見出し画像

人付き合いと色眼鏡と反省会

人付き合いが苦手です。会話が苦手ですし、そう自分でも決めつけています。目立つ部類の人間じゃないですし、何をしても後ろめたい気持ちが湧きます。人に誇れる程自信は無いですし、他人の目線がすこぶる気になります。そんな私ですが、この4年間で1番学んだことは、恐らく人間関係について。これと上手く断言することは出来ませんが、人付き合いの必要性を知り、人付き合いに助けられ、人付き合いに苦しめられました。

大学生活の前半、特に1年生の頃、よく一緒にいた友達がいました。2年以降話す機会も減り、会う機会が減り、勝手にもう馴染めないと思い込み、自ら距離を置きました。久しぶりに顔を合わせても、上手く喋れません。でも確実に、この人たちは私の日常を彩ってくれました。直接伝えることは出来ませんでしたが、感謝しています。

創作意欲が湧くのは、人と関わっている時です。少しかっこつけました。何かを書きたくなる、書きたいことが生まれるのは、誰かといる時です。正確には、誰かの話を聞いている時、もしくは誰かに話をしている時です。あと誰かと話をしていた事を思い出している時も。人を知るから自分を知ります。人を知るから自分に気が付きます。

自分の気持ちってものが、意外と分かりにくくて。実は私は私に対して色眼鏡をかけているらしいのです。自分の日常やそこから生まれる考え方で染まった色眼鏡。それは誰もが持っています。だから、たまに誰かの眼鏡を借りると、違った見え方がするんです。私の眼鏡では見えなかった物が見えて、私の眼鏡では見えるものが見えなかったりする。いろんな色の眼鏡をかけて、私の眼鏡がどんな色なのかを知ります。

私はどうも自分のことが大好きです。ですが、自己肯定感は低いのです。人から認められる気がしなくて。なんででしょうか。今度誰かと考えたいです。

楽しかった夜の帰り道は、いつも一人で反省会をしています。言葉遣いや立ち振る舞い、調子に乗っちゃったとか喋りすぎたとか、機嫌の悪さを顔に出しちゃったとか、自分だけ楽しんじゃったとか、その時々で種類は沢山です。次に活かせればいいんですけど、恐らく活かせれた事はほぼ無いと思います。毎回同じことで反省して、毎回ちょっと悔しくなります。

こんな私と仲良くしてくれる人が尊くて仕方がない。嬉しい、有難い、
それと同時に嫌われたくない。悪く思われたくない。どうせなら好きでいてほしい。欲深い私は、そんなことを考えてしまいます。おかげでどうも生きづらい。

謝るという行為は、謝った側が自分のためにしている、と以前どこかで聞きました。恐らくTwitterで回ってきました。本当に共感します。自分の罪悪感を晴らすため、大小に関わらず過ちを犯した自分を許してもらうため、私は謝ります。そんなこんなで反省会をした結果、謝って、その謝ったことに対してまた反省会をします。何ともまあ迷惑な事です。謝られた側は別になにも気持ちよくありませんしね。反省。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?