【詩】ヴァイオリンを弾く司祭から
「写譜屋が写譜をしている間に、協奏曲を作曲できる」
確かにそのように言ったことも、手紙に書いたこともあったが、
正確にいえば、
頭の中にはすでに音楽があり、それを書き取るのを急いでいたのだ。
私は喘息持ちだったので、発作が始まるとなかなか書けなかった。
ミサを執り行う際にも、支障をきたすことがあったほどに。
自身の命が早々に尽きてしまうのではないかと恐くなることもあった。
ゆえに、早く、速く書き上げたいという思いがあったのだ。
私が、
「数百回同じ曲を書いた」
「退屈な人間だ」
と言われてしまっているのは、何とも歯がゆい。
私は、親のいない子どもたちのために、
教師として、彼らを救うために、
弾くに容易い曲を書いてきた。
当時の共和国において、子どもたちがどうして孤児になってしまうのか、その背景は辛いものであった。
それを退屈だ、どれも形式が同じだ、と評価されても。
ただ、思えば、子どもたちが、音楽を練習し、
調和する音の霊感に感動し、
目が輝き始めたとき・・・
私のほうこそ、救われていたのかもしれぬ。
とても素晴らしい思い出である。
私が生きていた時代も、孤独と戦争が渦巻いていた。
それが数百年たっても変わっていないというのは、悲しいことである。
もし、楽譜が今も残っているならば・・・
それを弾いて、心安らかになるならば、
私にとって誉れ高いことである。
私の子どもたちのように。
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