ロッテ悪女説「若きウェルテルの悩み」~男女の友情って成立しないよね~

恋愛小説や恋愛映画はお好きですか?
僕は正直あまり好きではないです。
というのは、ほとんどの作品が(恋愛作品だから当たり前なのですが)「恋愛が至高」「恋愛がこの世で一番素晴らしい!」ということを説いているから。僕自身がこれまで人間関係だとか、家族とか、そういうものをあまり大事にしてこなかったため、お説教をされている気分になるのかもしれません(笑)。
地球最後の日に何をしますか?系の映画で、愛する人と共に過ごすラストなんて最悪です。

今回の作品も恋愛を扱った話なのでどうなのかなと思っていたのですが、通常の恋愛ストーリーとは一風変わった悲劇のストーリーだったので、思うところも多く楽しんで読めました。

「若きウェルテルの悩み」

婚約者のいる女性:ロッテと出合い、恋に落ちてしまった青年ウェルテルは、かなわぬ恋であることを知りながらも感情に任せて親交を深めてしまう。次第にロッテへの抑えられない思いが強くなり、一度は距離を取るものの、再び近づいてしまうウェルテル。
ロッテへの想いと、それがかなわない現実との狭間で苦しみ、耐えられなくなったウェルテルは、自ら命を絶つ選択をする。

本作を読んで最初に感じたのは、「ロッテひどくない?」ということ。
自分には婚約者がおり、その婚約者を裏切る気持ちは無いにも関わらず、自分に好意を抱くウェルテルと親しくし続けてしまうのってどうなんでしょう?

僕は普段の生活で似たようなことをよく考えます。誰かに親切にするときに、「その行動は本当にただの親切心から来ているのだろうか?」「(相手が女性であれば)自分に下心があるのでは?」「(立場が下の相手であれば)自分が上だという安心・優越感からの行動なのでは?」と考えてしまうことがあり、結局親切にしないという選択をすることが多々ありました。

下心がある親切ゆえに、親切にした相手が自分のことを好いて、でも自分が真剣にその人とお付き合いをしていくという気持ちが無かった場合に、その相手のことをものすごく傷つけてしまうと思うからです。←頭おかしい

自意識過剰・考えすぎなのはわかっていますが、僕自身が、少し親切にされたくらいでその相手のことを意識してしまう性格なので、相手もそういう人だったら、、、、と考えてしまうんです。なので、自分とお付き合いする可能性が無い女性、もうすでにパートナーがいる女性の方がまだ話しやすいし、親切にしやすい。
つくづく人づきあいに向いてない性格だなと自分でも思いますが、、、、
みんなどうしているんだろう。

話を戻すと、自分に好意を抱いている人に対して、その恋を叶える気が無いのにそれでも関係を保ってしまうのって、相手にも、婚約者に対しても罪深くない?ということです。ウェルテル目線ではロッテはすごく心の美しい人として描かれています。本作品はゲーテ自身の恋愛体験がもとになっているらしいのですが、ロッテのモデルとなった女性もゲーテの目からは素晴らしい人間に見えていたのだと思うのですが、実際はどうなんでしょうね。
相手の恋を叶える気はないけれど、自分に好意を持っている人間をつなぎとめておきたい・失いたくないという想いが完全に無かったのでしょうか?

本当に相手のことを想うのであれば、もしくは、本当に自分のパートナーを一番にするのであれば、可能性が無い恋愛ルートは切り捨てなければいけないのでは?

(でも、今回の話に関して言えば、ストーリーのほとんどがウェルテル目線で語られているので、実際にロッテが拒んでいなかったかどうかはわかりませんね。第3者から見たら、頭のおかしいウェルテルがロッテに付きまとっているだけかもしれません。その場合、ロッテは悪女ではないですが、可能性のない相手に気を持たせないのも親切だという僕の主張は変わりません。)

こんなことを考えているから僕には女友達がいないんでしょうね。
女友達ができるとしたら、数十年後、完全に性欲がなくなったころでしょう。
若い人の男女の友情は絶対に成立しない派です!(笑)

今回の作品のような、「恋愛が至高!」ではない恋愛物語があればぜひ教えてください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?