見出し画像

知人との語らいと唐揚げと

先日の「廃墟ツアー」ではSDカードを忘れるという致命的なミスをやらかしてしまったのだが、ツアー仲間が優しいので「唐パでもしよう!」と声を掛けてくれた。もちろん、SDカードを忘れて凹んでいた私を慰めるためではなく、唐揚げを囲んでみんなで食っちゃべるためだ。

ランチの時間に集まって美味しい手作りご飯を頂きながら、延々と話し続ける。途中でお茶の時間になり、それでも話し続けていたら気付くと夕飯時になっていて驚いた。時間を気にせず、これだけ話し込むというのも久しぶりのことなのかもしれない。

今日も日中は35度近くまで気温が上がり、外はうだるような暑さだった。集まった場所は建物自体がひんやりとしているせいか、自然の冷房が効いていて快適だった。

そして毎回、話していて思うのが、同じ「ベルリン」という場所に住んでいても、来るタイミングや出会う人によって、街の見え方や捉え方が全く異なったものになる、ということ。だからこそ、他人のベルリン談に耳を傾けるのは面白い。

そんなことあるんだ!?

割と驚きの連続なのである。時代が変われば事情も変わる。自分が来た頃と今とでは住宅事情ひとつとっても、もはや同じ街の話だとは到底思えない。特にここ10年で、ベルリンという街そのものが大きく変化したのもその理由だろう。

95年に来たときの住宅事情はというと、まずは知り合いの住んでいたボロボロのアパートに転がり込み、その人と歩いていた時にバッタリ会った知り合いのシェアルームがちょうど開いたというのでそちらに移った、という経緯がある。

自分から特に何もしなくても、向こうから部屋がやってきたのだ。そのシェアルームを出て、次に移ったアパートも知り合った日本人が引っ越しをする、というので後に入る形になった物件だ。そこでストーカー的な目に遭い、次に入ったのがこれまた知り合いの家族の住むアパートの1室。その次は、、、というように、最初の数年は全て知り合いのつてで見つけたものだった。

初めて自力で探してアパートを借りたのは、就職してからではなかったか?とにかく、ベルリンに来てから既に7年くらいが経過してからだ。途中でモスクワに滞在したりと、住むところに拘りがなさすぎた、というのも一因だろうとは思う。

ただ、先日の小学校のお別れ会の際に、90年代にベルリンに来たというドイツ人ママの話を聞いていても、「引っ越しばかりしてたよね!」と盛り上がったくらいなので、当時はみんなそんな風にウロウロとするのが普通だったのかもしれない。物件そのものが、割といい加減だったからだ。

とにかく、そんなわけで自分とは全く違う体験談を聞ける機会というものは貴重だよなぁ、と思った次第。今のベルリンを知る、という意味においても。




サポートは今後の取材費や本の制作費などに当てさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします!