見出し画像

心に残る花束

どちらかというと花は好きだ。

日本にいるときは花瓶に花を飾る、というより庭の梅や椿、木蓮、沈丁花や金木犀、額紫陽花など季節ごとに咲く花と一緒に大きくなった。それらの木々の存在や香りがとても強く記憶に残っている。

白梅が咲いたからもうすぐ紅梅が咲くね。白木蓮はまだかなぁ。

ドイツに来てからは、花をもらったり贈ったりする機会が自然と増えた。イースター、誕生日、訪問の際の花。日常の風景に花瓶に刺した花というのがとても自然に溶け込んでいるのがヨーロッパだな、と感じる。

カフェのテーブルや店内にも花が多い。

でも、一番印象に残っている花束というのはそれらとはまた少し違うのだ。

ベルリンとモスクワを行き来していた時の話だ。数ヶ月ぶりにモスクワのとてつもなく薄暗い空港をやっと抜け出たところで、かなり大きな花束を抱えた人を見つけた。

「はい、これ。」

渡された花束はどう見ても花屋で買ったとは思えない粋なものだった。

「郊外に今朝、摘みに行ってきたんだ。」

あれにはちょっと感動した。というか、かなり感動したのを今でも覚えている。

写真がないのが残念だが、なんというかどこから見ても理想の花束だったからだ。手に持った感じや色合い。何から何まで好きなテイストで溢れていた。

今から思えば、当時の恋人は何から何までピッタリくる不思議な人だった。

「結婚しよう。」

と大げんかしたときに言われて、びっくりして自分から離れてしまったのだからおかしなものだ。

もちろんこんなに簡単にまとめられるような経緯ではないのだが、彼の口から「結婚」という言葉が飛び出したのは驚き以外の何者でもなかった。

そして、その人からその言葉を聞きたかったわけではなかったことに気付いた。追いかけすぎて疲れてしまったというのもあるだろう。そもそも90年代後半から2000年にかけてのモスクワは当時の私にはいささかハードルが高すぎた。

「こんなに合う人はいないって絶対に後悔するよ。」

まだ30にもなっていない私にそう言い残し、私はベルリン に戻ったのだが、その言葉は長い間トラウマのようにグッサリと突き刺さったままだった。

そして、悔しいことにその言葉はある意味とても的確でどこまでも正しかった。

でも、それとこれとはまた別の話だ。いつまでも後ろを向いていても仕方がない。ベルリンで結婚し、子供もできたのだから。子供が産まれたと伝えたときはとても喜んでくれた。

「これでやっと落ち着けるね。」

そして、それだけはなぜか全くもって見当違いだった。それがいいとか悪いとかではなく。

*タイトル写真は大阪の植物園で撮影したものです。











サポートは今後の取材費や本の制作費などに当てさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします!