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本棚に並ぶランダムな本たち

今日は朝から息子のサッカー試合に付き合ったくらいしかイベントもなく、後は家でダラダラしていただけなので、特に何も書くことがない。さて、どうしようかな、とデスクの左側にある本棚にちらっと目を走らせた。並んでいる本を4冊引っ張り出してみる。

まだ日本にいたので、高校生か大学生の頃だったように思う。何か考えごとをしていて、答えが見つからない時に本棚の本を手にとって、好きなページをパッと開きそこに書いてある文字を追ってみたことがある。

そこに書かれたことが何かのヒントになるのでは、とそんな気持ちからだった。そのまま続きを読んでしまうこともあったし、偶然なのか必然なのかはわからないが「これだ!」というような文章に出会うこともあった。

そういう意味ではやはり偶然、というものは面白い。

今日は何かに対する答えを探す、というよりはどんな文章が今の自分に訴えかけてくるのかな、とランダムに本のページを開いてみることにした。

以下の文章はそんなふうにして、目に飛び込んできた箇所である。

私は自分で自分の胸の内をまっすぐに見てみた。それは、少しも痛んでいないようだった。後ろめたさはまったくない。すっきりしていて、何の困惑も混乱もないのだ。

江國香織 「ぬるい眠り」
 といってなぜそんな回りくどい道筋を辿るかというと、それはやはり気力・体力というものが減衰、真っ直ぐに行くと坂がきつかったり、地雷があったり、おばんが蜜柑を持っておこっていたりするので少々遠回りをしても楽な道を辿ろうとするからで、やはり時間がない根本の原因は、気力・体力の減衰にあるのであって、意義ある仕事を達成しようと思ったら気力・体力を涵養しなければならず、そのために必要なのはまず休養であるのはいうまでもないが、でも休養をするためにはいま眼前に散乱している仕事群をなんとかしなければならず、それをやるうちに身体が疲労して、ますます効率が落ち遠回りをしてその間にも仕事は入ってくるから休養はなかなかできず、しょうがないからビタミンを大量に摂取しようと思って八百屋に行ったらおばんが蜜柑を持って怒っていた。

町田康「正直じゃいけん」
私は首につけられたひもを引っぱっている犬のような状態にあった。なにも見ていなかった。時間の中に、瞬間の中に、血液の脈搏の中に閉じこめられた私は、しばりつけられ殺されることになっているのだが、なんとかその縄を切ろうとしている人間同様の苦しみを味わっていた。もはやなにひとつ幸せなことなど期待していなかった。

G・バタイユ 「空の青み」
「ここが、つむじ」
誰もいなくなって、がらんとしたホームを眺めながら、人さし指がつむじの真ん中にぐいと押し当てられたときの少し痛いような熱いような感触を思い出していた。
「君のすべての中心」

吉田篤弘 「空ばかり見ていた」

一番、今日の自分にしっくりくるのは町田康さんの「正直じゃんけん」からの抜粋部分かな。

気力・体力の涵養、大事。

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