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言葉が出て来なくなった

最近、思うように言葉が出て来なくなった

と感じる瞬間がある。

「またまたぁ~」と思うような人は、私のnoteまで見ていないだろうからここは素直に書いていきましょう。ここは私にとってのそういう場所ですからね。

色々なしがらみもあるからだろう。

昨今、テレビを付けても、ラジオを聴いていても、すぐに誹謗中傷だと御旗を立てて必要以上に喋り手を叩く。そんな風潮に多少戸惑いを感じているのです。
確かに、時として言葉は凶器にもなるし、人の心を救済する道具にもなるものです。でも、必要以上にユーモアまで削って袋叩きにされれば、誰も声を上げなくなってしまうじゃないか。そんなことを思うのです。
私は、言いたいことも言えずにラジオをやりたくないと思う人間だから。

確かに、私はラジオを仕事にはしていないし、お金も儲けていません。人の為になるようなものを作り、人に偉そうなことを語れる、そんな立場の人間でもありません。
でも、曲がりなりにも善かれかしと思って話し続けてきた。その事実は脈々と9年と言う時間を持ってして私の中に刻み込まれている。それ故に時として悩むこともあるのです。必要以上に余計なことを語る、これが悪とされている世間との乖離に。

そんな時は自分が拠り所にしている喋り手(トーカー)の言葉でも聴こうじゃないかと思う。



2016年(平成28年)3月31日 古舘伊知郎さんが報道ステーション降板にあたり、最後に残した言葉が印象的で心の中に残っています。私が心に留めて置きたい言葉を一部書き起こさせて頂きますね。

「私は毎日毎日この12年間、毎日毎日テレビ局に送られてくる皆様方からの感想、電話、メール等をまとめたものをずーっと読ませて頂きました。それはお褒めの言葉に喜び、そして、徹底的な罵倒に傷付いたこともありました。でも、全部ひっくるめて、ありがたいなと今思っております。と言うのも、ふとある時気付くんですね。色んなことを言ってくるけれども、考えてみたら、私もこの電波と言う好機を使って善かれかしとは言え、色んなことを喋らせて頂いている。絶対、どっかで誰かが傷付いているんですよね。それは因果は巡って自分がまた傷付けられて当然だと段々素直に思えるようになりました。こういう風に言えるようになったのも、やはり皆さん方に育てて頂いたんだなと強く思います。」



「この頃は、報道番組で開けっ広げに昔よりも色んな発言が出来なくなりつつあるような「空気」は私も感じています。
とっても良い言葉を聞きました。この番組のコメンテーターの政治学者の中島先生がこういうことを教えてくれました。

『空気を読む』という人間には特性がある。昔の偉い人も言っていた。で読むから、一方向にどうしても空気を読んで流れて行ってしまう。だからこそ、反面で『水を差す』という言動や行為が必要だ。私はその通りだと。感銘を致しました。


つるんつるんの無難な言葉で固めた番組など、ちっとも面白くありません。人間がやっているんです。人間は少なからず偏っています。だから情熱をもって番組を作れば多少は番組は偏るんです。しかし、全体的に程よいバランスに仕上げ直せば。そこに普請をしていけば良いのではないかという私は信念を持っております。

そういう意味では、12年間やらせていく中で、私の中でも育ってきた報道ステーション魂というものを、後任の方々に是非受けついて頂いて、言うべきことは言う。多少厳しい発言でも言っておけば。間違いは謝る。その代わりその激しい発言というものが、実は後年経ってあれがきっかけになって議論になって良い方向に向いたじゃないかと。そういう事柄もあるはずだと信じています。」

喋り手として、第一線で活躍されてきた人の言葉は感銘を受ける。

私は以前、このnoteのとりとめもない書き留めについて、「貴方の書いている文章、偏っていますね。」と面と向かって言われたことがある。
(それからTwitterのプロフィール欄にnoteで偏った文章を書いていますと書くようにしました。これは私なりのユーモアです。笑)

私がここに書き留める文章も、私がラジオで話すことも、もちろん偏っている。
私が「『リスナーにギャフンと感銘を受けさせてやるんだと思ってます。』なんて言って『なんちゃってラジオ風音声コンテンツ』を作って金儲けするのは何か違うんじゃないか」と声高に主張するのであれば、「自分の得意なスキルでお金を稼げるならそれが一番じゃないですかね。」「法律に触れている訳でもないじゃないですか。」「そんなこと言う奴は老害だ。」等と言われても致し方が無い。それもまた1つの考えだし、私は否定もしない。
(仕事なんですけど金儲けちゃイケないんですかって言われたら私だって何も言えませんけども。その場ではすみませんと謝って事をおさめますよ。そりゃそうでしょう、奥さん。笑)

何故、私がその言葉を発しているか、その言葉に善悪の価値判断を付けられることも大なり小なりあるが、今の私が少なからずこの場に書き留められることは、私はこの9年間、趣味と言えるか分からないラジオに対して、自分なりの情熱をもって取り組んできたということ。

「つるんつるんの無難な言葉で固めた番組など、ちっとも面白くありません。人間がやっているんです。人間は少なからず偏っています。だから情熱をもって番組を作れば多少は番組は偏るんです。しかし、全体的に程よいバランスに仕上げ直せば。そこに普請をしていけば良いのではないかという私は信念を持っております。」

これを電波の向こう側に居る人たちに向かって正々堂々と言える。そんな心意気を持てる喋り手はカッコいい。

9年もの時間をかけて、仕事とした訳でも金儲けをした訳でもない。何か成し遂げた訳でもなく、ただただ情熱をもって取り組んでいる。私は、いつまで私は喋り手として、こうして皆さんに話をお届け出来るのでしょうか。

そんなことを思いながら今日のところは結びと致します。

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