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花を弔う

買った芍薬が咲かなかった。初めてのことだ。

蕾の状態で芍薬を買った場合、咲かないまま枯れてしまうことがある、というのは知っていた。けれど今までに家へ来てくれたかの花は、少し心配になるくらい気前よく、大きく開いて散っていったから、いつのまにか咲いて当たり前だと思っていた。

今回は咲かなかった。家に迎えた三本のうち、三本とも。

買ってきてから二日目、もう一度水切りをし、いっこうにゆるまない蕾を濡らした布巾で拭いて、優しくマッサージした。蜜で花びらがくっついて、ひらきにくくなってしまうことがあると聞いたから。
四日目、茎の下のほうにある葉をすべて落とした。外科手術をするような気分。少しだけ蕾が開いてきて、よしよし、と思う。
五日目、少しずつ少しずつ、蕾がゆるむのを、祈るような気持で見つめた。
八日目。三つの蕾のうち一輪の、外側の花びらに少し、皺が寄っていた。
十日目。蕾全体に、なんだかハリがない。薄桃色の繊細な花弁の縁に少しだけ、茶色いシミのようなものができているものさえあった。天人五衰、という言葉が頭に浮かんだ。

これはもう咲かないだろう、と思いながらも水を替え続けたけれど、そのうち外側の花びらは完全に萎れてしまった。しっとりと持ち重りがしていたはずの蕾が、ずいぶん軽くなっている。
ごめんね、と念じながら一輪を手で開いてみると、甘ったるい匂いが溢れ出た。窮屈そうに身を縮めた花びらが、ぎっしりと詰まっている。
外気のなかでぐうっと伸びをすることも、太陽の光も知らず、蕾の内側で華やかな香りを持て余していた花弁たち。そっとほぐして、器に盛った。
残りの二本も同じようにしようかと思ったけれど、自然に咲かない蕾を無理に開くという行為には、どこか罪悪感が募る。では、このまま捨てるのか。それはあまりに哀れに思えた。

いきものの死に哀悼を示すとき、私たちはたいてい花を捧げる。
それでは花を弔うためには、何を捧げたらよいのだろう。

考えあぐねた挙句、「言葉」しか思いつかなくて、この文章を書いている。






はじめて芍薬と暮らしたときの記録はこちら


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