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⑬年商10億円規模までの会社がコロナ後も生き残るために大事なこと~都銀出身・元焼肉店経営・元不動産投資家・地方在住、経営コンサル2年目の気付き~コラム2焼肉店オーナー編

焼肉店オーナー時代に学んだこと

⑬~⑮回くらいまで、私の経営者時代のことを振り返ってみようと思います。

今はひとり会社で肩書きこそ代表取締役ですが、スタッフはいないので実質は個人事業主のような立場です。

過去の解釈は無数にできますが、より良い未来に進むために考察や分析をしてみます。歴史を学ぶのと同じですね。

あるあると言えばそうなんですが、大学3年次に勤めた居酒屋チェーン店での気付きがきっかけです。

岡山市内の中心部の中での少し東部の住宅地と店舗が混在したエリアにある「とりでん原尾島店」で約半年間アルバイトで勤務したことに飲食店事業の着想は始まります。

2003年当時、全国展開する居酒屋チェーン店はまだまだ成長期。今思えば、ITバブル後でしたが、地方都市の景況感は悪くなかったように感じます。

家庭教師・米の集荷と収穫、プロ野球キャンプの手伝いなどはしていたものの、いわゆる一般的なサービス業に従事していなかったので、本格的な就職活動前に経験してみるのもありかな?という軽い感覚でアルバイト情報誌を見て電話しました。

「今から来れる?」とのことでしたので、急いで履歴書を作成し、面接へ。もの覚えは良い方ではなかったので、メモを取りながら面接を受けました。

面接は無事に合格し、まずはホールスタッフとしての役割を与えられました。全国でもトップ5に評価されるお店だったと後から知ったのですが、とにかく社員教育が厳しく感じました。

まだハンディー導入前の店舗で、オーダー時に伝票にメニューを略語で記入していきます。200くらいあったと思うのですが、70%くらいの覚え率で、出勤したところ、先輩にその舐めた姿勢を「ふざけるな!本気でやれ!」と強く叱責されたことを思い出します。この瞬間に、「はっ!」とし、厳しい組織に入ったことを痛感しました。

最初の段階での教育は本当に重要ですね。

ビジネス拡大欲求芽生える

あまりだらだら書いても良くないのでここで何を学んだのかと言うと

「チェーン展開」の無限の可能性です。

こちらのお店では、オーダーシステムこそアナログだったものの、仕入れの発注などのバックヤードの作業はアルバイトでもPCで行えるほどシステム化されていました。研修体系もきちんと構築されており、ジョブローテーションもありました。定期的に本部からメニュー改定があり、スタッフ同士での試食会などの取り組みもきちんとなされていました。

飲食業のニーズはどこにでもあり、且つコピーモデルを作りさえすれば、他店舗での展開もしやすいとのイメージが学生時代に私の頭の片隅にできあがりました。

脱サラ 事業主になる

時間が流れ、銀行員6年目の秋。外資系生命保険会社アリコジャパン(名称当時)に転職しました。

フルコミッションのサラリーマンですので、実質、個人事業主です。

約2年半、必死で営業に取り組みました。事務フローと商品内容がシンプルな生命保険の営業に、自分の性分は合っていました。

マーケットを自ら創り出し、商談し売上を増やしていくプロセスはビジネスのまさに実戦中の実戦であり、よき糧となりました。

商品で差をつけられないのですから、自らの人間性を売り込んでいくしかありません。

ひたすら人と会い続け、お役立ちできるチャンスを伺い、その時にできる最大限のことを提供していくわけです。その中でやっと商談のチャンスが開かれ、成約となっていきます。

プライベートと仕事の境目ない世界です。1年のうち360日はスーツを着ていた時期です。

お役立ちをしていく中で、知人の焼き鳥店が焼肉店へ業態転換するチャレンジに携わる機会を得られました。事業計画を書き、人材を紹介し、どうにか新業態は産声をあげることができました。

この時の経験が、自らの起業に繋がっていきます。

⑭に続く


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