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「マルチエントリービザの効用」という走り書き

古いノートが出てきた。以前、ロシア語の勉強に使っていたらしい。パラパラとめくっていると、後ろの方に走り書きのようなものが見つかった。

モスクワには長くいればいるほど、仕事や恋愛といった物事に関する変化がどんどん起こる。1年間有効のマルチエントリービザのおかげで、10年間有効のパスポートにはロシア出入国の際に押してもらうピンク色のスタンプだらけになってしまった。(モスクワとベルリンを)何度も行き来して感じるのは、本来なら生活の基盤があるはずのベルリンに対する心理的な距離が延びる、ということ。まるでモスクワで生活しているかのような錯覚を覚える。実際、2001年の前半はモスクワで生活をしていたんだけれど。

日付が見当たらないが、おそらく半年ほどのモスクワでの生活を終え、ベルリンに戻ったくらいのタイミングで書いたものなんだと思う。2001年の夏以降に書かれたものだろう。あの時ほど、ベルリンにふらっと無計画に来てしまった自分の先行きが見えなくなってしまったことはない。

モスクワで生活をしていると、それはもう次から次へと色んなことが起こる。毎日がハプニングの連続だったし、ほっと一息つく暇もないくらい気が張り詰めていた。怒涛のような半年を経て、ベルリンに帰ってきたものの、急にやることがなくなってしまったのだ。

あれ、こんなはずではなかったのに。モスクワの病院の受付に立ち、日本人の患者さんがくれば通訳に入る。半年間、それはもう大変な目にあった。その重圧から解き放たれたはずが、なぜか心にポッカリと大きな穴があいてしまった。ベルリンのアパートの殺風景な様子や、キッチンに併設された浴槽などを見るのが耐え難くなってしまっていた。しかも洗濯機すらないではないか。一体、ベルリンでどんな生活を送っていたのだろう。思わず首を傾げたくなる。モスクワのアパートの方が広くて快適だったのだから不思議なものだ。

そして、今さら大学に戻ってロシア語学科に通うことになんの魅力も感じなかった。仕事をしないと生活もままならない。当分はモスクワで働いた分の貯金を切り崩しての生活である。

そうこうするうちに、NYではテロが起こり、目的を失ってしまった私の気分は底知れなく真っ黒だった。

3月になったら29才になる。これもひとつの大切な事実。
今までのモスクワ体験を少しずつでもいいから形にしておくこと。

モスクワの体験を形にできたのは、それからずいぶんと後のことになってしまったが、当時の体験は、自分の中で今でも大切な一部として残っている。

それにしても、今のベルリンでの生活って当時を思えば変化がない、というか至極普通で特筆すべきこともないよな、とは思う。そして、おそらくそれが「日常生活を送る」ということなんだろう。海外であれ、どこであれ、同じところに長く住んでいるといずれはそうなるのかもしれない。





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