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技術の進歩とこれからの仕事

先日のnoteで「ドイツ語で的確に話す難しさ」というタイトルで外国語でのコミュニケーションの難しさ、のようなことについて触れた。

会社に所属していた頃はドイツ人の同僚たちがメールの書き方から、撮影許可の申請方法などいわゆる基礎となるノウハウを教えてくれた。会社で働いていたからこそ得られた仕事のコツ、というものはやはりそれだけの価値がある。

会社にはかれこれ10年ほど所属していただろうか。二人目の出産を機に退職することになり、それ以降はフリーランスとして仕事を受注するようになった。

困ったときに頼る同僚もいなければ、責任を取ってくれる会社の存在もない。「フリーランス」は文字通り「フリー」、すなわち「自由」という言葉が一人歩きしている感があるが、その自由にはもちろん責任というものが伴う。

フリーランスという立場で仕事をするようになってから、これまた10年近くなる。育児とのバランスの難しさ、山あり谷あり、時代の流れあり、コロナあり。一路順風とは行かないが、ひとりで仕事をこなすことに戸惑いを覚えることは年々少なくなってきた。

そして、スマホの普及やそれに伴うアプリやソフトの恩恵を受けることも増えつつある。今までそれらのツールなしでよくやっていたな、というくらいここ数年は探せば大抵のものは見つかる時代になった。

方や、こと「外国語」に関して言えば、さらに時代が進むと従来の仕事が消滅してしまうのだろうなぁ、というのが肌感覚である。翻訳ツールの性能もどんどん上がるだろうし、すでに音声入力の機能まであるのだから。

もちろん最終的にはマンツーマンで「会って話す」ことは必須条件で、そのこと自体はなくならないだろう。ただ、それに伴う通訳者などはいずれ近い将来には必要なくなるのだと思う。

では、そうなったときに「語学」や「外国語学習」の意味はどう変化するのだろう?これからの時代、言葉はただのツールと化してしまうのか、それでもやはり語学は学習されるべきもの、という認識は残るのか。

今後、技術進化と共に、様々な価値観が変化していくと思うがどんな風になるのか楽しみである。仕事が減ってしまうのは困るが、これまでの価値観が崩れ去ることについてはあまり抵抗がない。自分の将来的な仕事については、どこにフォーカスすればいいのかよく考える必要がありそうなんだけれど。


タイトル画面:Image by Miguel Á. Padriñán from Pixabay


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