ドロップキックで客を倒した富永くん1
「富永くんのコンビニには近づくな」
誰もいない空調の効いた教室で高橋は言った。高校二年生の夏休み、卒業課題の休憩中だった。高橋はパックのコーヒー牛乳を飲むと唐突に呟いた。そもそも、富永くんって誰だ?聞いたこともない。
「富永くんって?」
「まあ無理もないな。俺も斎藤から聞かされた時は誰?って感じだったし。隣のクラスの奴だよ」
高橋は話し始めた。どうやら、隣のクラスに「富永くん」と呼ばれている男子生徒がいること。富永くんは学校から少し離れたコンビニでアルバイトをしている。どこの誰が始めた話かは分からないけれど、接客中に奇声を発したり突然飛び出して行ってしまうらしい。
この程度のエピソードならば、「近づくな」というほどでもない。「近づくな」という話が広まったのは、富永くんが客を突然ドロップキックで倒したかららしい。
「はあ……」
高橋の自慢そうな顔を見て、聞こえないようにため息をついた。というのは、学校で広まっている噂を知るのは大抵、高橋を経由しているからだ。
「お前、ちゃんと聞いてるか?マジで危ないぞ」
高橋は大きな目をさらに大きく見開いて僕を指さす。
「うん。まあ気をつけるよ」
卒業課題を十七時で切り上げると、家の方向が違う高橋と別れた。「お前通り道だからくれぐれも……」大げさな言葉と大げさな顔で言うと、高橋は買ったばかりのロードバイクに乗って走り去った。僕は高橋の後ろ姿を数秒見つめて、歩き出した。
僕はバス停を通り過ぎてコンビニの前で立っていた。近くにファミレスがある。確かにここだ。しばらく、ガードレールに腰掛けて様子を見る。五分もして何もなかったら立ち去ろうと思っていたけれど、噂の富永くんらしき人物はすぐに現れた。
黒髪で色白、背はそんなに高くない。通りで記憶に残っていない訳だ。その人物は両手にゴミ袋を持って僕の前を通り店の裏に入る。名札に「富永」と書かれているのがはっきりと見えた。しばらくして、今度は両手に何も持っていない富永くんが、僕の前を通り立ち止まった。立ち止まった?心臓が跳ね上がる。顔を上げようとした途端、富永君は再び歩き出し店内に入った。
レジに並んでいた。パックジュース一つ持って。好奇心に負けた。どうしても、富永くんのことが気になって仕方ない。そもそも、話に聞いていたような人物だとは到底思えなかった。
富永くんはレジに立っている。前に並んでいた人が運よく別のレジに行き、僕は富永くんを正面から観察できる。早歩きでレジに向かうと、富永くんの前にパックジュースを置いた。富永くんは僕が置いたパックジュースを見ると、うつむき気味だった顔をあげて僕を見た。
「君も僕のこと見に来た?」
富永くんは眉をㇵの字にして、悲しそうな顔をして僕を見た。