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シンクロする人

ベルリンに来てから知り合いづてに出会ったベルリンっ子がいて、その後に付き合うことになった、という人がいる。当時は、恋人同士としては全くうまくいかなかったんだけれど、その人の父親には本当に家族の一員のようにお世話になっていた。

彼と別れてからも、父親のお宅に住まわせてもらったことがあるくらいなのだ。確かあれは、当時一人暮らしをしていたアパートの郵便受けに自筆の脅迫状(Drohbrief)のようなものが入っていたのがきっかけだったように思う。ハーケンクロイツ入りの手紙を見せると、彼の父親は一刻も早くうちに引っ越しなさい、と言ったが、彼のお兄さんは「一緒に住むとなると話は別だからよく考えた方がいいと思うよ」と自分で改装工事をしていたアパートに移れるように手筈を整えてくれさえした。

今から思えばとんでもなくありがたい話である。首を縦に振りさえすれば、破格の値段でプレンツラウアーベルク区の給水塔のすぐ側にある屋根裏部屋のアパートを借りれたのだから。

ただ、当時はそんな幸運にも気付かず、長男の申し出を辞退して父親の住む7部屋くらいある大きなアパートの1室を借りることにした。家賃をどうしていたのかすらうろ覚えなのが恐ろしいことだが、とにかくそんなふうにして渡独してから1年も経たないうちに、ドイツに家族のような知り合いができたのである。

変な手紙のせいで出ることになった旧東ベルリン地区にあったアパートも、確か保証人になってもらったから借りれたような気がする。とにかく感謝しても仕切れないくらい色んな相談に乗ってもらい、助け舟も出してくれた人なのだ。

それがどうだろう。就職してこれまでのように自由になる時間が減り、子どもが生まれて自分の家族ができたことで、なぜか疎遠になってしまっていた。本当によくわからないが、結婚した途端に自分のこれまでの繋がりのようなものがほぼ断たれてしまったのだ。

というようなことを数日前にふと思い出し、それについてあれこれ考えていた。偶然なのかなんなのか分からないが、突然電話が掛かってきたのだ。「また不幸があったのでは!?」とひやっとするほど予想外の電話だった。こういうのを青天の霹靂と言うのだろう。

「元気にしてる?久しぶりにお茶でもしない?」

なんてことはない、カフェの誘いだった。仕事は山積み、でも自分でもわかるくらい精神的に参ってもいたので久しぶりに会って話してみたくなった。というか既になっていた。

やっぱりすごいな、この人。

恋人ではないが、ソウルメイト。とにかく昔から話が面白いのである。これほど長く会って話していないと何から話せばいいのかもわからない、ということは全くなくて他愛のない話から家族の話、現在進行形の問題、将来の展望、話すことなんていくらでもあった。

お互いにうまくいっていないこともあるんだけれど、なんでだろうね、うまくいかないよね、なんて言いながら笑えるのがいい。何歳になっても本質的なところは変わらないし、いいやつなんだよなぁ。何年前に出会ったんだっけ?もう25年以上も前になるのか。

もし、今すぐ叶うとしたらどうしていたい?誰と何をしたい?そういうファンタジーある?

なんて言っていたが、できることならもう一度付き合ってみたいよね、とは思わなかったけれどその質問はなんとなくスルーしておいた。

自分が本当に望みさえすれば叶わないことはない、と実は思っているので本気で望んでいないだけなんだろう、というようなことを確信しながら足取り軽く帰途についた。

もっと昔の友人に連絡した方がいいよ、そんなことを別れ際に言っていた。自分がベルリンに来てすぐに知り合いになった人たちに色々と話を聞いてみたいなぁ、なんて前からぼんやり考えていたんだけれど、いよいよ実行に移す時が来たのかもしれない。



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