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ビートルズ風雲録(18) インドラ・クラブ

1960年8月16日、シルバー・ビートルズ(いや、すでに本人たちはシルバーを取ってビートルズと名乗っていました。マネージャーのアランは相変わらずシルバー・ビートルズと呼んでいましたが)はドイツのハンブルクへの旅に出発します。


オースチンのバンで出発!

ジョン、ポール、ジョージ、スチュアート、ピート・ベストの5人のビートルズ。そしてアラン・ウィリアムズ。その妻のベリル、彼女の弟のバリー・チャングと友人のロード・ウッドバイン。まずはご一行9人でジャカランタを出発。運転はアラン。車は、モーリスのバン。
おそらく、こんな感じの車だっだかと思われます。


モーリス J2 (写真は郵便局仕様) 実際はかなりおんぼろだったらしい。

狭くて、座席もなくて、アンプの上に座っていたというジョージの話も残っています。
機材を積んで、それでもこんな大人数が乗れるんですね。

さらにロンドンではブルーノ・コシュミダーとの通訳を務めるオーストリア人の若者をピックアップします。ブルーノ・コシュミダーは英語を話せませんでした。アラン・ウィリアムズが最初にハンブルクを訪れたときも、お店のウェイトレスを片言の通訳として、なんとか意思疎通したくらいです。それでも取引が成立したのですから、お互いなかなか大したものです。

これで総勢10人。フェリーでオランダに向かいます。

まずは車でロンドンからハリッジという港町へ。そこからフェリーで10時間くらい、対岸であるオランダのフク・ファン・ホラントに到着。
そこから再び車でハンブルクに向かいます。

途中、アルンヘムで一休み。そこでは戦没者記念碑で写真を撮ったり、街をぶらぶらしたり。そんなときです、ジョンは地元の楽器店からハーモニカを盗んだようです。それを自慢気に仲間に見せつけます。本当に困ったやつです。そういえば、あるオーディションで他の参加者のギターを盗んだこともありました。結局、そのギターで演奏するわけにもいかず、ジョンは手ぶらでボーカルだけを担当、あっさり落とされています。困ったやつです。

インドラ・クラブ到着

一行はその後ドイツに入国、1960年8月17日の早朝、ハンブルクに到着し、仕事場のインドラ・クラブを訪れます。
まずは、眠い。なんでもいいから寝かせてくれ。彼らは椅子で睡眠をとります。
そしてこの日の夜、インドラ・クラブのステージに立つのです。いきなり、ですね~。
なお、初日の観客は10人ほど。しかし、なんと4時間半のステージを完遂。
終了後、彼らはインドラ・クラブのオーナー、ブルーノ・コシュミダーのマンションで眠ることができました。
ぐっすり。だったでしょうね。疲れ切った体を休めます。
そして同時に、まさか翌日以降の定宿が悲惨な環境下のものになるとは、思いもよらなかったことでしょう。


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