才華

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アニメ・マンガ・映画を「読み」ます。 基本的にはTwitter(https://twitter.com/zaikakotoo)にいます。 長めの記事はブログ (https://www.zaikakotoo.com/ ) に掲載しています。

最近の記事

『VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた』第8話小考

『ぶいでん』、トランジッション、というか、カットとカットの繋ぎが巧みすぎることがそれなりの頻度であり、けっこうびっくりする。 今回は「淡雪ちゃん」が好きだったと嘆く視聴者povに “見せかけて” カメラが回転し、視聴者をわざわざ映した後で、カメラがさらに回って淡雪にカメラを合わせると衣装が(「シュワちゃん」ではなく)「淡雪ちゃん」になっていて、本当に視聴者povに “成って” しまうところがかなり peak だった。 しかもそのあと俯瞰ショットで一瞬で戻る。前半はあと、ス

    • 『義妹生活』第8話小考

      やはり異常アニメかもしれない……。 行間を撮る、間合いを撮るということを、異常ライティングや異常空間設計といっしょにずっとやり続けているのがこのアニメの妙だと思っており、その意味では窓から光が差すところがピークで、そのピークがホットミルクの膜を掻き混ぜる描写とズレているところが、私はむしろ良いと思った。 なぜなら、「開かれ」や「聖なる瞬間」と、それが到来したということを知る瞬間はつねにすでにズレるから。いや、“汗をかいた” “冷たい” “夜中の” コーヒーの氷と対比的に、

      • 『負けヒロインが多すぎる!』第5話小考

        まずもって目に留まるのは、一目見て魚眼っぽいと思うショット群。けれども用法はそれぞれ異なっていて、空間を広く取りつつ “歪んだ” 雰囲気づくりに作用したり、キャラクターたちの注目度を高めつつ簡素な画面に着地しないよう工夫したり、むしろショットを切り取る額縁として機能したり、色々。 5話はとことんカメラの位置やレイアウトに、あからさまなほどにこだわりを感じた話でもあって、たとえばこんなショット群があった。明らかに異様で、ともすると集中は欠いてしまうけれど、個人的には見ていて愉

        • 『小市民シリーズ』第3話小考

          『小市民』3話、肥大した自意識としての空。赤い夕暮れにせよ、雲間に差し込む陽にせよ、空はあからさまに分かりやすく表情を変えるけれど、むしろそのあからさまな在りようこそが、世界と呼応してしまう思春期の自意識をよくよく表していると感じた。 境界線が2人を分かつ構図は3話でも健在。全体でディレクションがあるのだろうか……? とはいえもちろん、静的な絵作りをしていた1話や線の美学を醸していた2話とは3話はまた印象が異なっているように感じた。 3話もまた、ほとんどFIXで進行して、

        『VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた』第8話小考

        マガジン

        • 『天気の子』は「幼稚」な物語か?
          4本
        • 直井文人は神である。
          4本

        記事

          公転する太陽──山田尚子『きみの色』における惑星とポエジーについて

          ※本記事はネタバレを含みます。 “太陽” としてのトツ子『きみの色』は、トツ子が “太陽” であることが明らかになるまでの物語だ。 「もし自分の色が見えるのなら、それはどんな色なんだろう?」 そう問うたトツ子は、物語の終盤、てのひらを太陽に透かし、自らの色が “朱” 色であること、すなわち、自らが太陽と同じ色であることを “発見” する──。 * “太陽” は恒星である。恒星は自らが光を放つ。トツ子はいつも誰かの “色” を求めるけれど、“光” がなければ “色”

          公転する太陽──山田尚子『きみの色』における惑星とポエジーについて

          分厚くて重くて長いこと──山本浩貴『新たな距離』読書会を経た覚書

          先日、批評同人誌『応答』をいっしょに制作したコトヒキ会の3人(大玉代助さん(@00tma)、三澤蟻さん(@3sawa4ri)と私=才華(@zaikakotoo))で、山本浩貴『新たな距離 言語表現を酷使する(ための)レイアウト』(フィルムアート社、2024年)の読書会を行った。 まず率直に、この本はとても分厚く、持てば並みでない重量感を覚え、ページをめくるのにもそれなりに苦労する。実のところ、電車内で読もうと外に持ち出したはいいものの、取り出すのが億劫すぎて、移動中に読むの

          分厚くて重くて長いこと──山本浩貴『新たな距離』読書会を経た覚書

          アニメーション的快楽を求めて──『小市民シリーズ』第2話における “リアリティ” について

          はじめに──意味から逃れてたとえば以上のような直線的な構図に、1話から引きつづき、境界線のメタファーを見出すことは可能だろうか? なるほどたしかに、ここでも小鳩と小佐内は、光の境界線やコンクリートの境界線、それから窓ガラスの境界線(の延長)によって分断されているようにも見える。そこに何らかの “距離感” を鑑賞者が感じるとしても、第三者には止めようもない。 しかしながら、筆者はここに感じるのは、そのような意味内容というよりはむしろ、画面の力/絵の力でもって観者を魅了しよう

          アニメーション的快楽を求めて──『小市民シリーズ』第2話における “リアリティ” について

          越境のための分断──『小市民シリーズ』第1話における “線” について

          はじめに線に惹かれる。 建物の境界線、窓の枠線、山の稜線、あるいは陰を落とす光線さえも──『小市民シリーズ』第1話はまごうとなき “線” アニメだ。線にフェチズムを感じると言ってもいい。 むろんそれは、徹底された水平的構図やねばり強い長回し、特徴的なシネスコのフレームといった(広義の)カメラワークに支えられてもいる。絵づくり(レイアウト)はもとより、演出や美術、撮影、そして音楽によってさえ、 “線” は引き立てられているのだ。 アニメーション全体に支えられたそれはだか

          越境のための分断──『小市民シリーズ』第1話における “線” について

          『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』感想

          幾田りらとあのを主演に選択するということのメッセージ性について、過剰に考えすぎていたかもしれないと、見る前は思っていたけれど、杞憂だったかもしれない。結果的に、その政治性とメッセージ性が随所から伺える映画だったように思う。 それはこの『デデデデ』という作品そのものの主題と無関係ではない。「終わりなき日常」を真正面から取り上げつつ、結局のところ見かけの脱出路を仄めかしつつ、「終わりなき日常」の周りを巡り、回帰し、かろうじてフィクションに隘路を見出そうとしたのがこの作品だと、個

          『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』感想

          ヨルシカ「晴る」はドイツ語で „blauen Himmel“ だからヒンメルの歌?——『葬送のフリーレン』に即して解釈してみた

          ヨルシカ「晴る」は、ドイツ語で意訳すれば „blauen Himmel“ (本来は「青空」の謂い)で、「ヒンメル(Himmel)」の語が含まれるので、ヒンメルの歌、ということに(巷では)なっているらしい。 けれど、それを言うなら「春」はドイツ語で „Frühling“ (フリューリンク)で音が「フリーレン」に近く(ドイツ語の発音を聞いてみると、実際似ている https://ja.forvo.com/word/fr%C3%BChling/)、フリーレンの歌でもあると思う。

          ヨルシカ「晴る」はドイツ語で „blauen Himmel“ だからヒンメルの歌?——『葬送のフリーレン』に即して解釈してみた

          『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』感想

          幅広い年齢層が見るアニメをつくるって、難しい(『SPY×FAMILY』も、当然ながら、もろもろのことが考えられているのだなと感じた)。 この予告のラスト、突如として石浜opリスペクトみたいな色遣いになっていて、こういう演出にする理由がめちゃくちゃ気になって行ったのだけれど、少なくとも物語上の理由は分かった。 ヨルが戦闘作画要員になるであろうことはTVシリーズからも推察され、なるほど見どころになるようなアニメーションは見ることはできた。 話としては、たとえばアーニャが看取

          『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』感想

          『窓際のトットちゃん』感想

          特殊アニメーションがいくつかあって(水中、雨、悪夢……)、どれもほんとうに素晴らしかったけれど、個人的には雨のシーンが心に残った。 アニメーション化に当たって、当然、演出をどうするかがよくよく考えられるわけだけれど、「窓際」のモチーフが最後まで生かされていたのには感服した。 分かりやすいのは最初と最後の対比。トモエ学園よりも前の学校で、チンドン屋さんに呼びかけるため、危険を顧みずトットちゃんは「窓枠」をたやすく飛び越える。対してラストでは、同じくチンドン屋が見えているにも

          『窓際のトットちゃん』感想

          『傷物語 -こよみヴァンプ-』感想

          本作自体、圧倒的に洗練された作品であることは間違いない。そのうえで、『こよみヴァンプ』それ自体が、三部作から「牙を削って爪を抜いてのどをつぶして去勢して」、『傷物語』に「生きて欲しいと思うんだ」と告げた物語だと感じた。 お前が明日死ぬのなら僕の命は明日まで……。お前が今日生きてくれるなら、僕もまた今日を生きていこう——尾石達也は、いや、私たちは、『傷物語』にそう告げた。 言葉を補えば、本作は圧倒的にスタイリッシュで、デザインされたアートアニメーションとして、アニメーション

          『傷物語 -こよみヴァンプ-』感想

          映画『大室家 dear sisters』感想

          アニメーションとして、たくさんの見どころがあった映画だった。まずopからして喰らった。あまりにも文脈が豊富な「実写」との混合のなかを、無邪気に、しかし豊かにキャラクターが歩みを進める。あれこそ、アニメーションが「日常」を歩む姿そのままだ。 個人的に惹かれたのは、撫子とその周辺にまつわるエピソードだった。映画が sisters と friends を取り上げるからには、撫子にとってそのカテゴリの埒外にある大切な存在は、決定的に不在のまま。この不在の宙吊りを、生かしたラストはし

          映画『大室家 dear sisters』感想

          『哀れなるものたち』感想

          想定したよりも、もっとずっとオーソドックスなスタイルだった。真正面から、「女性」が歩んできたとされていることが顛倒して物語化されていた、という印象。劇場の雰囲気も加味したひどく独善的な感想としては、まだこのフォルムをブチかまさなければいけないことの辛さを勝手ながら感じた。 劇場の雰囲気、というのは、たとえばラストシーンや甲斐性なしの男が酷く振られたところで笑いが起こったり、幕が降りたあと第一声で聞こえてきたのが、エマ・ストーンの「美貌」や洗練されたデザインの話だった、という

          『哀れなるものたち』感想

          劇場版『ハイキュー‼ゴミ捨て場の決戦』感想

          3セット目、温存していた(?)もろもろの「絵作り」が解放されて、これでもか! というくらいいくつもの角度から快いアニメーションを味わった。 自分のお気に入りは点数のカウントが6-7になる前後の一連のアニメーション。腕の振りはふだんの可動域を越え、飛び跳ねるときには全身が悦ぶ。熱気溢れる運動は、フルセットにもつれ込む試合の盛り上がりに呼応しているかのように見えた。 言い換えれば、熱に当てられ、常軌を逸したキャラクターの運動や縦横無尽なカメラワークは、試合そのものの逸脱してゆ

          劇場版『ハイキュー‼ゴミ捨て場の決戦』感想