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アメリカンドッグはいつも優しい

家で仕事をすることに慣れてしまったせいか、出社して働く日、とても疲れてしまうことがある。
体力が落ちていることや、通勤の負担に加えて、情報量が多いのも理由だと思う。PC画面の中から飛び出して動き回る人々、サラウンドの音声、着信音もチャットの通知もなしに突然始まる会話。
特に会議が重なった日などは、なんだかもう、くたくただ。

先日もそんな感じの疲れ具合で、夫も遅く帰る日だったので、夕飯を買おうと思ってふらふらとコンビニへ立ち寄った。
ところで私の場合、ストレスや疲れは食に出る。お腹はそんなに空いていないのに特定のものを異様に食べたくなったり、その逆に、空腹なのに食べたいものが何も思い浮かばなかったりするのだ。この日は後者で、あかるいコンビニの棚の前を、幽鬼のように何度も往復するはめになった。

あきらめて、家でうどんでもすすろうか。

そう思って、とりあえず野菜ジュースをひっつかみ、レジに向かった。財布を出しながらふと、煌々と白くかがやくホットスナックケースが目に入る。あっ、と思ったときは口が動いていた。

「あと、アメリカンドッグをひとつください」

***

帰宅して、荷物を置くのも早々にソファーへ崩れ落ちる。
アースから静電気が逃げていくみたいに、お尻とソファの接地面から疲労が溶け出していく気がする。そのくせ疲労の総量はちっとも減らなくて、逆に体がずんずん重くなっていくみたい。

うぅ、と声にならない声を上げながら、コンビニでもらったビニール袋を探った。取り出した小さな紙袋を手のひらに載せると、ほんのり温かさが伝わってくる。軽くひねってある袋の上部を広げて中身を取り出すと、たちまち揚げた小麦粉の、甘く香ばしい香りが漂う。

俄然食欲がわいてきて、一緒に入っていたケチャップとマスタードの小袋(折り曲げるとこの二つが同時ににゅにゅにゅ、と出てくるタイプのやつ)を鷲掴みにした。元気なときなら赤と黄色で見た目よく波型のラインを描くところを、やさぐれた気持ちで無造作に絞り出す。味は変わらないもの。
そのままの勢いで、ぽってりとまるく形作られたアメリカンドッグのてっぺんにかじりついた。さくっとした歯触りのあと、ふかふかした生地が舌に触れる。甘い。中のソーセージは思ったよりボリュームがあって、軟らかくて、しょっぱい。ソーセージ単体で食べるときは肉汁がほとばしるような、粗挽きの肉々しいタイプが好みだ。対してこのソーセージの舌触りはなめらかで、やや人工的な、いかにも加工肉、という味がする。でもだからこそ、外側のほんわり優しい生地と合うんだと思う。

甘くてしょっぱくてふかふかしたものが、喉を滑って、空っぽのお腹に落ちていく。そうだこれが食べたかったのだ、とじんわりうれしくなる。

こうしてアメリカンドッグを時々食べるようになったのは、働き出してからだ。

金欠の学生が小腹を満たそうとするとき、コンビニのホットスナックはやや贅沢な選択肢である。貴重な資金を投じる対象としては、アメリカンドッグはやや野暮ったくてテンションが上がらないし、なにより甘いのかしょっぱいのかはっきりしない。甘いものが欲しいならお菓子の方がいい。しょっぱいものが欲しいなら、コンビニではフライドチキン一択だ。ファミチキにLチキ、からあげくんに揚げ鶏。舌が痺れそうに濃い味付けと、歯を立てた瞬間に肉汁と脂が流れ出してこそのコンビニ飯エンターテイメント。そう思っていた。

それが、社会人になってから定期的に「アメリカンドッグが食べたい」と思う日ができた。実家に帰った時に、母が買って帰ってきたのがきっかけだったと思う。そのときたしか、私はちょうど今日みたいに疲れていて、「これ最近好きなんよ」、と差し出されたそれの、甘さと塩気と柔らかさにうっかりほだされたのだ。
それから残業した日に、ときどき買って帰るようになった。

学生の時分よりもストレスが増え、胃腸は衰えている社会人にとって、疲れているときのフライドチキンは諸刃の剣だ。肉の塊と溢れる脂と強烈な塩分が三位一体となって人体にエネルギーを流し込む、カンフル剤のような食べもの。
たいていはエネルギーの吸収に成功し、元気が出る。でも疲れが臨界点を超えていると、いくらジャンクなものが食べたいと思っていても、食べもの自体が持つ力に負けてしまって、荒んだ気持ちになることがある。

その点、アメリカンドッグはいつも優しい。確かな塩気と加工肉の風味、揚げ油の香りがジャンクフードを求める気持ちを満たすと同時に、ほんのり甘く、ふうわりした湯気を立てる生地が荒んだ心をなだめてくれる。疲れたー! と駄々をこねる人間を包み込んであやして、欲しいもの全部をくれるような優しさがそこにはある。

そんなことを考えながら夢中で食べ進めて、あっという間になくなってしまった。残った棒にくっついた、カリッとした部分が好きだ。お行儀悪く歯でこそげて食べる。今までのおいしさ全部が、その部分に凝縮されている気がする。

ああ、おいしかった。はあ、と息をつくと、粘りつくようだった疲労がすこしましになっているのに気付いた。
よし、お風呂に入ろう。湯船につかったらもっと元気が出るはず。そうしたら、野菜炒めとかスープとか、体によさそうなものを作って食べよう。そう思って、勢いをつけて立ち上がる。

さっきまでソファから立てないくらいだったのに、100円ちょっとのホットスナックでこんなに元気になるなんて。
私にもかわいいところがあるじゃないの。
そんなことを思いながら、浴室に向かった。


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