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下駄をはいた豆ごはん

子供のころ楽しかったお手伝いに、えんどう豆のさや剥きがある。

さやの端っこにある「ここから開ける」と言わんばかりの髭を引っ張ると、ぴりっと小気味良い感触と共に筋が外れる。筋があった部分に親指、反対側に人差し指を置いて力をこめると、ぱこん、とさやが開き、つやつやした緑色の豆が顔を出すのだ。丸々太った大きい粒も、兄弟に押されるようにして縮こまる小さい粒も、どちらもかわいい。
さやの内側を指でこそげるようにして、豆を取り出す。ボウルの底に硬い豆がぶつかる、こここここ、とリズミカルな音。指先に移る青いにおい。

すべてのさやを剥き終わり、達成感と共にうず高く盛られたえんどう豆の中にそっと手を差し入れると、ひんやりと気持ちがよかった。

お楽しみはその後も続く。私が剥いたえんどう豆は決まってその夜、豆ごはんになって食卓にのぼった。ぽくぽくした豆の食感と、馥郁たる香り。子供ながらに、春のにおいだ、と思った。いつもと違う、ほんのり塩味のするご飯もうれしくて、必ずおかわりした。

そんな豆ごはんの舞台裏のようなものを知ったのは、高校生の時だ。
夕食の準備中、「ご飯、よそってね」と母に促されて、炊飯器を開ける。中身は豆ごはんであることを知っていたので、うきうきしながら。

母のお茶碗に豆ごはんをよそって、これくらいでいい?と見せると、母はなんだか困った顔をした。逡巡の後、そっと言う。
「……豆、もうちょっと、減らしてほしい」
言われるがまま、母のお茶碗の中の豆を自分のお茶碗へ移す。5粒くらい。これでいい?
「うーん……もうちょい。むしろ豆、なるべくないほうがいい」
 もしかして、グリーンピース、苦手?
「……。……うん」

ばつが悪そうににんまり笑う母の顔を見ながら、そうだったのか、と思った。母にも好き嫌いがあったのか、と思いながら、ほぼ白いご飯になった母のお茶碗と、豆だらけになった自分のお茶碗を見比べた。

それ以降、豆ごはんが食卓に並ぶと、母は堂々とえんどう豆を私に寄こすようになった。私にとっては好物なので、ウィン・ウィンである。娘ももうすぐ大学生ということで、親の威厳を少々取っ払っても大丈夫、と判断したようだ。

大人になった私は変わらず豆ごはんが好きで、春になると必ず作る。青果売り場でえんどう豆を買い物籠に入れるたび、あの時の母の、気まずそうな顔が浮かぶ。

母と私、二人暮らしだったあの頃。季節のものを我が子に食べさせたい、という一心で、自分の苦手な食材を手に取る母の姿を想像する。初めて豆ごはんを炊いてくれたのは、私が何歳のときのことなんだろう。思いのほか私が喜んだから、その顔見たさに無理して毎年作ってくれたんだろうか。そんなことを考えると、可笑しさとあたたかさに頬が緩む。

自分で炊く豆ごはんも、とてもおいしい。けれどそのおいしさは、母との思い出、という下駄をはいている気がしてならない。




某公募への応募作が落選したので、供養の投稿でした。
noteでエッセイを書き始めなければ賞への応募なんて思いもつかなかったと思うので、思えば遠くへきたもんだ、という気持ちです。

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