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変な人 (32)最寄りの私鉄駅、「にや~」と笑いかける男

 これは本当にあった、怖い話。

 背筋が凍る階段話。
 それは最寄りの私鉄駅の改札を抜け、外に出るために階段を下りている時だった。
 60歳を行ったり来たりのお年頃の私ではあるが、階段を降りる仕草はまだ「こわごわ一段ずつ」とまでは行っていない。それなりに「ととっ、ととっ」と軽く、リズミカルに降りていくことができる。
 週に3、4日はジョギングを続けているため脚は健全。この年齢にしては足取りも軽いと信じている。
 もしかしたら、そんな気持ちを動物的勘で読み取られていたのかもしれない。
 突然! 私の後ろから「とととと、とととと」と速足で階段を降りてくる音が聞こえる。
 そして階段があと3段くらいで終わろうとするその瞬間、足音は私を追い抜いていった。
 追い越していったのは、ちょうど私と同じくらいの年齢と思しき男。
 その男は私より早く階段を降り切ったところでくるっと私を振り向き、心から嬉しそうに、そして「どうだ」と私の顔を覗き込むように「にや~」と笑いかけるのだった。

いつもの階段がトラウマになる、恐怖の階段話。

 その瞬間、私は本当に冷たい氷を当てられたように背中がぞくっとし、階段を降りるのも忘れ、その場に立ちすくんでしまった。
 男は「にや~」と笑った後、再びくるっと体を前に向け、速足で去っていく。
 いったい私は突然何に巻き込まれてしまったのだろう。ただ階段を降りていただけなのに。
 あの「にや~」には確かに「俺が勝ったぜ」という、私とその男の間にだけ成立するメッセージが込められていた。
 ただ階段を降りているだけで、彼のライバルと見なされてしまったということなのだろう。
 なぜ階段を降りるだけで見ず知らずの男と二人っきりの世界が出来上がってしまうのか。
 なんでそんなやり取りをしなければならないのか。
 私はぞっとした後に、そんな不条理を感じていた。
 皆さんは、軽~い出来事のように思われるかもしれない。
 しかし私はそれからというもの、1日に必ず1、2度はある「階段を降りる」という行為をするたびに、あの「にや~」と覗き込むように笑う男のことを思い出さずにはいられない。
 トラウマは、ある日突然やってくるのである。


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