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「火中の栗」ってなんだ・・・?/栗はそんなに欲しくない
最近、
「火中の栗を拾う」
っていう表現をよく見かける気がします。
基本的には、「誰もやりたくないことをやってて偉い!」っていうニュアンスで使われることが多いのかなと。
でも、私は思うわけです。
「火中」の「栗」だぜ・・・?
そんなに欲しいかね、「栗」。
時に秋の味覚の代表格「栗」ですが、あれば嬉しいにしても、「うおー!栗食べてー!!」とか思ったことがない。
吉野家が栗ご飯フェアとかやってるのも見たことないので、実はあんまり需要ないんじゃないでしょうか、あれ。
しかも、「火中」ですからね。
というかこの慣用句、よくわからんのが、「火中」にあれば、栗であろうが栗でなかろうが、特に拾いたくないというかそんな価値はないわけです。
栗 → そんなに欲しくない
火中 → 熱いからやだ。
なのになぜ、「火中の栗を拾う」って、なんでそんなに潜在的にポジティブな感じで使われてるんでしょう。
有名な話として、「情けは人の為ならず」は、
誤:同情してもその人のためにならないから、厳しくいけ
正:他人の為ではないんだよ。まわりまわって、自分に還ってくるんだよ
ってのがありますが、もしかしたらそういうことなんでしょうか。
ほんとは、「火中の栗を拾う」=「評価もされないし利益もない。割に合わないさま。」みたいな。
グーグル先生に聞いてみました。
故事成語を知る辞典 「火中の栗を拾う」の解説
自分の利益にならないのに、危険をおかすことのたとえ。また、危険を承知で、あえて問題の処理や責任ある立場を引き受けることのたとえ。
[由来] 一七世紀のフランスの詩人、ラ・フォンテーヌの「寓話」によって知られる、「猿と猫」という話から。
昔々、ある家に、猿と猫が暮らしていました。あるとき、家の主人が暖炉で栗を焼いているのを見て、それを食べたくなった猿が、猫にこんなふうに持ちかけました。
「君はああいうのを取るのがうまいから、ひとつ、その腕前を見せてくれよ」。
おだてられた猫は、手をやけどしそうになりながらも、栗を一つ一つ取り出していきます。ところが、その一方で、その栗を猿が一つずつ食べてしまっていた、ということです。
[解説]
❶猿のおだてに乗せられてしまった猫が、ちょっとかわいそうなエピソード。そのため、うまく言いくるめられて、他人のために危険をおかす場合に使うのが、本来の使い方。自分から進んで危険をおかす場合に使うのは、あとから生まれた用法です。
❷古代ギリシャの「イソップ寓話」の一つに、同じ話があるともされています。しかし、実際にこの話の存在が確認できるのは、一七世紀が最古だとのことです。
へえ。
フランス由来の言葉だったんですね。
あと、「栗」=「割に合わない」ということではないようです。
ってことは、フランス人にとっては、「栗」ってのはそんなに重要なんでしょう。モンブランとかあるし。あれは美味い。
フランス版猿蟹合戦が由来であることを考えれば、日本に訳せば、「木の上の柿を拾う」でしょうか。
やっぱりいまいちピンとこない。僕は柿が好きでないのです。
にしても、「うまく言いくるめられて、他人のために危険をおかす場合に使うのが、本来の使い方」 ここは少々悲しい。
本来的には、若干ネガティブ表現だったんですね。
せっかくリスクを背負ったのに、手柄は他人のものにされてしまう。
キャバクラとかガールズバーに近い精神性がある。
てことは、現代版「火中栗」は、「お祝いにボトルを入れる」でしょうか。
シャンパンって嫌いじゃないですけど、コーラのほうが絶対美味いですからね、喜んでるのは店と女子だけです。
とりあえず、栗未満の価値しかなくても、おだてられなくても、火中に飛び込む所存であります。火傷には注意しましょう。
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