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未来が怖い~VSマタニティブルー~

先日、友達と電話をしている最中に大泣きしてしまった。
話の内容はなんてことはない。
出産した友達の育児について聞いていただけ。
たったそれだけで、涙がポロポロと流れ出てきた。

勝手に涙が流れてくるのは、今に始まったことではない。
これの一週間程前から、いきなり不安感に襲われるようになった。

「不安にさせちゃった?」
泣いていることに気づいた友達が尋ねてくる。
彼女は私の妊娠を知っている数少ない人物だ。
現在妊娠中期に当たる。

胎動はある。だから、不安感も薄まって、「母親」としての自覚が芽生え始める。
「妊娠中期」というのはそういう時期だ。そんな記事を見たことがある。

けれども私の不安は募る一方だった。
「異常があったら、どうしよう」
気がつけば、そんなことばかり考えてしまう。
胎児が上手く成長できていなくても、異常があっても、私にはどうすることもできないのに。

その恐怖心を拭うために、暇さえあれば色々と調べてしまう。
妊婦の様子。胎児の様子。妊娠期間における注意事項。妊娠中の過ごし方。産前産後の有効アイテムetc.
元々、些細なことでもなんでも調べてしまう質だ。
「知ること」でこの恐怖を拭えるなら、いくらでも調べてやる。いつの間にか、そういうスタンスになっていた。

だが、調べているうちに自分にとって不利益な情報も目についていた。
「臨月で死産」
「ダウン症」
「脳性まひ」
「障害児」
「乳児突然死症候群」
X、インスタ、YouTube……これらの不安分子はどこにいても纏わりついた。

怖かった。
とにかく怖かった。
調べても、調べても、不安も、恐怖も、なくなる気配はどこにもなかった。

現実逃避をするため、映画を見るようになった。
ゲームもやった。寝るだけ寝た。
それでも、終わった頃を見計らったように、恐怖心が顔を出す。

胎児のことも心配であるが、最も目を向けなければならない現実は産後である。

子宮筋腫の手術をしているので、予定帝王切開でお産をする。
主人の育休の見込みはない。そもそも働き方もめちゃくちゃだ。
毎朝7時半には出社をして、帰ってくるのはだいたい21時前後。遅い時は22時なんて時もある。

休みは日曜しかないため、家には殆どいない。ワンオペ育児は免れないだろう。
しかし、その分お金はしっかり稼いでくれる。
お金がなければ何もできないのだから、稼いでくるのが彼の役目だ。
ならば、家のことをやるのが私の役目。わかっている。わかっているのだが、自信はない。


「育児について、助けてくれそうな人はいますか?」
助産師、保健師、みんなが一度は聞いてくる問いに、とりあえず「義母」と答える。
すると、絶対に「(自身の)お母さんは?」と聞き返される。

「母親は子供の時に亡くなってます」
素直に答えると、大概は気の毒そうにされた。
そのたびに古傷がちくりと痛んだ。
私自身が実母の愛情を中途半端にしか受けていない。
これこそが、自信のなさと不安に繋がる一番の原因だというのに。

実母に愛されていなかった訳ではない。
むしろ、あの人はあの13年間という短い期間で一生分の愛情を注いでくれただろう。
しかし、あの人は前触れもなく、車に轢かれて突然死んだ。
だから、その愛情がいきなり途切れたのがつらかった。トラウマすらでもある。

──ねえ、母さん。
あなたはこの恐怖心とどう戦ったの?
聞きたくても、その声は返ってこない。


……そんな自分を襲いかかる数々の不安が、ついに、しかも人様の前で爆発してしまった。
けれども友達は、呆れることもなく私に言う。

「大丈夫。ひとりじゃないよ」
「自律神経が崩れてるんだもん。泣くのはしょうがない、しょうがない」

泣きじゃくる私にかけるその声は温かく、母親のようだった。

「私もそうだったよ。産声が聞こえるまでずっと不安だった」

誰だってそうだ。不安でない妊婦なんていないだろう。
ただそれを、みんな胸の内に秘めているというだけで。

「可能性は誰にだってあるよ。でもそれは、頭の隅に置いておいて──1%だけ考えて、あとは楽しいことを考えよう」

生まれてきてからやりたいこと、とにかく書き出してみよう。
そうすれば、きっと不安も和らぐから。

「1番大変なのは、お腹の中の子供なんだ。ひとりじゃなくて、ふたりで戦っている──そう思ったら、気持ちが楽になったよ」

つらい時ってひとりで戦っているって思いがちだけれど、本当はお腹の中の子供も戦っているのだ。
だから、ひとりじゃない。

「あとは、泣きたい時に泣いていいんだよ。思い切り泣いたあと、寝てすっきりしよう」

そうやっていくつもの優しい言葉を紡ぎながら、友達は私のことを励ましてくれた。
そんな彼女の言葉を、私は電話越しであるにもかかわらず正座をしながら「はい……はい……」と相槌を打って聞いていた。

気づけば時刻はお昼過ぎ。
終わりの兆しを見計らうように、膝の上で寝ていた彼女の子供が目を覚ました。
生後2か月の赤子にすら気を遣われる。なんとも情けない気分に苛まれた。

電話を切ってからは、彼女に言われた通りいっぱい泣いて、それから寝た。
けれども、どうしても「子供とやりたいこと」は書きだすことができなった。
「幸せ」がいきなり途切れることを知っているから。
未来を願うのが、とても怖い。
こんなにも、我が子きみを望んでいるのに。

「あいしてる」
口にすると、出し切ったはずの涙がまた溢れてきた。

未来を怖がるばかりに、きみの名前ですら考えられない臆病な私。
けれども、そんな私でも、もし未来を願っていいのなら。
秋に生まれるきみと北海道の長い冬を越えたあと──きみと一緒に、桜が見たい。
それが、今の、母親としての願い。

だからさ。
ちゃんと待ってるから、生まれてきていいんだよ。
まだ見ぬ我が子。ここにいる、私の息子。

大丈夫。
大丈夫。
――大丈夫。
そう、自分に言い聞かせながら、愛おしい腹部をそっと撫でた。


似たような境遇な妊婦さんへ
「ひとりじゃないよ」とは言えなくても「私もだよ」くらいは言えると思ったので、この機会に記させていただきました。
共に頑張りましょう。

2024年7月12日
葛来奈都

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