私の生きづらさ(1):コントロールできないカモフラージュ癖
はじめに
こんにちは、Aizackです。以前、カモフラージュについて以下の記事を書きました。これは私が異端であると自覚した中で身につけた生きる術でした。その一方、自分と異なる人格を常に演じる負担は大きいこともお伝えしたかと思います。この「カモフラージュがうみだす生きづらさ」について今回は言語化してみます。本日も、よろしくお願いします!
なぜ生きづらさにつながるのか
人間は誰しも、ペルソナという場面に応じた側面を切り替えながら生きているといいます。しかし、私の抱える生きづらさはそれが普段の自分とは大きくズレており、それを上手く制御できないことが問題なのです。
7月6日夜、人気VTuber達が休止する「喰われ」という現象について九条林檎さんのインタビュー記事が公開されました。私はこの記事の中で語られた「喰われ」について思い当たる節があったのです。
以下、九条さんの言葉を引用します。
私が経験していたカモフラージュの辛さは彼女の語るところの「キャラクターと普段の自分とのギャップが大きくなること」でした。そういう視点で見ると、私がダウンした一因として「喰われ」があったのかもしれません。
何にカモフラージュしているのか
社会人になるにあたって必要とされていた以下の要素を自分なりに模倣した「会社員人格」です
・人当たりがよい
・誰とでも別け隔てなく話す
・自分から挨拶をする
・真面目でルールを守る
・(相手にとって)素直に言う事を聞く
・考え方が柔軟で切り替えが上手い
上記の振る舞いは、一般的な人間関係の中で嫌われにくいと学習したものです。一方、本来の私はこの要素の一部とは相性が悪い以下のような特性を持っています。
・頑固で自分の意見に固執する
・他人への興味は薄い
・話を聞くよりも自分が話す方が好き
・真面目というより生真面目で融通が利かない
・想定していないことに出会うとパニックに陥る
重なる部分もありますが、拡大解釈して演じたおかげで、はじめは”優秀なコミュ力を持つ新人”に見えたようです。ところが、実際の能力は凸凹が大きかったため、期待を下回ることもありました。そこで叱責されたり、ミスしたりすることで優秀さのメッキは剥げていきました。
それでも、私はこのカモフラージュをコントロールできません。その人格でしか仕事の経験がなく、普段の自分で仕事をしたことがないからです。そしてその自分は会社に評価された自分なのかわからないのです。そう思い詰めた結果、そのギャップに耐えられなくなったのです。
おわりに
今回は私の生きづらさとして「コントロールできないカモフラージュ癖」を取り上げました。人気VTuberさんたちの休止の裏で起こる「喰われ」現象、この記事を読んだ時に私のことのように感じたのがきっかけです。
無理をして別人やかけ離れた人格を長く演じ続けるストレスは大きなものです。上手く息抜きをできる人ならば大丈夫なケースもあるかもしれません。ただ、私のように耐えられない人はいる。そういうお話でした。
引用元記事
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