平成から令和へ

こんばんは。

最初来日の際に、一番迷惑を感じている部分は、様々な書類に、生年月日の記入欄に、日本年号を表示することでした。多分あんまり知られなかったかもしれないが、実は台湾でも自分年号が有ります。民国(みんご)と言う表現方法で、民国の元年は1911年(つまり台湾政府の拠点が中国から台湾へ移転させるとなりました年。)

つまり、若し3年前私が日本に来なかったら、平成と言うことが私完全に関係が無い事です。また、毎回昭和で自分の生年月日が昭和を◯付けることにも、偶にへえ?平成の子ではなっていませんか。
正直に言うと、最初は全然気にせず、当たり前ように馴染んでなりましたが、多分3年間で人生の中変化が多過ぎで、来週或いは来月、来年の私はどんな風になっている部分が完全に想像できませんでした。

だから、ある程度、人生のプランを立てるちゃんと完成していること人々は普通に羨ましい感じを持っているが、結局自分らしい生き方で、やり放題で進めていました。多分、結構周りから、外国人ですので欲しい形でやればいいねって言われた時、正直に言うと、多分台湾人の同世代から見ると、私でもかなり珍しいケースだと言われているだと思っています(汗)。

10年内で、12社以上転職させてなり、30年以上住んでいた台湾をはっきり別れて、海外転職のきっかけで、元々今後の結婚生活の海外生活を勉強する為に、一応留学歴が無い自分を一回でも、海外で成人として住んでいた方がいいじゃないかな背景で、結局来日しました後、4年間付き合いアメリカ人彼氏とさっぱり別れて、予定無しの転職活動中でも、仲間たちと一緒に自分らの会社を作りませんかって言われた際にも、さっぱり年収のために、結局自分だけでいいところへ転職しちゃった。(半年後は使用期間が終わった後、逆に自分が起業することが決まって、去年の11月から長い準備時間の無職人間となっています。)

冷静に考えると、結局毎回ある程度その時、自分から考えて一番いいところ、或いはいい選択肢を選んでも、そのまま進めることが出来なかった発展自分は駄目な人間かなの感じより、ああ、ある程度ちゃんと生きているねかな。

冗談としてよく言われていますが、私は次のタイミングで何か有ったら、死になても、あんまり悔しい気持ちがあんまり無い感じの人間かもしれない。別に人生を諦めていることが無いですが、毎日頑張って、やりたいことができることがしっかりやったで、悔しかった感じより、よく頑張ったな自分から自分に言いたいかも。

平成もすぐ終わるとなったが、令和で相変わらずこの前提で全面的にやらせていただきいです(笑)。

頑張ろう、自分。

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