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読書と邂逅
「全てのことに意味をもたせる必要があるだろうか。
この世に生まれたものはいつか死ぬ。
その日々がどうでもいいということではなく、かといって全てが一生懸命である必要も無い。」
あぁ、いい文章だなぁ。田所淳嗣さんの「スローシャッター」からの一文である。
本を読んでいるとこんなふうに、ふと自分が聞きたかったフレーズと出会うことがある。まさに偶然の出会い。そんな出会いを求めて、たまに本を手に取りたくなるのだと思う。
小学生の頃は本を読むことに文字通り没頭していた。母親が「ごはんよー!」と呼ぶ声で現実に引き戻されることが度々あったし、本の世界に浸れるように昼間からカーテンを閉め切った部屋の中で本を読んでいたくらい。もちろん、待ち合わせて誰かと帰る、といったこともなく、終業のチャイムと同時に家に走って帰るような子どもだった。そして、それに気づいた教育実習中の若い先生に心配されていたんだそうだ。
「お母さん、お子さんは一緒に帰るお友達がいないようなんですが。」
心配ご無用。その頃はちょうど「ガンバとカワウソの冒険」を読んでいた頃だろうか。毎日、仲間たちと冒険していたのだから。
今はそんなふうに物語の世界に没頭するような読み方はできなくなってしまったが、その代わりにそのときの自分に響く言葉を書き留めておくことが増えた。もしかすると、ベルリンに来てからそういうことが多くなったかもしれない。自分の中で「日本語」の意味合いや大切さが増したのもその理由だろう。
そう思いながら、ベルリンに来たばかりの頃に使っていたノートをパラパラと眺めていたら日記のような書き付けばかりが出てきた。どうやら本をじっくり読めるような状況にはなかったらしい。
大学を卒業してすぐにベルリンに渡った20代そこそこの私はベルリンやモスクワで「家」を探していたようだ。物理的な家、というより心の拠り所になってくれる家といえばいいだろうか。
家探し中の走り書きの間に目にしたこんな言葉。
拱手傍観の生活:何もしないでただ見ていること
"ただある者として自らある"
これらのメモ書きはおそらく『ドストエフスキー「罪と罰」の世界』からの引用だと思われる。
そう。ベルリンにずいぶんと長く住んでいるものの、興味があるのはどちらかといえばロシア文学なのだから不思議なものだ。一時期は真剣にベルリンからモスクワに引っ越しすることも検討していたくらいだ。結局、その試みは半年未満で終わったのだけれど。
何を書いていたのか大筋を忘れてしまったが、今日はこの辺で。
*タイトル写真はBUCK-TICK櫻井淳司さんBABELのMVより
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