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【前編】第二子誕生の物語/喜びと葛藤のリアル

2021年9月26日 15:32 「オギャーーー」と張り裂けるような泣き声が響き渡って、わたしは笑いながら泣いていた。アラサーのいい年した大人がどうしようもなく声を出して泣く、出産はそんな非日常な出来事なのだと1年経った今でも思う。

このnoteでは、第二子誕生の記録を物語風に残してみようと思います。

産まれること、育てること、そして生きること。これはとても幸せで尊いです。ただ日々は目まぐるしく心身が不安定になることもあります。フィクションにすることで、そんなよい面と大変さをセットで飾らずに記録したいなと思います。

慌ただしい日々から抜け出し、心をひと休みさせる時間として読んでもらえると嬉しいです。


新たな命がやってきた

まだ寒さが残る2月。わたしのお腹に新たな命がやってきてくれた。
嬉しくて地に足がつかないフワフワしたような感覚。4歳になる娘がお腹にやってきたときもだったなぁと懐かしくなった。

我が家は夫、わたし、4歳娘、5歳犬の4人家族。
共働きでどちらもガッツリ働いていて、夫は帰りが遅い。仕事と育児の両立にもがき夫婦でたくさん衝突しながらなんとかやってきた。娘が3歳を過ぎた頃からやっと子育ても少し楽になり、家族仲も穏やかになってきたという状況。

長女と第二子が5歳差になり割と間が空いてしまったなと思うが、このタイミングでしか私たちには無理だったのだと思う。独身時代は夜中まで当たり前に働いていた同士に子どもが産まれ急にそれができなくなり、理想と現実に乖離がありすぎて心も体もついていかなかったのだ。

だから妊娠が分かったとき真っ先に思ったのは「赤ちゃんってその家族にとって一番いいタイミングでやってきてくれる」という言葉だった。

両家の両親はとても喜んでくれたし、祖父母からは時折「2人目はまだ?」という声が漏れていたのでコロナでどんよりしたニュースが多い中、吉報だと喜んでくれた。が、間髪入れずに「男の子を産むんだよ!」と言われたことは今でも忘れない(笑)。そんなのコントロールできんわ!と心で叫んでニッコリ微笑んでおいた。

実は一番喜んでくれたのは長女だった。1年ほど前から「なんでうちには赤ちゃん来ないの?」と無邪気にプレッシャーをかけてきていたのだ。弟や妹ができる友達が増え、お世話したい気持ちが抑えられず何度もだだをこねてきていた。
産まれるまでの10ヵ月が待ち長いだろうと思ったが、夫に伝えた数日後に娘にも知らせた。ママのお腹に乗ったらいけないこと、しばらく抱き上げたりできないことを理解してくれたのではやく言ってよかったと思う。(もちろん理解しても癖で体当たりなどしてきていたがw)

ツワリはどうだったか

平日ほぼワンオペでなんとか子育て・家事・仕事を回している状態だったので、ツワリが強くなると仕事で精一杯。でも娘に夕食を食べさせないわけにはいかないのでもうろうとしながらなんとか作って、夫に「体調悪い、、帰ってきて」とLINEして倒れこむ状態。ワガママ盛りの娘も「ママ?大丈夫…?」と頭をなでたりしてくれていた。

長女の時は食べツワリだったが、今回は胸やけのようにムカムカしたりもうおろうとするタイプのツワリだった。「妊娠と出産は稽古ができん」と母が耳にタコができるほど言っていたのを思い出した。母が祖母から引き継いだ言葉で、一人ずつ違うし練習もできないことを伝えていた。

この時期はただただ耐えるしかない。昼休みは横になる、夫に頼る、家の中が荒れていても娘の寝かしつけが遅くなってもしょうがないと諦める、でなんとか乗り切った気がする。

安定期に入るとツワリは落ち着いてきて、自分でも妊娠中とは思えないほどこれまで通りの仕事をやれていた。フルリモートで働いているので身体的な負荷が少なかったことが大きいと思う。

仕事と長女の相手と家事で日々は目まぐるしく、長女の時のようにお腹に話しかけたり、胎教に良いと言われる音楽を聞かせる余裕はなかったがその分、娘がお腹をなでてくれていたなぁと思う。

会社に妊娠を告げた時

150人くらいいる事業部のサブマネージャーをしていたこともあり、割と早い段階で妊娠の報告を済ませていた。会社の人たちも喜んでくれることが目に浮かんでいたので全く心配せず伝えられ、そして本当に自分事のように声をあげて喜んでくれた(実際には、フルリモートのためSlackで報告したのでたくさん絵文字付きのメッセージをもらった。感謝)。

この時、わたしの親友が妊娠したときの出来事を思い出していた。彼女が妊娠を伝えると、上長は顔色を変えて声を張り上げ怒ったという。人手が足りなくなる、どうするのかと、、、。
嬉しいはずの妊娠なのに彼女は泣きながら話してきた。わたしはそんな人が現代にいるのかと信じられなかった。しかも上長は女性で、子どももいるという。

わたし自身、産休・育休中の人員補填を調整する役割でもあったので確かに簡単ではないことも分かる。でも出産は人生に何度かしかないこと。仮に2人産んで1年ずつ産休・育休を取り80歳まで生きるとすると、80年のうちの2年。だとしたらほんのちょっとの休憩ではないだろうか。何より新たな命が生まれることを素直に喜ぶ心を持ちたい。 

仕事をバトンタッチし、産休へ

会社と話して8月6日が産休前の最終出社と決まり、担っていたいくつかの役割を4-5人の方にそれぞれ引き継がせてもらった。と言っても1週間前まで商談もどんどん入っていて7月もほぼ同じ仕事をしていたので、自分でも「本当に産休入れるのか・・・」と直前まで実感がなかった。

産休・育休でどのくらい休むのか問題

思い返せば、社会人として10年以上働いてきて仕事を離れたのは2ヵ月だけ。長女出産のときはフリーランスだったので出産1週間前まで働き、産後2ヵ月では訪問取材に行っていた。

仕事は好きだし楽しい。でも嫌なことも大変な面もある。だから単に楽しいから仕事をしているというより「仕事をしている自分がいてこそ、わたしという一人の人間が完成するんだ」と思っている。

そんな過去や想いがあって、今回の出産でどのくらい仕事を離れるかとても悩んだ。最もイメージがついたのは仕事と離れる期間を最小にして復帰すること。それが自分らしいとなんとなく思っていたのだ。

でも気がかりなこともあった。

一つは、長女が3歳になるまで夫婦でよく衝突していたあの頃を繰り返してしまうのではないかという怖さ。
長女が生後2ヵ月で仕事復帰し、自宅で育児をしながら仕事をすることで自分の余裕が全くなく常に何かに追われている感覚だった。今振り返ると、仕事も子育てもうまくやれると思ってやるもののうまくいかない現実が受け入れられず、夫婦共にとても苦しかったんだと思う。

もう1つは、もっと一緒にいればよかったと後悔しないかな?という自問。
0歳から1歳は一生のうちで一番成長が大きい。そして本当にあっという間。当たり前だけど、一度できるようになったことはもうできなくならないので、もう一度あのハイハイの頃の我が子を抱きしめたいと思っても叶わない。
長女の成長を夫婦でたくさん楽しみ、たくさんの思い出を作り、写真や動画を残してきた。でも後悔してないかと問われると自信がない。わたしは仕事をほぼ休まなかった分、我慢や淋しい想いをさせた場面もあったと思うから。

何日も断続的に、これらのことをグルグル考えていた。
夫に話してみたが「したいようにしたらいいよ」と。彼の寛容さや優しさだと理解していたが、出産に伴う休暇で悩むのはやはり女性なのかと腹立たしく思ったときもあった。

結果的に、わたしは丸々一年休むことに決めた。

仕事は、わたしを構成するひとつの大きな要素。それがなくなることは自分の価値がなくなってしまいそうでとても怖かった。それでも1年休むと決めたのは、年老いて人生を振り返ったときに後悔したくないと思ったから。

わたしは仕事に熱中しすぎてしまうクセがある。今は仕事を休むことがとても重大なことに思えているけど、人生をどう楽しむかで考えると、心置きなく子育てを楽しんでみたいと思ったのだ。
出産はこれが最後だと思っていたこともあり、産まれてくる子と長女との大切な一年にしようと決めた。

夫の育休問題

ここまで決まるとあとはバースプランや産後サポートのことだけになった。

わたしは短くてもいいので夫に育休を取ってほしかった。なぜなら、男性が育休を取ってくれるとその期間は、両方が育児オーナーになれるとても貴重な期間になると思ったから。

そして、わたしは里帰り出産はしたくないと思っていた。地元で出産するとなると夫は出産には立ち会えず産まれた数日後に会いに来ることになる。夫婦二人の子どもなのに?という違和感があったし、妻が主で育児をするのが当然という風潮はとても嫌だった。

それに夫の働き方的に、夫が長女と2人で生活することは難しい。長女も連れて里帰りするとなると負荷はもっと増すではないか。

結果的に夫の育休は叶わなかった。男性育休が広まっているとは言っても職場の理解がないと言い出すのもとても勇気がいることで、言えたとしても権利を行使できないことがあるのだと学んだ。

出産のサポート体制は?

2人目の出産となると、わたしが産後退院するまで長女の保育園送迎や夜の育児をどうするか考えないといけない。ここは夫が育休を取れない分、実母に来てもうことに。

夕方は夫が時間休をとって娘を保育園に迎えに行き家に送り届ける。その後は実母に夕食やお風呂、寝かしつけまでをお願いした。
ちなみに退院直後に車で娘を保育園に迎えに行くのはしんどいので、プラス2週間は夫に迎えを継続してもらった。

出産に立ち会わない方針の夫

出産立ち合い・産後のお見舞いは、コロナの影響で1人までとなっていたので、夫がその一枠を使うことに。

ただ、夫はずっと前から出産に立ち会わない方針である。長女の時から、分娩室は女性の聖域だと思うという旨のことを言っていた。(長女の時、夫は結果的に仕事で間に合わず、実母が立ち会って支えてくれた)

今回は立ち会いと産後のお見舞いは共通の一人なので、夫がたち会わなければ一人で産まないといけない。

思うところはあったがそれは考え方の違いだし、無理に立ち会ってもらうのも違うと思っていた。割となんとかなると思うタイプなので、陣痛の間は一緒にいると言っていたのでまぁいいかと思っていた。

これは余談だが、他にもコロナの影響はあった。
出産予定日が近づいたらわたしはPCR検査をし、陣痛が来たらわたしと夫どちらも抗原検査をする。
万が一わたしが感染していた場合は専門の病院に搬送されて緊急帝王切開になり、産まれた我が子は抱けず一定期間隔離。

想像したら不安でたまらないしゾッとするが仕方がない。感染予防は徹底しつつもあまり考えないようにしていた。


そんなこんなで出産の準備は整っていった。
あとはその日を待つだけ。

次のnoteでは陣痛~出産について書いていこうと思います。慌ただしい日々のちょっとした休憩になれれば嬉しいです。


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※妊娠・出産・産育休は本当に人それぞれです。どれが良い悪いということはなく、それぞれの価値観や考え方、タイミング、家族の事情によると思いますので、どれかを否定したりするものではありません。純粋にひとつの物語として、物事の動きや心情をお伝えできると嬉しいです。

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