緊急でない場合はここで手続きするんだな、と当たり前のことを感慨深く思った。
会計では、住んでいる地域の助成があるため、食費だけお支払いいただく形ですねと言われた。ありがたいなあ、と思いつつ食費の清算をしてから、あれ、食費って?私、毎日母乳をあげていたような…?
明細を見ると、入院費と退院日以外はしっかり三食分ずつ請求されている。受付の方に、入院しているのが乳児で、少なくとも昼間はミルクをもらっていない旨を伝えると、「そうでしたか!」と謝罪され、病棟に確認して次回以降の受診の際に再清算します、と、支払ったお金を差し戻していただいた。いつも忙しそうなのに、対応が素早くて感動した。重ね重ね、ありがたかった。

*ちなみに、以前紹介した小児慢性特定疾病の申請が通っていると、食費の自己負担額も二分の一程度になります。この時点では申請が済んでいませんでしたが、退院後すぐに保健所に申請しに行き、1ヶ月は遡って適用できるとのことなので、ちょっと返ってくるかもしれません。



病室に戻ってきて、いよいよ退院となった。外はもう明るく晴れていて、見下ろす道路のあちこちで水溜まりになってしまった雪がキラキラと光っている。

看護師さんにモニターを外してもらい、たんたを長袖の洋服に着替えさせた。前日のうちに運び出しておいたおかげで、荷物はリュックひとつになんとか収まった。看護師さんに手伝ってもらいつつ、久しぶりの抱っこ紐に収まったたんたは、「ふぃ〜」と一仕事終えたオッサンのような声を出した。

お疲れさん。

ナースステーションに挨拶をして、病棟をでた。
エレベーターの前に「ここは入院フロアです」という表示があったので、記念に写真を撮った。

お世話になりました!

かくして、たんたは我が家に帰ってきた。たくさんの人に応援され、たくさんの人の力で生かされた小さな命は、今も堂々としたばんざいで眠っている。握った拳に、未来が詰まっている。
これからあなたが寝返りをし、座り、立ち、歩き出す、その成長のひとつひとつを見届ける度に、感謝の気持ちを忘れないでいよう。そして、いずれあなたが立ち直れないような、人を信じられなくなるような、何かひどい経験をしたときには、話して聞かせよう。あなたが、ただ元気で生きていることだけを願った、二週間たらずのこの日々を。

血友病と川崎病、いずれも付き合いの長い病気にはなるが、困難を乗り越えた分だけ強く賢く面白く世の中を生き抜ける大器になると信じている。




血友病vs川崎病vsダークライ 完

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