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私とパレスチナの距離①

これはパレスチナを訪れたことのない私が、パレスチナと私の個人的な関係性について考えたものである。今日本に住んでいる私は、虐殺が続くパレスチナとどのような関係を見出すことができるのか、自分の現在地を確認しながら散文的に書き残しておこうと思う。


『自由と壁とヒップホップ』を見た

2014年、千代田区猿楽町にある在日本韓国YMCAで開催されるオリーブ映画祭で上映される、ジャッキー・リーム・サッローム監督の『自由と壁とヒップホップ』を見に行かないかと友人から連絡をもらった。史上初のパレスチナ人ヒップホップグループの「DAM」を追ったドキュメンタリーである本作は、パレスチナの過酷な状況の中、暴力ではなく音楽で訴えようとする若者たちの生き様と可能性を映し出した。当時、日本のヒップホップばかり聴いていた自分にとって、厳しい状況の中で紡がれる言葉やアートの力は衝撃的だった。そして私はそのときはじめて「パレスチナ」という場所がどのような状況にあるのか、その歴史的背景に触れ、そこで生きる人々の姿を知った。

AMERICA DON’T WORRY ISRAEL IS BEHIND YOU

学生時代、私のパートナーは夏になると研究の一環でイスラエルに一か月ほど滞在していた。帰ってくるたびにいろいろなお土産をくれたのだが、その中でも印象的だったのがTシャツである。その一つに、中央に戦闘機や戦車のイラストが配置されその周りに「AMERICA DON’T WORRY ISRAEL IS BEHIND YOU(アメリカよ心配するな、イスラエルがついている)」と記されたものをもらった。皮肉のような形でパートナーが買ってきたこのTシャツを私もまた皮肉として敢えて着るということをしていた。

イスラエル土産のTシャツ
AMERICA DON’T WORRY ISRAEL IS BEHIND YOU

あれから10年程経った2023年10月7日以降、ハマスの攻撃に対する報復として、イスラエル軍によるパレスチナでの虐殺行為が続いている。イスラエルに住むパートナーの友人たちのほとんどはFacebookなどで、パレスチナへの侵攻を正当化し、支持を表明していた。彼女はそのことに困惑し、恐怖と悲しみに暮れていた。そこでパートナーが自身の歩みを振り返りながら「私もパレスチナへの抑圧に加担していたのかもしれない」と語っていた言葉を私は忘れられない。

輪島とパレスチナ

私は現在、石川県金沢市に住んでいる。今年の元日に能登半島地震が発生し、私も大きな揺れを体験した。震災から半年以上経つが、未だに倒壊した家屋の多くは発災直後と状況は変わらず、とても復興が進んでいるとはいえない。そんな中、大きな被害を受けた輪島市門前町をイスラエル駐日大使のギラッド・コーヘン氏が訪れたことがニュースになっていた。

このニュースを受けて私は3月にボランティアのため輪島市に入ったことを思い出した。私たち支援者を受け入れてくれたのは「輪島セントラル・キッチン」という団体だった。まだ寒さが残り雨が降る中、一緒に炊き出しの仕込みをさせてもらった。昼食にはとりしおあんかけとごはんのセットとカレイの唐揚げをいただき、空調の効いたゲルのようなテントの中で暖をとりながら食事をした。

「輪島セントラル・キッチン」は「ワールド・セントラル・キッチン(WCK)」という非営利組織を母体としており、世界中の紛争や災害地域に職員を派遣し支援活動を行っている。「輪島セントラル・キッチン」は震災以降、WCKを通じて炊き出しに必要な調理器具などを手配してもらっていたようである。

そしてボランティアに入った数日後、パレスチナで食糧支援をしていたWCKの職員7名がイスラエル軍の空爆によって死亡したというニュースを目撃した。

ちなみにこの件についてギラッド・コーヘン氏もX上でコメントをしている。

このときはじめて私は輪島もパレスチナとつながっていることを知った。私が食事を受け取った「輪島セントラル・キッチン」のスタッフの向こう側には、パレスチナで犠牲になった人々がいたのだ。
ギラッド・コーヘン氏が輪島を訪れた翌日の北國新聞の一面は、コーヘン氏への単独インタビュー記事であった。さすが北國新聞という感じもするが、記事の中でコーヘン氏は「若者がいなくなれば、能登半島は寂れてしまう。若者が残って、ビジネスを立ち上げ、未来をつくる支援をしたい」と語っていた。

(北國新聞のWEBでは有料会員にならなければ一文字も読めない)

地震によって家屋が倒壊し、生活再建の目処が立たない人が住む場所に、かたやパレスチナで多くの未来ある子どもたちを殺害し、破壊行為を繰り返すイスラエルの大使が訪れ、若者の就職支援や被災支援を約束することのグロテスクさをどのように表現すればいいのだろうか。

そして、コーヘン氏の輪島市訪問はあるキリスト教関係の団体によって実現した。キリスト教信者である私はそのことについても言及しなければならないと感じている。私は一人のクリスチャンであり在日コリアンの男性としてパレスチナの解放を願っている。次回は私が持つそれらの属性とパレスチナのつながりについて触れたいと思っている。

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