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今KP(Korean Power, Korean Pride)の曲を聴く意味

KPと私の極私的な関係

古くからの友人の作品についてライターとして何かを書くのは無粋だ。ダサいと私は思っている。ただ、8月15日にKPがこれまでの作品の一部をオンラインで解禁し、10年以上振りに楽曲を聴いて少し思い出話がしたくなったので無粋であることは承知の上こうして今書いている。
KPとは、Korean Power、Korean Prideの頭文字をとって2002年に結成されたラップ・デュオである。

KPのメンバーのFUNIとは20年近い付き合いになる。FUNIとKPがどのような道を歩んできたのかは2017年に発刊された磯部涼氏の『ルポ川崎』(サイゾー、2017年12月)に詳しく書かれている。また、私とFUNIとの関係についても磯部涼氏に丁寧に取材していただき『文藝』で連載している『移民とラップ 第2回川崎を歌う』(河出書房新社『文藝』2019年冬季号)で掲載していただいた。

私とFUNIの出会いは2004年頃になる。当時大阪の公立中学校に通っていた私は高校入学と同時に神奈川県川崎市川崎区へ引っ越すことが決まっていた。父が牧師であり、引っ越し先の教会にFUNIという人がいてラップをしているということは聞いていた。当時東芝EMIに所属し、NHKのハングル講座でラップしているのもテレビで見ていた。それがなんの偶然か私の中学校に来てライブをするというプリントが配られた日の衝撃を今でも覚えている。韓国にルーツを持つ生徒たちが多く在籍する学校であったため人権学習の一環として呼ばれたのだろう。当日、私たちは体育館に集められ、リュックを背負ったFUNIと力強くラップをするLIYOONが登場し私はそのときはじめて「ラップ」を知った。
終演後、声をかけると私のことも知ってくれていて「ラッパーと知り合いだ」ということが妙に誇らしく感じた。これもまたなんの偶然か、当時のFUNIのMCネームは私の名前と同じジェウォンであった。
そして2019年に私の父が死に、誰も何も言えない中、唯一連絡をくれたのがFUNIだった。

今KPを聴く

はじめてCDでKPを聴いたのは1000piecesだった気がする。川崎に引っ越してから家族共有のステレオでよくかかっていた。

前後、縦、横から見たら一見綺麗な世の中の裏で
起きてる多くの汚い事件
力で踏みにじられてる人権
(中略)
何が人を結べるの
People's Power つまりムーブメント
危ねえ 危ねえ 危ねえ 現実そうじゃない
でも周りは皆言う「しょうがない」

KP『1000 pieces』

『BATON』では自身の祖父が日本社会で生きてきたことと感謝を歌い上げた名曲『Ghost Blues』や在日をコンテンツとして消費する在日映画やテレビ番組への怒りを表明した『挑戦者』などが収録されている。

ハラボジが言ってた切って貼ったような人生だったって
14で日本に渡った
たった何秒かで人の命を奪った
次の言葉が僕の心に突き刺さった
弾薬を工場で作ったのは私だったと告白し
乾いた頬に涙が伝った

KP『Ghost Blues』

俺らの逆鱗に触れやがって 土足で入って来やがって
好き勝手荒らしてって金儲け
バッチリガッチリ稼ごうぜ

KP『挑戦者』

『線路~Destination』などを聴きながらメジャーでやっていく中で、多くの葛藤があっただろうと想像する。それでも在日としての生を伝えようとしてきたのがビシビシと伝わってくる。あと全曲リリックが聴き取りやすい。

複雑な路線図駆け抜けるEveryday
未来の俺が待ってる次の駅で

KP『線路~Destination』

KPは早すぎる存在だったのか

KPの存在は日本語ラップ界にとって早すぎたのだろうか。
今やさまざまなルーツを持つ人々が認知され、大舞台に立つことも珍しくなくなった日本語ラップ業界だが、KPが結成された当時は彼らの存在を受け入れるだけの度量はなかったのだろう。そして東芝EMIに入ったといえ、本当にやりたかったことはさせてもらえず、都合のいい消費のされ方を経験してきたことからメジャーの世界や日本社会は彼らを受け入れはしても受け止めはしてこなかった。彼らがレーベルを辞め活動休止の前に発表した『いくおとせいくん』はそのような意味からも違った方向性の一作になっている。

KPが活動を休止して10年が経った。その間にFUNIは起業し、世界を放浪、現在は再びラップをしている。LIYOONはHetare B BoyとしてKPの活動とは異なる方向で話題を呼んだ(Double Lee名義やJapanese Killer Whale名義でも活動していたように思う)。KPの楽曲はパフォーマーのちゃんへんに引き継がれて日本全国の学校で披露されてきた。そしてこうして再びKPの楽曲として公開された。それは現在の日本にどのようにどう響くのだろうか。
今の日本語ラップ業界は彼らの音楽を受け入れられるだろうか(FisongやKay-onなどの活躍も注目されるようになってきたが)。そしてこの10年の間に排外主義が蔓延し、歴史を修正してきた日本社会は彼らを受け止めることはできるだろうか。KPの存在は今でも早すぎるのかもしれない。それは裏を返せば日本の音楽や社会がいつまでたっても成熟してこなかった証でもある。そんな彼らの曲がここでもう一度聴けるようになったことは、10年前とは違った形での日本社会・日本語ラップへの殴り込みのようだ。そしていくら社会が変化したとはいえ、彼らの音楽を必要としている人が今もきっといると思う。

個人的な願望

東京都知事に再選された小池百合子は今年も関東大震災で起きた朝鮮人虐殺において追悼文を送らないことを表明した。
HIP HOPは黒人たちが差別を乗り越えるために生まれた文化である。それならばこうした差別と歴史修正が平気で行われる今の日本において、「招かれざる者」として再びKPが動き出す意味は大きくあるのではないかと思う。『In-mates』のFUNI、Hetare B-BoyのLIYOONではなく、KPの2人が見たい。そして「受け入れる」や「受け止める」を越えて、「ここにいる」という今の二人の声を響かせてほしいと超個人的な願望を私は抱いている。

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