「脳のスイッチをオフにして叫べ」
イギリスから旅の余韻たっぷりでベルリンに戻ってきたが、帰って早々にいくつかイラッとする案件が続いて、文字通りすでに少々「うんざり」している。あぁ、これが日常というものなんだろうか、こんなものが日常だというなら御免こうむりたい。
別に大したことがあったわけではない。税理士事務所からのメールが直接届かず、なぜか相方経由になっていたこと。私の不在中に子どもたちがサッカーのとレーニンングや空手のコースに行かず、それをあたかも行ったかのように伝えてきたこと。友人とのやり取りの中で「はぁっ?」という内容があったこと。
どうでもいいといえばどうでもいいことなんだが、人格を認められていないような対応をされたり、くだらない嘘をつかれたり、礼儀知らずなことを言われたりするとさすがに癇に障るのである。
そこではたと気づいたことがある。
これはもう割と真剣にベルリンでの生活に嫌気が差しているのではなかろうか、と。日々の生活が楽しければ、これらの些細なことをもう少し違った風に捉えられていたかもしれない。ロンドンで出会った人々のようにスマートに対応ができたかもしれないのだ。そう、要は自分にゆとりがあるのか否かということに尽きる。
毎日の小さな積み重ねというものは、気づいた時には地滑り直前の緩んだ地盤のようになっていて、何かの拍子で足元がすくわれるかもしれないのだ。こわっ。
そうならないためにガス抜きの意味も込めて、「思い立ったが吉日」とばかり数日、日常生活から離れてみたものの、戻ってこれば日常生活はいつものようにそこに鎮座しているではないか。当たり前である。
この「日常生活」というものがこれまた厄介なことに、年齢を重ねるにつれしがらみも増え、早々簡単には変えられない代物となっていく。それでも大抵の大人は、みんな少なくとも表面上では日常生活とうまく折り合いをつけているように見える。
うまく折り合いをつける、って「日常をうまくやり過ごす」とほぼ同じではないのか。「やり過ごす」ってネガティブな表現だよなぁ。あくまでも受け身で波風立てずにストレス回避してなかったことにする、ってことなのでは。残されたわずかな自分の人生をうかうかとやり過ごしていていいんですか、ってこと。
来年はもっとやりたいことをやろうね、と自分に言い聞かせる。おいおい、十分やってるだろ、って言われるかもしれないが、まだまだやり足りないし、具体的に実現に向けての行動は起こせてはいない。
ポーツマスのSuedeのライブのあと、目についたTシャツを記念に持ち帰った。
Turn off your brain and yell
ライブの一曲目がこの曲だったのも印象的だった。
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