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理由は分からないけど花粉症治ったかもしれない。

花粉症との出会いは確か20数年前僕が中学生になる前の春休みのことだった。あれは確か家のベランダで男塾の単行本を読んでいた時のことだった。

単行本が中盤に差し掛かったとき突然涙が溢れて止まらなくなったのだ。当時まだ発売されていなかったケツメイシの「涙」の「溢れた感情は単純にこぼれる涙止めずに泣いて枯れるまで」などとは無縁で枯れることなく出続けたのである。

そうして寝て起きたら目ヤニが酷くて目が開かなくなる、起きたら寝ている間に鼻水が出過ぎて口の中がカラカラになっている、などの紆余曲折を経て無事耳鼻科にて「花粉症」「アレルギー性結膜炎」との大変ありがたい称号を頂戴した。

それからというもの目を掻きすぎるせいで高校三年生頃までほぼ毎年ものもらいに罹り、酷いときは両目にものもらいが出来て、試合後のボクサーそのものとなっていた。一度酷すぎて瞼を切開する手術を行い、眼帯をして過ごすという中二病憧れの日々を過ごしたこともあった。

高校生活は女子がほとんどいないクラスということを良いことに机の中の教科書を入れるスペースに2月〜5月までティッシュ箱を常備し授業中鼻にティッシュを詰めたまま授業を受けていた。多感な時期の男子高生はティッシュの消費量がとてつもなく多いことは皆さんご存知の通りだが、二重にティッシュの消費量が多いため「高校生ティッシュ消費量決定戦」という大会が開かれていれば間違いなく県選抜に選ばれていたように思う。

そうして、就職し一年目の4月になった。食品会社の工場で働くようになり最初の一ヶ月はパートさんの仕事等を経験しながら過ごす事となった。食品工場ということもあり場内への備品の持ち込みは出来ずマスクをして作業に当たることになった。そうするとどうなるかと言えば、マスクの中で鼻からひたすらサラサラの水のような鼻水が常に出続けたのだ。その様子を見た俳人が「花の精 鼻をくすぐり 滝のごとし」と一句詠んだとか詠んでいないとか。(詠んでない)

その後は運良く製造現場とは違う職場に配属された。それによりいつでも鼻がかめるようになったもののやはり体内の水分が常に不足しがちになったため、鼻の下と唇が常にかっさかさになる日々が続いた。飲み薬と目薬を定期的に使用しても二時間もすれば眼球を取り外して洗いたくなるほどの猛烈な痒みに襲われ、常に片方の鼻は詰まり、薬によって春の間は常に眠いという状態が続いた。そのため「春眠暁を覚えず」とは花粉症に悩まされて眠い人間を指す言葉かと勘違いしていたほどである。

そんな日々にも慣れることなくウンザリしながら過ごし、2月に唐突にくしゃみを10連発して後でニュースを見ると毎年きっちりその年の春一番が吹いている日で季節の変わり目を文字通り肌で感じる人間となっていたが、ここ五年いつの間にか春一番が過ぎ3月も終わるかなという頃にようやく「ん?何か鼻詰まってるな…あっ、そういえば今日ちょっとだけ目が痒いかも…」となってきたことに気付いた。

それまでは2月前半〜4月後半、5月後半〜6月前半の長期間に渡りティッシュのお世話となっていたのだが、現在は3月後半〜4月後半、5月後半の10日ほどと明らかに消費量が減っている。さらに別の方でもティッシュの消費量が減っているため「社会人ティッシュ消費量決定戦」という大会が行われていた場合、町内代表にも選ばれないほどティッシュの消費が抑えられているのだ。そして症状も多少しんどい程度で抑えられており、ついに人類がアレルギーに勝利した!と中世であれば村でフェスティバルが開催されているであろうことは想像に難くない。

暑さと寒さが苦手だし、花粉のせいで好きな季節の話題になると秋と答えていたがそろそろ春!と元気よく答えてよいフェーズに入ってきたかもしれない…!

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