食事制限中のノンヴィーガンが『ヴィーガンとノンヴィーガンのためのコミュニケーションガイドブック』を読んで

読めば読むほど、私はノンヴィーガンであることを自覚してしまう。私自身はIBSという持病のために、自分にカスタマイズした食事制限を続けているが、もしも野菜のみの生活をはじめたとする。労働する身体を維持できるかというと、さらに頭を抱えてしまうからだ。私の食事制限のおおもとLow-FODMAP Dietである。海外で取り寄せたLOW-FODMAP Dietのレシピ本を開くとP70に”VEGAN LOW-FODMAP7-DAY MENU PLAN”とタイトル(※1)があるので、低FODMAPダイエット食をしながらヴィーガン食もするのは不可能ではないらしい。いまの自炊しながらの制限食生活もきついため、栄養失調にならないように気をを配り続けるのは心も身体ももたない。
しかし自分がノンヴィーガンだからといって、ヴィーガンと称した人の話を全く聞かないのか、というのはどこかもの寂しい。

本書は、ヴィーガンはもちろんノンヴィーガンの人にも読まれることを意識したものだ。

動物を食べることはカーニズムを助長することに間違いないけれども、だからと言ってノンヴィーガンが加害者だということではないのを、ヴィーガンが理解することも大切です。人間は皆、微妙な差異をもっていて複雑にできているので、一人の人が複数の役割を担うものであります。

『ヴィーガンとノンヴィーガンのためのコミュニケーションガイド』P172

ヴィーガンである著者がノンヴィーガンは加害者ではないということを明言していることに、少しほっとした。と同時に、さまざまなネットニュースを影響されてヴィーガンに対して身構えていた自分も発見することになった。
カーニズムとは、ヴィーガンと対極にある肉食主義者のこと。
カーニズムを否定できないことも、私がノンヴィーガンを自覚する理由のひとつになる。
西洋からくる肉食の思想は、家畜と共生するヨーロッパの伝統農法(三圃制)からも構築されてきたことも考えると、家畜を失うことは肥料の輸入ありきの慣行栽培に振り切ってしまうことにもなりうる。
栽培の方法を狭めてしまうことによって食糧保全のリスクが増えるのではないかと懸念してしまうのだ。

二次的外傷性ストレス(STS)の問題について

本書には、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などのストレス障害についても言及されている。暴力によるトラウマを受けるメンタルの病気のことだ。二次的外傷ストレスそういったものになる。

ヴィーガンの中には、典型的な外傷性反応を示す人もいれば、「不顕性反応」つまりあまり強くない反応を見せる人もいます。とは言うものの、実質的にはすべてのヴィーガンは、動物への残虐行為を目撃したことにより認知の歪みやコントロール不可能な感情を程度の差こそあれ経験します。

同書P166

自分がノンヴィーガンと自覚するのは、ここの部分が欠如しているのも要因なのかもしれない。ただノンヴィーガンとして知っておかなければならないのは、ヴィーガンを称する人は、動物虐待について、とても強いストレスを感じているということ。ヴィーガンやベジタリアンを称する人たちは、心的ストレスまたは感情の面によるきっかけが大きく、そして菜食中心の食事制限を継続するのである。
淡々と報じるニュース記事だけでは「感情」の部分を想像することは難しい。だからこそ感情を文書にのせる著者による主観的な本に価値がある。ヴィーガニズムには賛同はできないが、当事者がどういった感情で菜食を制限しているかを知っているだけで、アンチヴィーガンに一方通行な理論へと誘導されないためのストッパーになりえる。

心因的な理由が大きく占めるためか、各所で「道徳」というワードが多用される。医学的、身体的な理由で食事制限をしている自分とは、やはり本質が違うと感じる。

ヴィーガンになるという選択は、誠実な行為であり、重要な倫理的立場に基づいています。しかしある個人が他者よりも道徳的に優れているという姿勢は、どう考えても錯覚であり、ヴィーガニズムに関する問題を取り扱ううえで逆効果にもなります。

同書P266

この文章から、コミュニケーション、対話、を諦めない著者の絶え間ない挑戦ともとれる。菜食、動物製品の不買という行為は、結果として現れるものだが、その行為自体は、優劣を決める”ものさし”ではない。ヴィーガンとノンヴィーガンの分断を生まないためには、著者のいう「道徳の優劣から一切触れぬこと(P266)」には激しく賛同する。
「私は優れている、あなたは劣っている」と他者を見下す動機であれば、ヴィーガン・ノンヴィーガンであろうとなかろうと、悲しい対立を生み出してしまうことは想像できる。

制限食医学的、身体的から始める食事制限しか認識していなかったので、新しい視点を学ぶことができた。心因的からくる食事制限もある。このことを、しっかりと認識したい。

ノンヴィーガンだが、他者に食事制限を伝えるための気持ちのあり方を知るために有益な本であった。本書はコミュニケーションの具体例ものっているので、わかりやすかった。

どうしてそれを食べないのか。食べられないからといって、相手の食事を安易に軽蔑するのは気分的に良くない。不健康な食事であっても、食べられるようにするために料理をする過程に「労働」が存在する。料理してくれた手間まで考えずに「食べない」行為は、心が痛い。
自分が食べるのが苦しい、と訴えるだけでは、その食材を健康的に食べている相手にとって狐につままれたようになる。
自分の食事制限はというと、日本で馴染みのない食事療法を行なっていたので、かなり驚かれた。栄養が偏るから食べなさい、と言い争いにもなったこともある。偏食じゃないんだよ、と何度も何度も説明するのに苦労した。根気よく、諦めずに伝え続けた。コミュニケーションが常に開かれていれば、いずれ「そういう食生活の人もいる」と存在を認めてくれるようになっていくのだろう。

もちろん栄養失調になる恐れがあるときは、制限食は中止する。相手の忠告も、しっかりと聞きながら、制限食の自炊を続けていきたいと感じた。

※1 『THE COMPLETE LOW FODMAP DIET』P70 より
日本語では低FODMAPダイエットとして知られている。オーストラリアの大学で研究されている食事療法のレシピ集。


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