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*眼鏡をかける。眼鏡にかけられる。
「『熊みたいな人がタイプ』っていう女友達に山男みたいな友達を紹介したら『そこまで本物は求めていなかった』って言われた」
ある日、上司から聞いた彼と彼の友人のお話。
なんとも理不尽な話ではあるが、この話で思い出したことがある。
「眼鏡をかけている人」と「本体が眼鏡な人」は違う、ということ。
これは私の持論だが、眼鏡を外してもその人だと認識できる場合は「眼鏡をかけている人」で、眼鏡を外したら誰だかわからない場合が「眼鏡が本体の人」と思っている。
なお、俗に言う「眼鏡が本体」という人は体に眼鏡が馴染むらしい。物質と一体化……裸眼の私にはわからない感覚だ。
ただ、私の友人で「あ、こいつは眼鏡が本体だ」という輩がいる。
今日はそんな彼の眼鏡エピソードを紹介しよう。
なお、彼は遠視のため三歳から眼鏡をかけている眼鏡プロだ。
晴れて恋人ができた友人は、彼女と二人で帯広まで旅行をすることとなる。
しかし、実家暮らしの彼は両親に「恋人ができた」ということは言えず、我々と旅行をすると両親に嘘をついた。
まあ、それはそれでいいとしよう。
だが、そのあと彼は母親から想像を超える言葉を返された。
「あ、その日お母さんたちもお姉ちゃんと一緒に帯広に行こうと思っていたの」
まさかの日にち被り。
しかし、旅行の日付をずらす訳にもいかないので、彼はそのまま家族とは別々で帯広に行くこととなる。
といっても、帯広も広いからブッキングすることはない。
そう思ってばんえい競馬場に訪れた友人。
すると、彼の家族から連絡が入った。
「今どこにいるのー?」
「ばんえい競馬にいるよ」
「あら、お母さんたちもそこにいるわよ」
流石家族、考えていることは同じだった。
しかし、観光客がこんなにも溢れている中、そう簡単に見つかるはずがない――
と思ったのも束の間、なんと数十メートル先に彼の家族がいるではないか。
隣には家族からすれば見知らぬ女性。すなわち恋人。
バレたら色々と面倒臭い。しかし、こんな人混みの中で逃げられる術はない。
そんな彼が取った決死の(?)行動は――眼鏡を外すことだった。
そうしたら、なんとバレなかったという。家族なのに。
そうやって眼鏡《ほんたい》を外すことで事なきことを得た友人。
無事に恋人との旅行を終えたのだという。
間違いない。お前、眼鏡をかけているんじゃなく、眼鏡にかけられてるんだわ。
そんな眼鏡に関するお話。
――家族なのにそんなことあるかって?
そう思う人もいるだろうが、これに関しては私も人のことを言えない。
なんせ、恋人とデートの待ち合わせをした際、コンタクトにしていた恋人をドスルーしてしまったのだから。
君もきっと、眼鏡にかけられている人。
眼鏡が体に馴染むって、マジなんですね。
おあとがよろしいようで。
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