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2022年・冬、深刻なサウナ依存症について

サウナにハマってる。

ハマっているというか、もう無くてはならない存在になっている。

「お前はサウナに依存している!」と言われたら「おっしゃる通りで…」としか言いようがない。1週間に8回は行きたいと今日も思ってる。妥協して6〜7回に落ち着く。深刻なサウナ依存症だ。

もともと、風呂は好きなほうだった。家で半身浴したり、スーパー銭湯行ったり、そもそも温泉ソムリエだし。

けど、サウナは何度かサウナ室に入ったことがあるくらいで、正しい嗜み方を知らずにここまで生きてきていた。サウナを知った今では、もうサウナ前の自分を思い出すことすらままならない。

サウナは僕の人生に多大なる影響を与えてしまった。今日はその魅力…というか、僕が何を感じながらサウナに入ってるかを徒然なるままに書こうと思う。

あなたがもしサウナを知らないなら、知ってほしいから。

知っているなら、共にサウナの良さを語り合いたいから。

では思うがままに書いていく。もちろん今もサウナ上がりである。サウナ上がりの気分で書くnoteはとても心地よい。

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あれはそう。昨年の10月頃だったか。よく行くスーパー銭湯でなぜか水風呂が目に止まった。いつもは気にすらしていない。こんな冷たいもの、よく入れるよな…と思って何度となくスルーしてきた、水風呂。

ところが、なぜかその日は違った。

人生には、理論では到底説明がつかない衝動がたまにある。その日、それは唐突にやってきた。僕はなぜか水風呂に「入ってみようかな?」と思った。衝動がそうさせたとしか言いようがない。今、入らなければならない気がする。

それなら体をあっためておいた方が入りやすいよな…と、サウナ室に入ってみた。熱いのも汗をかくのもそんなに嫌いじゃない。ボクサーの減量をイメージしつつ、なんだかストイックな気分に浸ってた。10分くらいで体が蒸し上がってきてるのがわかる。そろそろ出ようか。

サウナ室から出た。水風呂を見る。うん、大丈夫だ。まだあの衝動は失われていない。思い切って水風呂に入ってみる。しっかりとかけ湯して…まずは足元から。うわ、めちゃくちゃ冷たい!脳天にガツンとくる…!なんでこんなものが銭湯の貴重なスペースの一角を占めているのか…理解できない。僕の中の衝動よ、これで満足してくれたか。もう充分だろう。

…が、少しジッとしてると意外といける。いけるどころか…これ、もしかして気持ちいいのでは?頭がスーッとして気持ちいい。そしてなんだか体に熱の膜を帯びてるようで冷たくない。

なるほど。水風呂、案外いいのかもしれない。けど、これ以上は無理だ。呼吸が荒くなってる。1分もたたず出る。体についた水滴が一気に冷える。いやいや、10月でこれはヤバいな。急激に体を冷やしたせいか少し動悸がする。これはちょっと…休んだ方がいいな。せめて体をよく拭いて、あそこのベンチに腰掛けて休もう…

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もうおわかりだと思う。偶然にも僕は、正しいとされるサウナの手順を踏んでしまったのだ。昨今のサウナブームに釣られて、あらかじめ入り方を調べて「よし!サウナに行くぞ!」と準備して初体験を迎えたわけではない。たまたまスーパー銭湯で、たまたま水風呂に入ってみようかな…という衝動。そう、全ては衝動のせい。しかし、それこそがサウナだったのである。

ベンチに腰掛けて休んでると、体がドクドクと鼓動を打つ。血が全身を駆け巡ってるのを感じる。10月の風が気持ちいい。秋晴れの気持ちいい日で、気温もそんなに寒くない。いい風だ。秋を感じる。思えばこんな風に外で季節を感じることもなかったな、この頃は…

だんだんと体がポカポカしてくる。あれ、これ何?しんどくて休んでるつもりが…なんだか頭がボーッとしてきて…あれ、これってもしかして気持ちいいんじゃないの?僕は目を閉じてしばらくこの快楽を味わった。

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そう、この感覚…これこそがサウナである。
しかし、この時の僕にまだサウナの自覚はない。

同じステップを踏むと、またこんな感じになるのかな?もう衝動はない。あるのは好奇心だ。好奇心がこの感覚をもう一度確かめろ、と言っている。

もう一度「サウナ」→「水風呂」→「休憩」を試してみよう。今度はさっきより長くしてみた。サウナに15分、水風呂に1分…さっきより全然水風呂いける。というかもう気持ちいい。そして上がって体をよく拭いて…露天スペースに出る。ベンチに座る。

2回目、それはもう…さっきより深く、恐ろしいほどのリラックス状態が訪れた。好奇心が確信に変わる。なるほど、これは明らかに血流が巡ってる。自分の血管が伸縮して、体内を血が駆け巡ってるのがわかる。この気持ちよさ、それは血の巡りからきてるのか…体内の仕組みを知る。

このあと、3〜5回繰り返してみたが…2回目がいちばん気持ち良く、その日はそれ以上の快感が訪れることはなかった。風呂から上がり、ネットで調べ、僕は知る。それこそがサウナの正しいとされる入り方だったのだ。これがサウナなのだ。温冷交代浴との出会いである。

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あれから、4ヶ月…もう何度もサウナに行ってる。多い時は週7とか。少なくても4回は行きたい。8回はまださすがにないけど、いつかやってしまいそうな気がする。行けない日は自宅で半身浴から冷水シャワー。それでも充分いける。温冷交代による「ととのい」を完全に理解してしまった。

残念ながら体が慣れてしまったのか。初めの頃ほどの深いリラックス状態は訪れなくなってきている。しかし、安定して気持ちいいし、なによりサウナの目的がそれだけではなくなっている。

サウナに入ると感覚が研ぎ澄まされるのか、ご飯が美味い。素材の味を感じ、生を実感することができる。サウナ上がりにたったひとつの「焼きおにぎり」を食べる美味さ。醤油と米の味わい深いことよ…なお、サウナ後はご飯を美味しく感じるのでついつい食べ過ぎる人が多いようだが、僕は「おにぎり」ひとつと決めている。何を食べても美味い状態で食べる「おにぎり」は得難い。食を実感することができる。

さらに季節を感じることができる。肌寒いこの季節、天気のいい午前中の外気浴は妙に清々しく、生きる希望すら感じられる。夕方、日が落ちる瞬間は思わず泣きそうになる。この世に生まれてきて、今ここにいることが奇跡だと思える。

雨の日や雪の日はさすがに寒いけど、天気のいい日は刺すような寒さが脳を覚醒してくれる感覚になる。まだサウナ一年生だ。冬しか経験がない僕は、春になったら、夏になったら…秋になったら…どんな季節を感じるのか今から楽しみで仕方ない。こんなにも季節を楽しみにできるのはいつ以来だろう?もしかしたら人生初かもしれない。

何より、サウナ、水風呂からの外気浴の気持ちよさは思考の世界から僕を完全に自由にしてくれる。何かと情報過多のこの時代。考えることはたくさんある。それも大事なこと。考えることは嫌いではない。

しかし、完全にそれから自由になる瞬間が1日の中にあるのはいいものだ。ただただ、「熱い」と「冷たい」それを繰り返した先にある快楽。思考から切り離され、頭に残るのはシンプルに日々への感謝だ。

一緒に働いてくれている仲間への感謝
出会ってきた友人たちへの感謝
育ててくれた両親、祖父母への感謝
家族への感謝

都合のいい感謝ばかりではない。迷惑かけた人や、良くない別れ方をした人たちのことも思い出す。意固地な僕だけど、この時ばかりは素直に申し訳なかったな、と思える。反省の中にある感謝。自分は1人では生きていないのだな、ということを実感する。

妙に子供の頃を思い出すのはなぜだろう。無邪気だったあの頃。脈々と先祖代々受け継いできた命があるからこそ、今僕がここにいる。ありがたい。本当にこの世に生まれてよかった。

そして始まる。感謝の最上級、ビッグウェーブ、ご先祖さまへの感謝が…目を閉じれば生まれ育った田舎がそこにある。15歳で家を出て、それからあんまり帰れてないな。今度落ち着いたら帰ろう。あそこが僕のルーツなのだから。サウナは墓参り以上に墓参りだ。

日々の思考から切り離され、繰り返される感謝。やがて…何も考えられなくなる。完全に思考が止まる。感謝を偽らなければ偽らないほど、深いリラックスが訪れる、そう、サウナとは、究極の自己との向き合いなのだ。そのご褒美として…「ととのい」は訪れるのだ。その気持ち良さよ。人生のすばらしさよ。

今日も…本当に良い、1日だった…ありがとう。ありがとう、このnoteを読んでくれたあなたにもありがとう。これが僕のサウナだ。伝わってくれたら嬉しい。


これからも僕はサウナに行くだろう。みんなにも是非体験してもらいたい。なに、忙しくて行く暇がない?なるほど。その言い分はわかる。でも逆なんだ。

忙しいからこそ、サウナが必要なんじゃないか?

そう、これはサウナに行きたい僕の究極の言い訳である。全人類がサウナに毎日入り、戦争のない平和な社会を。水風呂に入る前はかけ湯を忘れずに。私語は慎んで黙浴を。マナーは守ってね。ほんと頼むね。

記事がおもしろかったら、サポート頂ければとても励みになります。が、無理のない範囲でよろしくお願いします。たぶんサウナ代に使わせていただきます。