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感想:すみっコぐらしの映画を観て、昨今の市場経済について頭を抱えてしまった

すみっコぐらしを映画館で鑑賞するのは初めてだ。1作目と2作目は動画で見た。面白かったのですみっコぐらしのアニメを繰り返し再生したり、すみっコぐらしのうたを歌っていたら、相方が映画代を奢ってくれた。奢られてばかりで申し訳ない。金がなさすぎる。

以下、3作目となるすみっコぐらしの映画の感想である。

大まかな物語のネタバレは避けますが、随所のネタバレがあるので、映画を観てない方は、スクロールせずにバックしてください。

続きはスクロール下にて








ここからネタバレ

寓話性の高い第三作目すみっコぐらし

絵本の世界が原作であるので、寓話感がバリバリの強めだ。寓話(※1)とは、動物や無機物など人に模して語られるお話しだ。子供に聞かせる事が多いため、これから生きていくための教訓や時代の風刺などが含まれる。
有名なものだとグリム童話がある。
グリム童話の代表作である赤ずきんでは、女の子が狼に襲われてしまうが、最後には勇敢な猟師に助けられる。敵認定された狼は痛い目にあって、ザマァ(※2)して終わりなのが現代に読まれる赤ずきんのだいたいの展開だ。現代は女の子に救いが与えられるのが主流だ。

17世紀のフランスでシャルル=ペローという人物は、すでにあるグリム童話をもとに話を書き直した。ペローが書き残した童話は、現代に残るグリム童話のベースになっているとよく聞くが、完訳ペロー童話集(※3)で収録されている赤ずきんは、現代に流布されている赤ずきんと終わり方が違うのだ。

ペロー版赤ずきんからみる寓話の特徴

なんと17世紀フランスでシャルルペローが書いた赤ずきんは、途中で打ち切りのように終わっている。

「おばあちゃん、なんて大きな歯をしているの?」
「おまえを食べるためさ」
そして、こういいながら、この悪い狼は赤ずきんちゃんにとびかかって、食べてしまいました。

完訳ペロー童話集(岩波文庫)

ペロー版では、ここで物語が終わる。女の子が食べられて、おしまい。食べられっぱなしで続きはない。悪い狼は美味しい女の子を食べて、おなかいっぱいになりました。めでたしめでたし、ということである。オオカミに食べられて物語は恐怖で終わる。あまりにも残酷で、女の子の気持ちを考えれば考えるほど、落胆し気持ちが沈んでしまうだろう。
そして、このオチのあとに「教訓」という注意書きが続いている。

教訓

これでおわかりだろう、おさない子どもたち、
とりわけ若い娘たち
美しく姿がよく心優しい娘たちが
誰にでも耳を貸すのはとんだ間違い、
そのあげくに狼に食べられたとしても
すこしも不思議はない

完訳ペロー童話集(岩波文庫)

なぜ、子供に聞かせる物語なのに、わざわざ脅すような恐怖を与える終わり方をするのか。それは、「オオカミは危ないぞ!!!」という警告を、物語を通して伝えたいことでもあるからだ。残酷な結末を物語の登場人物が代わりに体験することによって、現実で危ない目に遭わないようにするためである。

ツギハギ工場の中で起こる労働者の対価

工場とは、ものをつくるための建物。まさに労働するための労働者の居場所だ。
労働は労働者にとって、生活を豊かにするものである。映画に出てくるすみっコたちはおもちゃ工場で働いたあと対価として、豪華な夕ごはんと立派な寝床を用意してもらえた。美味しそうなごはんと個別のお部屋。おもちゃ作りが終わったすみっコたちは満足そうに描かれる。
「おもちゃ=喜んでもらえるもの」を生産した達成感とともに、労働という対価を払って、すみっコたちは心も住まいも食べ物も豊かさを手に入れる

しかし「もっと作らなきゃ」とくま工場長が焦りはじめたときに、不穏な雰囲気になってくる。

時間が経つごとに、すみっコたちの作らなきゃいけない、おもちゃが増えていく。どんどん忙しくなり、ますますコンベアから離れられなくなる。
とうとう事件が起きる。お友達のざっそうは疲れて居眠りをしてしまった。そして寝ているざっそうを、ねこちゃんが間違えてコンベアに流してしまったのだ。
工場で作るおもちゃの数がどんどん増えていく様は、むしろ労働のストレスに日々を悩ませている大人の方が戦慄するのではないか。

「もう、それ、間に合ってます」

さらに残酷だと感じたのは、お友達のミニっコたちが、工場の外へ行った時の場面だ。
ミニっコたちが、いったん外へ出て行ってみれば、なんだかすみっコの街の住人が喜んでいない。街がおもちゃで溢れかえってしまっており困り果てていたのだ。
あれだけ一生懸命に作ったおもちゃが喜んでもらえたのは昔の話。もっと喜んでもらおうと工場の生産性を上げた結果が、むしろ迷惑になっていたのだった。
大量生産の果てに「余ったおもちゃ=不要なもの」に成り変わってしまっていたのだ。工場で大量生産されたおもちゃたちは、すでに間に合っている。誰もほしがらない。
商売でいうと「在庫を抱える」という状態だ。

じゃあ何のための労働だろう…

おもちゃを作ってもらえたら、喜んでもらえた。もっともっとたくさんおもちゃを作ろう。そうしたら、みんなが喜んでもらえて、おもちゃ作り職人も幸せになれる

安くて、大量に、良いものを……

がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって

おもちゃを作る技術はピカイチ、生産数だって負けないはずだ

でも、いつしか感謝されなくなった。

がんばったのに、どうして!!?

ものづくり製造業の将来の見通しは暗い。
それは、すでに各家庭に商品が行き渡ってしまったからだ。食品や紙などの使い捨ての消耗品でない限り、再び買うことはしない。
現に2023年、中古フリマアプリのメルカリが業績黒字になっている。

記事には、黒字の要因は金融関係といろいろごちゃごちゃあるが、要はメルカリの事業が上手くいっているのは、フリマアプリという物物交換を助けるサービスが多くの人に受け入れられているということである。
質の良い中古品を安く譲り受ける時代。新しいものを買うよりも、質の高い昔の中古品をフリマで買った方が、安く手に入って長く使える。
(自分もキッチン器具を、知人から譲ってもらったものを、かなり愛用している。お気に入りは数十年前のガラス製のミキサー。落として割ったりしなければ、プラスチック性の最新のミキサーより丈夫で、清潔で、長く使えるので満足している)

すみっコたちが工場を出ていってしまったとき、ぷつん、と工場が止まってしまった。動かなくなった工場は、暗く、悲しい気持ちにさせる。

ツギハギ工場で起こったことは、産業革命後の市場経済を想起させる寓話になっている。生産性を上げろ、効率を上げろ、と一生懸命になるけれど……もしかして、その商品は十分すぎるほど有り余っているんじゃないか。実はもう、その労働は無駄なんじゃないか。
すみっコぐらしは子供の視聴者を主眼に置かれた映画。産業革命後に経験した大人の「労働」の問題を、すみっコたちの物語を通して子供自身が目撃するのだ。

世の中には、経営が行き届かなくなり、破産する会社がたくさんある。経営者が放棄し、従業員がいなくなって閉鎖した工場のメタファーにも見えてくる。

市場経済における「そっちに行ってはいけない」という警鐘

今作の映画が質の高い「寓話」という形をとれるのは、それとなく共感できる話になっている点も挙げられる。というのは、映画におけるおおまかなストーリーは、さまざまな労働環境に置き換えられるからだ。

例えば、ひとつの国だって、大きな工場である。
自分の国の住人に働いてほしい。だから税金を高くしよう。そうすれば、お金が少なくなって、住人がお金を稼ぐために働きに出てくれる。そして国の税収も増えて、豊かになれる。
もっと税収を上げよう、もっと税収を上げよう、もっと、もっと…
だけど、もう住人は疲れきっている。いつ逃げてもおかしくない。住人は、お金がないので娯楽もない。我慢の限界。
いつしか住人がいなくなってしまって、国という工場がストップしてしまう。労働者はいなくなってしまい、廃墟だけが残される。

例えば、一般家庭の子供の教育にだって置き換えもできる。家庭もお金を稼ぐ工場とみなしてみよう。
親は子供を貧乏にしてはならないと考える。そして将来、子供に高収入の仕事に就いてほしいので、親は我が子に、もっとたくさん勉強してほしい、という方針をたてたとする。高い学力を身につけて給料の良い大企業に就職してほしいと切に願う。
もっと勉強して、もっと勉強して、もっと勉強して
だけど子供が、興味のない勉強に必要性を感じなくなって、テスト勉強をやめてしまうかもしれない。親が的外れな勉強を強要させてしまうかもしれない。子供が将来やりたい職業と、親のなってほしい職業が違っていた場合、子供は勉強から逃げてしまって、そもそも進学も就職を諦めてしまう。
最悪ひきこもりになってしまって、親も子供も落ち込んでしまう。

すみっコに出てくる工場は、ちぐはぐな市場経済が成したゲシュタルト崩壊を見せられているようで、誰もがハマるかもしれない落とし穴にもみえてくる。

余談だが、おもちゃ工場という設定は、すみっコぐらしを販売している側の自虐ネタにもみえる。的のはずれたおもちゃを生産すれば在庫を抱える…おもちゃとして販売されるすみっコたち自身でもあるんじゃないか…

ふと街歩きをしていると、閉店しているお店を見かける。
いつの日かシャッターがかかったままの店舗。シャッターには「閉店」の張り紙。
「ああ、ここ、なくなったんだ…」
張り紙から滲み出る経営者の悲哀が、すみっコぐらしのツギハギ工場と重なってしまって、上映中に涙ぐんでしまった。

※1 web版デジタル大辞泉参照
※2 ザマァ系…「ざまあみろ」の略。ラノベにおける異世界転生もので、復讐する相手をコテンパンにするお約束展開がジャンルとして現存している。
※3 『完訳ペロー童話集』朝倉朗子訳(岩波文庫)

うちのすみっコ

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