【31歳に向けての意気込み】

【31歳に向けての意気込み】
 
新生活いかがお過ごしですか?
そろそろお疲れ溜まってきてませんか
 
そんな時ほどゆっくりとあったかい
ご飯を味わって食べてくださいね〜
おふろにゆったりつかってくださいね〜
私はそこ怠らずにやってるとご機嫌です
 
5月になったねー。
この時期になると
いつも思い出すことを
ふわりふわりと綴ろう
長くなるので中略は
noteに綴ってあり
まとめだけ
Instagramに
引用するので
続きが気になられたら
ぜひ読んでみてください☺️ 
 
 
私は24歳で助産師になった
大きな病院で働き始めた
 
働きはじめの1年目は
帰ってきたら服脱いで
風呂もご飯も無しで
ソファとかで寝てしまうほど
毎日緊張しまくって
毎日勉強しまくって
 
あの頃の私もよく頑張ってたなぁ
 
妹が今年から社会人になり
看護師の混合病棟ではたらいている
 
上手く立ち回れる性格だからこそ
とにかく無理しないように
労ってあげたいと思っている
きっと先輩によく可愛がられるタイプ
だから心配はしてないけどね〜
楽しくはたらけたらいいなと願ってる⭐︎
 
 
私は20歳から4年かけて
看護師助産師の資格をとった
 
その前は短期大学に行ってた
 
大学時代とは人生の夏休みッ⭐︎
とか思ってたし
人生の夏休みを
伸ばしたかったら
編入すればいいじゃん〜⭐︎
(なんで標準語)
くらいに思ってた
 
だから編入しようと思ったけど
人生の夏休みッ⭐︎としか
考えてなかったから
勉強なんてしてなくて
そりゃ落ちるわな
編入失敗
短大2年目の9月
 
短大で卒業するみんなは
年明け1月ごろから就活をして
もうみんな仕事が決まってた
 
わたし、どうする?
 
とにかく、はたらく?
 
合説に行った
もう来てる人もまばら
お給料はうる覚えだけど
月金で9-17で働いて
手取り12万程
 
え、家賃払ったら
ほぼ無くなるやんの計算
 
これは、生きていけないわ
同じ時間働いても
雲泥の差の職業もあるやん
 
そこでやっと、やっと、
本気でどうやって
これから生きていくのか
を考えた
 
考えた
 
考えに考えて考えた
 
わたし、なにがしたい?
 
あ、
どんなしごとをしていても
「おかあさんになりたい」
これだ。
 
じゃあ、
「おかあさん」
になるのに
有益な勉強をしよう
 
自分の人生の時間と
親のお金を費やして
手に職を
 
保育士さんの道も
考えたけど
 
助産師の方が
自分の中では
イメージが強く出てて
 
「赤ちゃんがすき」
この思いから
20歳の9月
助産師になることを決心した
 
そこからまず
どこの学校が
9月時点でも
受験を申し込むことが
できるのか調べた
資料を取り寄せた
 
資料をとりに行ったら
「こんな時期から絶対無理ですよ」
そう言われて帰ってきた
 
猛勉強で1月。
そう言われた学校も受験
「誰が行くかよ」って
スタンスで面接
 
面接官に
「3年で看護師取得の
コースのみの希望を
ご記入ですが、
4年の保健師も取れる
コースもあります。」
 
それに対して私は
「3年で看護師の免許を取得して
その次の1年で助産師の資格を
取りに行くので3年コースのみの
希望で間違いありません」
とかなり強気に出た
 
そしたらそんな態度でも受かった
むしろその姿勢によって
決意が伝わって良かった
のかもしれない
とにかく、よかったー(笑)
 
その時の面接の先生が後に
助産師には開業権があると
教えてくれた
 
そこからはがむしゃらに
看護の勉強や実習と
助産学校受験のための予備校
祖母の介護を同時並行
 
介護面で看護で学んでること
全生かし
 
実習でも介護で体験してること
全生かし
 
実習においては
使える福祉について
提案しまくって
指導者と熱く語るほど
 
地域連携のある病棟実習では
異例の98点ほどいただいた記憶
 
介護大変だったけど
いいこともいっぱいあったなぁ
育児とつながる経験もいっぱい
ありがとおばあちゃん👵🏻
 
無事に看護学校も卒業
看護師国家試験もものすごく
合格率もボーダーも低い年だったけど
なんとか合格
 
そのまま助産学校も受験し
そちらも合格
 
看護学校3年目の
実習行きながら
予備校通い週に2回
and
助産課程のつめつめ1年
この2年間は確実に鬱だった
 
実習先のベビー室でベビーが泣くたびに
自分が責められた気持ちになった

そんなのも乗り越えて
無事に
助産師として働きだした

やっとなれた助産師も
日々の業務に追われ
バタンキューな日々

そんな中
「お母さんになりたい」
これを25歳で再確認した

そして結婚離婚妊娠出産
 
 

出産を機に改めて
【おかあさんになりたい】
この夢について
働き方についても
考えるようになった

シングルマザーで
親も近くにいない
親には頼れない状況下

育児と仕事とを
天秤にかけない
働き方を強く望んだ

管理的に助産師なら誰でもよくて
産婦さんを部屋番号で呼ぶ
そんな働き方は苦しくて

守られていたのも良くわかるし
病院勤務のシフト制が
恋しいなと感じる日も
たまにはあったし
(あったかな?笑)
 
 
人生のビッグイベントなる
妊娠出産育児を点でなく線で
じっくり寄り添えて
お産の後も共に育ちたい
自分も娘もその時間も
心から大切にしたい

そう願ったら
病院にはもう
私はいられなくて

その病院を辞めてから
そろそろ2年が経つ
 
前の職場で
「地域に全く興味ない」
と話される助産師さんもおられ
 
ほんとに適材適所で
世の中成り立ってる
 
私は結局今の
はたらきかたが
生き方が大好き
ただ、それだけ

地域に出てから丸2年が経ち
3年目が始まろうとしている

人間としてもまだまだまだまだ
成熟には程遠く
親として助産師としてなんて
ひよっこにも程があるけど

色々と失敗と思えるような
極上の経験によって
燻されてきたいい香りを
良きアクセントとして
醸し出すことができる
そんな31歳にしていきたい
と30歳の今、考えています
ひえええええぇえええ

「しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。」(1‭‭コリント‭7‬:‭7‬)
 
それぞれ持って生まれてきた
性格や特性のいいところも
わるいところもぜーんぶ人と
違うから面白いもんねー!
だからこそ
それぞれの人生があるもんね
 
ここからも楽しんでいきましょう🤸😆🫶
関わってくださる皆様
いつもありがとうございます💕
今後ともよろしくお願いします🎉

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