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特別感の全くないただの1日

今日は一進一退というか、さっぱり作業が進まない日だった。

これだけ朝から机に向かっているというのに、集中できたのは午前中の1時間くらいだったのでは!?という体たらくである。こんな日は途中で諦めて、さっさと走りにでも出かければよかったのだが、そのタイミングすら失ってしまったのだ。

まるで真っ白な原稿用紙と1日中にらめっこをしていたら、あっという間に夜になってしまったーーー夕飯を食べ終え、今まさにそんな気持ちでため息をついている。

途中で郵便代行をしているお店に日本へ送る手紙を持って行き、同じ道の角にあるアジアショップで手作り感満載のキムチと揚げを買う。恐らくお店にいる女性の手作りなのだろう。彼女がいるときにキムチを買うと、つけ汁が漏れないようにいつもビニール袋に入れてくれる。今日は彼女が店番をしていたし、家に帰ってかばんを覗いたら、キムチの入った容器から汁が漏れていたのでビニール袋様様だったのだ。

そして、そのまま息子にリクエストされた、明日の朝ごはん用の冷凍ブレッツェルをいつもとは違う別のスーパーへ買いに行く。動線が少し変わるだけで、行き先も変わるのだ。唯一の外出もそんな感じで呆気なく終わってしまう。

外に出てもそれほ気分転換にすらならなかった。

今、ふと外を見ると雨雲が出ていて青空がわずかに覗いていた。もう一度外を歩きに行ってみようか。ちらっとそんな風にも考えたが、今日みたいに日は無理に気分転換を図ろうとしない方がいいのかもしれない。

こんな風に限りなく何も起こらない1日というものが、やはり月に何度かあるわけで、それ自体はそう変わったことでもない。ただ、それについて敢えて書き留めておく必要はないのかもしれない。

特に読んでも何とも思わない、これといって何の掴み所もない1日のできごと。もはや「できごと」ですらない淡々とそこにある日々の営みのようなもの。

今日はたくさん日本語で考え、日本語で音楽を聞いた日だった。もはやこうなってくると、自分がどこにいるのかすらよくわからなくなってくる。途中で田村正和さんの昔のドラマまで見てしまったくらいだ。

何というか、日本以外の国に長く住めば住むほど、あまり住んでいる場所にはこだわらなくなってくるのだよなぁ、そんなことを思ったりもした。

ベルリンに飽きたわけではないんだけれど、日々の生活それ自体は、恐らくどこにいてもそれほど変わったところはないと思うのだ。

朝起きて、公園にジョギングに行き、仕事をして、洗濯機を回して、子供の宿題を見て、ご飯の支度をして、買い物へ行って。別に何か特別なことをしているわけではないのである。

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