見出し画像

できたてのドーナツは温かい

大学生の時、某ドーナツ店でアルバイトをしていた。
家の最寄り駅近くで、子供の頃から利用したことのある店舗だったので、とりあえず応募したら、受かったので何となく働き始めた。
生まれて初めてのアルバイトだった。

ドーナツはかわいらしいイメージがあるが業務内容は意外と厳しかった。
通常の商品に加えて、期間限定の商品など、ドーナツの数がとても多い。
それに加え、ドリンクや飲茶などの作り方も覚えなければいけないし、トイレ掃除やダスター補充などの地味な作業、意志が強いお客様の対応など、幅広い業務を任された。
お金のために頑張って働こうと思っていたが、なかなか大変だった。

私が働いていた店舗では、月に1度、事務室でミーティングがあった。
近々出る新商品やキャンペーンの情報や、お客様からのご意見などが共有されるもので、私も可能な限り参加していた。

だが、正直つまらなかった。
新商品の情報は紙を見たら分かるし、キャンペーンも多少の違いはあるものの、似ているものが多い。
参加した際にはいちおうメモは取るが、読み返さないことも多かった。
ただ、「参加している」だけ。
そう思ったのは私だけではないようで、段々とアルバイトたちの参加率も低くなっていた。

そんな時、いちばん若い女性の社員さんから、
「次のミーティングで店舗オリジナルの企画の説明をするから、みんな参加してください」とグループLINEで連絡が来た。
彼女は私のトレーナーをしてくれていた人で、笑顔がかわいく、仕事もできぱきこなす、お客様からもかわいがられていた名物社員さんだった。
私も好感を持っていたものの、何となく距離感が掴めずにいた人だった。

正直、「めんどくさいなー」と思ったものの、参加することにした。

そしてミーティング当日、事務室にはいつもより多くの人が集まっていた。事前に連絡があったからだろう。私は久しぶりに会うアルバイトさんと「なかなかシフト被りませんね」などと無難な会話をしていた。

ミーティングの時間になった。…なのに、その女性社員さんが来ない。店長も来ているのに。
事務室の空気がいっきに悪くなった。
「せっかく来たのに、言い出しっぺが遅れるんじゃねーよ」
と、みんな顔に書いてあった。

仕方がないので、重い空気のまま、いつものように新作の情報の共有が始まった…その時、事務室のドアが開いた。

「遅れてすみません。今、作ったので、皆さん食べてください」

声の主は女性社員さんだった。

彼女は大きなトレーを抱えていた。その中には、今作ったであろうほかほかのドーナツが並んでいる。
はやく食べて、と言わんばかりに彼女は私たちにそのドーナツを配った。
私たちは置く場所もないので、すぐ食べることにした。

すると、―おいしい…

明らかにおいしさが違った。いつものより、めちゃくちゃおいしかった。
今時の言葉で言うと「レべチ」というやつだ。

みんなが、おいしい、おいしい、とはふはふ言いながら食べた。
いつしか重たい空気はなくなり、おいしくて温かいドーナツを食べた満足感で、みんな笑顔になっていた。

「おいしい!でもどうしてこれを?」店長が聞いた。
すると、
「今度、ドーナツができあがる時間の告知をしようと考えていて…それで、まず、働いてくれるみんなに出来立てのドーナツのおいしさを知ってもらおうと思ったんです。」
と言った。

私たちはすぐにその企画に賛同した。
こんなにおいしいドーナツを、来てくれる人に食べてもらいたい。
全員の心が一瞬で一つになった。

もちろん店長も大賛成をして、その次の日からドーナツの焼き上がり時間が告知されるようになった。
私たちも「まもなく、ドーナツができあがります!いかがでしょうか?」
と、積極的にできたてのドーナツのアピールをした。
おいしいことを知っていたから、全員が自然とおすすめすることができた。

すると、
「コーヒーだけのつもりだったけど、できたてなら食べようかな」
「できたてが欲しいから、告知の時間に合わせてお店に来たよ」
といったお客様が増えた。

結果、大盛況になり、告知時間にはお店に入りきらないほどの人が詰めかけることになった。

私はその時、「自分が良いと思っているものは、自然と人に教えたくなるものなんだな」と感じた。
また、その女性社員のマーケティングの上手さにも脱帽した。
わざわざ人数分のドーナツを焼き上げて食べさせ、おいしさを知ってもらうことにより、結果的に店舗の大きな売上に繋げたのだ。
しかも、アルバイトたちの負担は一切かけずに。
本当にすごいことだと思う。

みんなが笑顔のまま、大きな結果を出すことは可能なのだ。
私はこの経験から、そう思ったのだった。

いただいたサポートは今後の活動のため、とっても大切に使わせていただきます。