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これまでにしたバイト

ツイッターで #このタグを見た人はアルバイト歴を晒せ というタグを見かけたので、早速思いついたものを挙げてみた。

日本:
八百屋で野菜売り
DM配布
巫女バイト
茶屋
アクセサリー販売
家庭教師

親戚の家へ遊びに行ったときに近所の市場の八百屋で手伝ってみない?という話になり、確か小学校6年生くらいの時に店に立ったことがある。新聞紙で野菜を包んだり、掃除をしたり、とにかく一番きついバイトをすでに小学生の時にやっていたというのが面白い。

DM配布も親戚がメガネ屋をやっていたので、従兄弟とふたりで近所の郵便受けに大量のDMを配り歩いたことがある。これはなんというか割と面白かった。一軒、一軒、色んなところに色んな郵便受けがあるし、普段は通らないような道を隈なく歩き回るのが楽しかったのだ。

巫女のバイトは奈良に住んでいたので、高校生の時に友人に声をかけられてやってみた。これもなかなかできないバイトだったと思う。庭園喫茶のバイトでもよもぎ団子にあんこを添えたり、抹茶を立てたりしていたような。とにかく春日大社の境内にあったので、今から思えば環境が抜群だった。

アクセサリー販売が一番らしからぬバイトだが、これは大学生の時にこれまた中高時代の同級生に声をかけられてやってみたもの。なんとクリスマス前に大阪の心斎橋にあったビブレで指輪なんかを売っていたのだ。7万5千円くらいのピンキーリングを買ってくれたお客さんをかすかに覚えている。にわかで入ったバイトの割にはかなり売っていたような。というか、当時付き合っていた元同級生もわざわざお店で指輪買ってくれたんだよな、確か。接客は嫌いではないが、アクセサリーにはほとんど興味がないのでどちらかといえばブティックで販売がしてみたかったような気もする。心斎橋ビブレも2001年に閉店した。

家庭教師はこれまた中高時代、お世話になった恩師に頼まれて不登校の生徒の勉強を見ることになった。科目は英語だったかな。結局、勉強してくれないので、色々と話をするだけで終わってしまったような。成績はそれほど上がらず、こちらから辞退をした記憶が。

ベルリン:
クラブでゲリラ寿司
日本食レストラン
なんちゃって通訳
電話でアンケート
日本学科チューター
日本語教師
ギャラリーでアシスタント

ベルリンでは友人が集まって始めたクラブで「寿司でも売ってみようか?」とオープニングに提案したのが始まり。これも何度かしたら、いつも似たような面子が集まるので新鮮味がなくなり、自然消滅。家で適当に仕込んで自転車で運ぶというベルリンらしさ満載のバイトというよりはイベントだった。

なんちゃって通訳では生花の先生のデモンストレーションに立ち会ったり、知人の教授の日本からの視察団相手のものだったり。内容が難しいのに経験がなさすぎて現場でかなり恥ずかしい思いをした。

日本学科のチューターや日本語教師も知人づてで始めたような。

アートギャラリーのアシスタントはギャラリーのキュレーターから直接電話があって始めた。来るもの拒まず。

何がどこでどんなふうに役立つかわからないので、何でもやっておくに限る。できなかろうが、恥ずかしかろうが若い時は何とでもなるし、失うものなど何もない。おわり。


Photo by Siora Photography on Unsplash

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