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読書記録「ヴィトゲンシュタイン家の人びと-闘う家族」アレグザンダー・ウォー著

塩原通緒訳
中公文庫
2010

哲学者で有名なルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン。ルートヴィヒの兄弟についての一冊。
表に出る程度は違っていても、一家みな精神的に問題を抱えていて人間づきあいが上手くない。副題にあるように、まさにみなが闘っている。

時は世紀末のウィーン。
鉄鋼業で財を成したカール・ヴィトゲンシュタイン。彼は芸術のパトロンでもあり、家にはブラームスやヨハン・シュトラウス、更にはクリムトなども出入りする。
そんな家に生まれた9人の子供たち。

著者は音楽批評家、作曲家でもあることもあって、パウルが多く登場する。当時は左手のピアニストとして、末っ子のルートヴィヒよりもよく知られていたようだ。
そしてクセの強い姉のヘルミーネとグレートル。
長男ハンスと三男ルディは若くで自殺、次男クルトも第一次世界大戦末期、イタリアで自殺したとされている。

仲が悪いというのとはちょっと違うのだけれど、兄弟姉妹の間ではとにかく喧嘩が絶えない。一緒にいれば誰かが癇癪を起こして、それを止める者もいない。
そんな家族についてルートヴィヒはこう言っている。

「僕らはみな固くて縁の鋭い角材のようなものだから、一緒に心地よく収まることができないのです。…誰か友人が混じって緩和してくれないかぎり、僕らが仲良くつきあっていくのは難しい。」

一代で財を成し、強権的で尊大な父カールと、控えめで自分を抑えた母レオポルディーネ。
母と子供たちを繋ぐ唯一の繋がりがピアノの演奏。のちにピアニストになるパウルだけでなく、母も子供たちもかなりの腕前だったようで連弾などを楽しんでいる。

第一次世界大戦へと向かってゆくハプスブルク帝国。
パウルもルートヴィヒも、戦争が勃発すると自ら志願。

パウルはそこで負傷し、左腕を失うことになる。将校で少しは違ったとはいえ、ロシアでの捕虜の経験は言葉に出来ないほどのものだったよう。
そこでピアニストとなる決意を固め、ひたすら机を叩くパウルの姿には胸を打たれずにいられない。

ウィーンに戻ってきたパウルはその後、潤沢な資金を背景にラヴェルやシュトラウス、のちにはプロコフィエフなど有名作曲家に次々と左手のための曲の作曲を依頼。その独占演奏権を得てピアニストとして歩み始める。
作曲家に対しては注文をつけることしばしばで、勝手にアレンジを加えて喧嘩も絶えない。
数少ないレコード演奏もあまり出来が良いとは言えないようで、今となってはピアニストとしての彼の腕前は分からないところもある。

その後やってきたのはヒトラーの台頭とオーストリア併合。
ニュルンベルグ法が彼らの住むオーストリアにも適用され、祖父母のうち3人がユダヤ人だったヴィトゲンシュタイン家はユダヤ人とされてしまう。
アメリカ人と結婚してアメリカ国籍を持ち、比較的自由に行動出来た姉のグレートル。そしてウィーンに残るヘルミーネとヘレーネ。
パウルはアーリア人(のちに妻となるヒルデ)との婚前交渉の罪で逮捕されかかるし、なんとかして国外へ出ようと画策したグレートルとヘレーネも偽造パスポートが見つかって逮捕されてしまう。

何とか混血児の資格を得るため、祖父母の1人が婚外子で実はアーリア人なのだと証明しようとする様子はまるで小説のよう。
ルートヴィヒはイギリス国籍を取得し、パウルはアメリカを目指す。
ウィーンに残る者の命を何としてでも守らなければならないし、その上で莫大な財産を何とか没収されないようにしたい。更には貴重な音楽家のオリジナル原稿や絵画もできる限り国外に持ち出したい。
何とかして彼らがスイスに持つ財産を手に入れようとする当局と対峙する中で、パウルとグレートル、更にはルートヴィヒとの溝は広がっていく。
パウルは財産に関する交渉は全て代理人に任せて、その後も彼らに会うことはなかった。

戦争で没収されたり破壊されたりして財産は失われ(それでも残った財産は莫大だけれど)、子供たちはウィーンを離れる。
ここに世紀末に見られたヴィトゲンシュタイン家の栄華は終わりを告げる。

ケンブリッジで何故かラッセルの心を掴み、更にどこに行っても心酔者がいたといってもよいルートヴィヒ。兄のパウルやグレートルも、一見近寄り難いがその強い個性が強く人を惹きつけたに違いない。
ルートヴィヒが特別変わっているとも思えないくらいにすごい兄弟姉妹だった。

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