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文章は1人で書いている......ワケではない。

ライターという職業。あなたはどう思うだろうか。
作家という職業。あなたはどう思うだろうか。
物を書くことで飯を食う。

こう言うとなんだか、選ばれた人に許された働き方のように思える。非常に聞こえが良い。それにより職業を語ると周りの人が「なんだかこの人はスゴイぞ...!」と勝手に思ってくれるので、現実とのギャップに一人困惑する日々だ。

そして私たちライターは、ライターというくらいなのだから文章が上手くて当然と思われるし、何もないところからペン一つで世界観を作り上げる才能があると思われる。これが「ライターって、物を書く人って、、スゴイ!」と思われる所以だろう。

しかし、はっきりと言わなくてはならない。
私たちライターは、決して1人で物を書いているワケではないということを。

|編集部がいてライターは活きる

私はライターを名乗って今年で7年目になる。だが、ただの一度も自分はライターとして素晴らしいと思ったことはないし、一人でPV数の高い記事を書いているとも思っていない。それは私の力ではなく、編集部の力があってこそなのだ。

ネットに漂う記事は寄稿者のクレジットがあるので一見、その人一人が全て書いたと思われるが厳密には違う。もちろん記事のネタ出し、構成、内容を書いているのはその人本人だろう。

しかしその記事の細かい文章をチェックし、誤字脱字を直し、読みやすいように工夫をし、記事のタイトルはこれで良いのかと再考し、ユーザーの動向に合わせて記事を配信し、公開した記事がどのくらい読まれたか分析をし、ライターのモチベーション向上を考えフィードバックをするなど、あれこれと手配をしてくれるのが編集部だ。

ゼロから1を生み出すのはライター個人の役目だが、1を10にするのは編集部の力だ。読者たちは10の状態で世に出された記事を読み、その寄稿者に10の力があると思われがちだがそうではない。その半分は見えない編集部が愛情を持って育ててくれる。ライターはそれをゆめゆめ、忘れてはならない。

|私を取り巻く人・モノから記事は生まれる

そしてもう一つ、ライターとしての私を助けてくれる存在がいる。それが私を取り巻く全ての人たちだ。家族、友達、恋人、仕事仲間、行きつけのカフェの店員さん、美容師さん、SNSで知り合った人々、SNSで検索をしてヒットした面白い投稿、記事、愛読しているマンガ、小説その他諸々...。

もし私が誰とも会わず誰とも話さず、孤独に生きていたなら私は何かを書こうとも思わないし、書けない。人やモノと出会って、話をして、想像し、感銘を受けて。その繰り返しの中で自分だから伝えられる何かを見つける。

つまり、私は私を取り巻く人・モノのおかげで記事を書くことができる訳で、そのおかげでご飯を食べることができるのだ。

ライターは文を一人で書く個人プレーのように思えるが、その背景には一人では決して生み出すことのできない多大なる創造性を人からもらい、人の手を借りてより質の良い記事にして配信する。なのに、手柄は私一人で得たような結果に見える。

それゆえ、たまにね。
自分一人でスゴイ記事を書いたと勘違いする人がいる。
勘違いしそうな私もいる。いいか、よく聞けよ。

記事を書けていることに奢るな。
自分がヒットした記事を書いたと思うな。
人の支援でいただいた賞賛は、人に返せ。
感謝を忘れたらモノは書けなくなる。

誰かのために書いてこそ、ライターなんだ。
ミー、それ忘れないようにしたい。



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