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怖さはどこから来るのか

今日も気付いたらお茶の時間。ゆっくり起きるからかもしれないが、とにかくここのところ時間が飛ぶようにすぎる。

午前中は掃除をして、お昼ご飯の後に息子に誘われてボードの練習をした。今日はこれまでにできなかったことをやろう、と坂のカーブのところを降りてみたり、かなり長い坂を下ろうと試みた。

途中までは平気なんだけれど、これ以上はまだ無理、というスピードが自分の中にあるようでスピードが乗ってくると飛び降りてしまう。飛び降りるのも怖いんだが、そのままスピードに乗って坂の下まで一気に滑り降りる方がもっと怖いのだ。

そのまま我慢して一気に降りてしまえば多分、それはそれで何とかなるのだとは思う。ただ、自分の中でブレーキがかかる。

これ以上は無理!

スピードが乗っていると、飛び降りるのもかなり危ないんだけれどそのまま身体のバランスを保てる自信もない。

そんなわけで今日は坂の半分くらいまでしか乗り続けることができなかった。それでも、ボードに両足を揃えて乗ることができなかったことを考えるとかなり上達した方だと思う。だって10代じゃないんだし。ほんと勘弁して欲しい。

コロナ禍でやることがないからとボードの練習を始めたが、これ、コロナじゃなかったら多分わざわざやってみようと思わなかったんじゃないのか。

そう、そこでボードに乗りながらふと思ったのが、何が怖くて坂を一気に降りられないのか、という問題である。

・スピードが上がりすぎているので止まり方がわからない

・速すぎるボードに乗り続けるなんてできるはずがない
万が一転けたら骨折しかねない

恐らくこのような考えが脳裏を過ぎるため、「危ない!」というシグナルが出るのだろう。真っ当だと思う。

全ては仮定法の世界。大人になればなるほど知恵がつくので「〜なんてできるはずがない」とか「〜をしたら失敗する」といったよく言えば理性的な、悪く言えば臆病な思考回路に陥りがちなのだろう。

ボードはあくまでも例えでしかなく、何か新しいことを始める場合にもそんな思考回路になりがちなのではないのだろうか。

・やり方がわからない
・やったとしても続けられるはずがない
・万が一失敗したらどうしよう

というわけで、「怪我をしない範囲で」坂の上から下までなんとか止まらずに降りれるようになりたいものだ、と坂の下から上を見上げて思った次第。

段階を踏んで慣れていけば怖さはある程度、薄れるのではないだろうか。何事もやってみないとわからない(が敢えてやらなくてもいいこともあるにはある)。



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