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【掌編幻想小説】男と女の話

もうずいぶん長い間、陰気な雨が降り続けていた。
どのくらい長いかというと、荒野であったはずのこの一帯に、
錆ついた鉄塔よりも背の高いキノコが育つ程度に長かった。
キノコの森になる前の景色を知っている者は、もう誰もいない。
羊歯や苔の生い茂るぬかるむ道を、
泥にまみれてもなお颯爽とした一台の車が駆けていった。

飼いならした元野生リムジンの
後部座席に乗るのはジュリエット(仮名)。
彼女にはこの湿地を抜けた先に赴かなければならぬ理由があった。
愛の情動のままに!


「……なんだ? 珍しいな、迷いリムジンか?」
「いや、進路があんまりにも真っ直ぐだ。
 乗り手がいる。リーダーに連絡だ」
「アイアイ」

巨大なキノコの傘に乗った二名がリムジンの存在に気がついた。
賊の斥候である。

菌糸の森一帯にはミュータント動物や野生化暴走工業製品、
果ては不幸な同族を狩ることで生計を立てる賊の一団が住んでいた。
彼らの悪名はそこそこに知れ渡っており、
この森を強いて突っ切って移動しようという者は皆無である。
いるとすればよほど急いでいるか、
よほど防衛技術に自信がある者ぐらいだ。

(……ウォルルル!! ウォールルル!!!)
やがて狼の吠え声のように、獰猛な二輪車のエンジン音が湿地に響き渡る。
ジュリエット(仮名)も、車内にかすかながら伝わる騒々しい音を聞いた。

サスペンションのよく効いた車内で、
彼女は水筒を取り出して、水筒の蓋部分であったカップにお茶を注ぐ。
物憂げな顔つきでスモークガラス越しに外を眺めれば、
そこには猫の頭蓋をいかつくしたようなヘルメットを被り、
湿地の緑に溶け込むような迷彩柄が施されたバイク乗手がいる。
賊のリーダーだ。

ジュリエット(仮名)は騒ぐこともなく、お茶をひと口含んだ。
彼女の眼はどちらかといえば、ガラスに流れる水滴の方を見つめていた。
雨の一粒一粒は後へつるつると流れては、平らな道筋になっていく。
リムジンは既に1ダース近くの賊バイクに囲まれていた。

「運転席は無人だ!」
フロントガラスを見てとった賊の一人が叫んだ。
車内のハンドルはひとりでに回っている、自動運転なのだ。

「タイヤねら……うわあああ!!」
急加速したリムジンに轢かれて一台のバイクが転倒する!

銃弾に襲われても、
そのまま体当たりで一度に二台のバイクを蹴飛ばそうと、
強靭な車体にはへこみ傷がわずかに残るばかりだった。
あっという間に屈強な賊達が脱落していく。

「……!」
体当たりにかかってきたリムジンを避けながら、
賊のリーダーは舌打ちする。
「ええい富裕層め、腹の立つったらありゃしねえ」
低く苛立ってつぶやくと同時に、
ヘルメット内臓の無線から部下の声が響いた。

(リーダー! これ以上あの車おっかけても無理だよ!
 バラせる気が全然しないッスよぉ~ッ)
「じゃあてめえらはそこで休んでろ!」
(え?! どうしたんですかボス、単独行動絶対ヤメロって普段いうのに)
「なんか知らねえけど、普段のエモノより腹立つんだよ!」

(しつこい人がひとりいるみたい……)

ジュリエット(仮名)は車内でひとりきり、じっと座っている。
雨粒の音より強い銃弾の音が時々、お腹に響いた。
(どうしてもこの子をひっくり返したいのなら、
 砲台のひとつもないと話にならないのに)

彼女に焦りの色はなかった。
その表情は湿地に入る前からずっと、どこか寂しそうなままだった。
(そうか……ここで彼らを始末すれば、
 少しでも健やかに暮らせるようになるのかしら)

彼女の手元には、小さな操作盤が握られていた。
このリムジンのコントーローラーだ。
彼女は手元をしばらくじっと見つめた。
そして、震える指であるボタンを押した。

「っ……!」
リムジンの最後部からアームのように迫り出したミニガンが、
リーダーを狙っていた。撃った。
柔らかい地面に音を立てて横転するバイク。
とうとうリムジンは賊のバイクを振り切り、どんどん先へと進んでいく。

「リーダー!! 死んじゃいやだー!」
パンクしたタイヤでヨタヨタと走る、後続のバイクが一台。
乗り手は倒れたリーダーに駆け寄っていった。

「……死んでねえよ、死ぬほど痛えけども」
体をうまく動かせないらしいリーダーはつぶやいた。
それでも命に別状はないらしい。

「なんなんだよあいつ、武装があるなら最初から撃ってこいっつうんだよ。
 しかも肉に穴も開かない豆弾って人をナメてんのかよ!!
 ああくそっ、なんも見えねえ」
 
彼女は自由に動く方の腕で、
前面がひび割れたヘルメットを脱ぎ捨て、頭を掻きむしる。

「アタマは割れてないみたいだし、雨が目に入ると染みるッスよ、
 ほら被りなおして! みんなそろそろ追い付きますから」
「…………」

賊のリーダーの顔つきは、ジュリエット(仮名)とよく似ていた。
この事実はここまで登場した人物で誰一人知らない。


ジュリエット(仮名)には技術と知識はあるが、非力な少女であった。
勢いのままにあたたかな家を離れ、蛮勇のごとき振る舞いを試したが、
急に震えが止まらない。
快適なはずの車内が冷え込んでいるように感じた。

湿地の外れで、リムジンは一心地つけるかのように停車していた。
横たわったジュリエットが起き上がるまで、動くことはない。

一度は滅んでいた世界にようやく人が増えても、生まれの差はあるし、悪人はいるし、それらは自分一人の力ではどうにもならないことを、少しぼんやりと想っていた。天板を打つ雨の音を聞きながら、じっとしている。

彼女はやがて、自分が何をしに外に出てきたのかを思い出して、奮い立つ。
湿地の外は打って変わって植物も育たぬ荒野で、
しかし雨を抜けた先ならば、そこは清涼な景色に映ると人に言う。
約束の場所である。
もうそこに帰りを心待ちにする人の姿は見えていた。

ひとりでにスライドして開く車のドアから、そっとジュリエット(仮名)は降り立って、叫んだ。

「勝手に外に出てきてごめんなさい!
 でもどうしても迎えに来たかったんですもの!
 おかえりなさい!」

少年少女らの名前は仮名である。
本当の名前はお互いのみの秘密にして愛でるのだ。
世界に復活した人類たちでもほんの一部の間に流行った、
まだ自分の持てる物が少なかった時代の習いである。

腐海の森を越える程度、
それは世界を周って来た彼の冒険に比べればままごとのようなものだろう。
すこし日焼けした肌色の少年は、少女に気がつくと、驚いたようにしてからはにかむ。
「ただいま」と。

「さあふたりで家に帰りましょう!」


めでたしめでたし

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