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自己否定/結婚観/サラエボ事件ほか

 こんばんは。昨夜はちょっと自分の軽率な言動で一日しばらく自己否定感が続きました(こういうのをTwitterに呟くと仰々しいですよね)。そんななかでも、こんな比類なきダメ人間に暖かい眼差しを下さる方々には頭が上がりません。今日は何かこんな心境でとても偉そうなことが言えないので、自己否定、結婚、サラエボ事件についてエッセイをまとめます。最後何やねん。


私の自己否定

 今度、何処かで自己否定にまつわる本が出ますね。便乗させていただき、いやそれはそれとして独立して、私の自己否定を内観してみます。どうぞご笑覧いただければと思います。内容と被ってしまったらすみません。

 普段の私はナルシストだと言われます。確かに自分のことは、本当は嫌いではないです。自分が好きで何が悪いのだろうと、慎ましくある美徳を自ら放棄することもあります。ただ思うに、自己否定の強い人は自己愛も同じほど持ち合わせており、つまりいずれにせよ自分に関心が向くので人に余り執着がないのかもしれませんね。

 健やかに自分を好きでいることが健康の秘訣ですが、そのエネルギーが自己否定に振り切れるとき、気持ちが滅入ります。恐らく人に拠っては、「どうしてそれだけしか持たずに堂々としていられるのか?」と訝し気に感じるほど、何も持っておらず、むしろマイナス要素の方が多いです。努力してもしても、やっとスタートラインに立てるかどうかのハンデばかりで、自分を好きだと錯覚しなければとっくに死んでいたかもしれません。

 自己否定の良いところは、何より謙虚でいられることでしょうか。何か啓蒙しようとしたり、不遜なことを言わないようにいつも以上に気をつけるので、自分のことを弁えて判断できる、すなわち身の程を知ることができるように思うのですね。出過ぎた鼻を折るように、定期的に自然と調節されるのかもしれません。

 一番は、いつもに増して感謝の念が湧くことです。自尊心が下がると、実存に対する根源的な問いで出てくるので、その源泉に触れてくれる他者は本当に有難い対象なのですね。きっといつもより知覚のベクトルが上がっていて、何気ないことにも感動できる意味で、素朴に生き直すことができるような気がするのです。

結婚について

 この万物に対する畏敬の念のようなものは、手前味噌ですが家族にも適用できて、私は夫と二人暮らしなのですが結婚10年目なのですね。DINKsです。元々、22歳の頃に付き合いだした高校の知り合いで、どちらかというと昭和の結婚観が強かった私は「交際するなら結婚だろう」と考えていました。

 夫は私の事情を全て受け入れてくれた上で、あくる日に電話で夫に「皆には帰る場所があるけど、私にはない」と一人暮らしの部屋で号泣したら「僕が居場所になる」と約束し、そして有言実行してくれたのでした。紛れもなく夫は糟糠の妻で、こちらも頭が上がりません。独立、独立、と普段から言いますが私が生き永らえてるのは間違いなく人の支えありきであり、つくづく人生はチームプレイなのだな、と個人主義の私は最近捉え直し始めています。誠に感謝ですね。

 結婚生活は共同作業なので、生活面、経済面、文化面など色々と擦り合わせる必要が出てきました。そもそも親以外と暮らしたことがなかったので、最初は良かれ悪しかれ人と暮らすことにストレスが伴ったと思います。余談ですが、ライフステージが変わる際には、例えそれが結婚や出産など慶事でも当事者に強い負荷が掛かるようですね¹⁾。

 日常的に人と折り合いをつけることで、自分も随分と丸くなれたような気がいたします。妥協したり、譲歩したり、そうした社会性がこれでも幾許か自然と身につけられたのかもしれませんね。また、夫婦で仲良くいるような努力維持は、人格陶冶にも繋がりました(まだまだ未熟ですが)。幸い元々パートナーとの接し方に苦労しなかったので、喧嘩しそうになったら歩み寄ること、労うこと、負担を掛け過ぎないこと、フェアでいることなど留意し対峙する振る舞いが、そのまま社会生活に反映されたのだと振り返ります。結局それが一番大事なんですね。

サラエボ事件

 さて、個人的な話から社会的な話へシフトします。現在、情勢が何やら不穏になっていますね。こちらもTwitterに書くと荒れてしまう可能性があるのでここで少し紐づけると、この今の緊張状態は一歩間違えるとサラエボ事件のようなトリガーになってしまうような気がして非常に心配なのです。

 勿論、民間同士か公人か、領土問題など細かな部分の相違はありますが、ほんの少しだけ歴史をかじった私なんかでも、微細な動向による国家や国民の対立感情が紛争の引き金になることが古からしばしば起こっていることに危惧しているのです。例えば、30年戦争では文字通りに30年も長く戦争が続きましたが、目に見える大きなきっかけは新教徒によるプラハ窓外放出事件でした(その前に旧教徒による宗教的圧力はありました)。

 歴史はほんの些細なことから動き、そして禍根を残すのだと初学者ながら実感しています。

 恐らくSNS、とりわけTwitterの世論感情が現状では政局を動かす大きな要因になるかと思われますので、実は今極めてシビアな局面にいるんじゃないかという気がしています。とても怖いです。

 いつ自国で戦争が起きるか分からないので、やはりここでも一つ一つの投稿がどれほどの影響力を持ち得るかという点においても注意深くありたいです。いいね一つ、拡散一つの一挙手一投足が争いの契機になってしまう恐ろしさを、破天荒な私が言うことではないですが、日に日に強く感じています。

 第一に、被害者の方へご冥福をお祈り申し上げます。

 その上で、更なる被害や禍根に繋がらないために、今後とも慎重に言及して参りたいと思います。

参考文献

¹⁾夏目誠,村田弘「ライフイベント法とストレス測定」国立保健医療科学院,1993 https://www.niph.go.jp/journal/data/42-3/199342030005.pdf(参照 2024/09/20)


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